第百三十一話
第百三十一話です。
動けないカイトを連れて、薄暗い遺跡の中を走っていく。
状況は絶望的だ。
あのオロチは間違いなく強力な魔物だ。
街を襲えば一時で壊滅させられるだろう戦闘力は備えているだろう。
それは一目見て分かった。
「見て測れてしまえるのならどれだけよかったことか……!」
あのメリアという神獣は、まるで得体が知れなかった。
見た目こそ可憐な少女の外見だったが、その内に押さえ込んでいる力は底知れない。
そもそもあんな存在に関わること自体、あってはならない。
「……」
カイトの表情は暗い。
さきほどの戦闘で体を酷使した上に、何度も壁に叩きつけられたせいで、大きな怪我こそはないが酷く消耗している。
しかし、それ以外にメリアを足止めしているオロチを置いて行ってしまったことを気に病んでいた。
そんな彼を元気づけるように、彼の身体をよじのぼりゴーレムの首に回している腕に移動したユランが、一声鳴いた。
「……シャァ!」
「気遣ってくれてるのか? ……彼女に操られている時も、少しだけ意識があったんだけど……この子は?」
「ああ、カイトは知らなかったな。そいつはユランだ」
「え?」
ゴーレムにおぶさった状態のカイトの肩に乗っているシフとユランに、彼は目を丸くさせる。
カイトの視線にユランは鎧の時と同じように、首をこくこくと頷かせる。
「……よかった。生きてくれていたんだな……」
「シャァ!」
「おぬしを救う一環で、ユランはおぬしの使い魔となった」
「そっか、こんな状況だけど……よろしくね」
どこか力のない笑みを浮かべる彼に、もう一度頷くユラン。
「カイト、あの女は貴方をここに連れてきてなにをさせようとしたの?」
ゴーレムの背におぶさっているカイトに、リーファが話しかける。
「彼女は、僕に仕えようとしているんだと思う」
「……どういうこと? カイトって実は王族とかそういう話?」
「生まれた世界自体違うんだから、それはない。だけど僕を王の器だとか……この世界でただ一人の純魔とか言っていたな……」
———二人の会話をすぐ隣で聞いていた私は本当に気が気でなかった。
話している内容の次元が違いすぎる。
神獣がカイトを攫った理由が、自分のものにするためではなく仕えるため?
人知を超えた生物が、ただの人間の配下になろうとしている?
この世界でただ一人の純魔とはなんだ?
そのままの意味なのか?
あ、駄目だ。
これ神獣に詳しい専門家を数十人単位で集めて議論するべきものだ。
走りながら混乱している私に、カイトはさらに畳みかけてくる。
「あとは、僕の魂に純魔転生の術式が結びついてるとか……」
「なに、それ」
「多分、僕の身体に起こってる異変と関係あると思う」
し、シフはどう思っているんだ?
この異常な会話を聞き流しているのか?
カイトを抱えるゴーレムの頭にしがみついているシフに目を向ける。
「……」
わ、私と同じく思考の波に呑まれかけている……!?
尻尾をぴんと立たせながら、目を見開いたままカイトを凝視していたシフは、すぐに我に返り彼へと話しかける。
「……その話は無事に帰ったら聞かせてもらおう。それより、この状況をどうするかだ」
「カイト、帰り道とか分かる?」
「ごめん、目が覚めたら……ここにいたから、分からないんだ」
何かを思い出したのか、目元に手を当てながらそう言葉にするカイト。
その様子にリーファが訝し気な反応をする。
「……それじゃあ、風が来る方に進んで見よう。一旦、足を止めて」
背後を警戒しながら足を止める。
すると、地面に膝をついたリーファが目を閉じながら感覚を研ぎ澄ませる。
私の感覚では、風は全く感じられないように見える。
しかし、感覚の優れたリーファならあるいは……。
「微かだけど、あっちから風が吹いてきてる」
「ならば、早くそちらに進も―――」
その時、背後から三つの悲痛な叫び声と轟音が響いた。
遺跡内に響き渡るような声にカイトは、悔やむように表情を歪める。
「オロチ……」
「……オロチがやられたとあっては、すぐに追いかけてくるだろう。追いつかれる前に、進もう」
いや、このままじゃすぐに追いつかれてしまう。
それはシフも分かっているはずだが、それでも必死に抗おうとしている。
カイトは、きっと自分がこの場に残ればいい、と考えているところだろう。
リーファは、カイトを連れて一緒に帰ることを望んでいる。
「私は……」
分かっていた。
この場をなんとかする方法を。
この中で一番疲労が少ない私がメリアの足止めをして、囮になればいい。
―――メリアを前にして生き残る方法がないわけではない。ただ、いつもどおり私が我慢すればいいだけの話だ。
今、後ろから追いかけてきているあの神獣は、わがままだ。
さきほどの接触だけで分かる。
あれは、まさに自分の思う通りに事が進まないとどんな手も使おうとする厄介なやつだ。
カイトという存在を欲し、抱えたら二度と離さないほどに大切にしようとするだろう。
自分の欲望のままに振舞う彼女を見て――私は心底羨ましいと思った。
「……私、は……」
いつだって、我慢してきた。
集落の連中からの迫害からただ耐えるだけの母を見て、私も耐えてきた。
いない父親のことをずっと考えないように我慢してきた。
復讐のために魔王軍で身を粉にして働いてきた。
クソみたいな環境で、クソみたいな連中と必死に言葉を交わそうとした。
私の人生は、我慢ばっかりだ。
「……」
普通の人生を送りたかった。
こんな泥沼の中でもがき続けるような生き方なんてしたくはなかった。
だからこそ、だろうか。
カイトという存在を知って、人並みの生活というものを送って―――メリアという神獣の存在を知って、もう我慢する必要なんかないんじゃないかと思ってしまった。
このまま、私が足止めとして名乗り出さなければ―――、
「そんなわけないだろうが……!」
バカな思考を引き戻し、現実を見る。
自分の不幸な境遇に酔いしれるのは終わりだ。
気合をいれるべく、思い切り自分の頬を張る。
私が今考えるべきは、罪ばかりを犯してきた私に“助けたい”と思わせたこの善良な二人の力になることだ。
「イリスっ! どうしたの!? 早く行こう!?」
立ち止まっている私の服をリーファが引っ張ってくる。
この子が拾ってくれたから、私は一時でも楽しい日々を過ごすことができた。
私を心配する彼女の表情を見て、笑みを浮かべる。
「ようやく、前を見れた気がするな……」
「……イリスさん?」
「すまない。カイト、リーファ」
そう呟いてから掌に魔力を浮かばせ、地面へと打ち込む。
瞬間、地面からせりあがった壁が私と、カイト達を阻むように作り出される。
「イリス! 何しているの!?」
「私が、彼女を足止めをする。二人は脱出してくれ」
「ッ、そんな! やめてください! 残るなら僕の方が―――」
「カイト」
あくまで静かに壁越しに語り掛ける。
リーファが必死な様子で扉を壊そうとしているが、今の疲れ切った彼らではこの壁を壊すことは不可能だろう。
「君はこの先、必要な人間だ。ここで囚われているべきじゃない」
神獣に影響を与える人間。
君には、きっとなにかがある。
魔王軍も、勇者も超えたなにかしらの役割を与えられているはずだ。
必死に声をかけてくる二人と私を隔てる壁を、さらに厚くさせる。
「……行こうか」
声も通さなくなった壁に掌を当てた後に、後を追ってきているであろうメリアと相対すべく薄暗い道を逆方向に進んで行く。
これから私がするのは、生きるか死ぬかの賭けだ。
しかし、恐怖はない。
「おやおや、一人で足止めとは……随分と嘗められたものですね」
現れたのは、右手を真っ赤な血に染めたメリア。
同性ですら魅了されるような容姿だが、彼女の正体が神獣だと分かればそんな感情も抱けるはずがない。
「あぁ、そういえばいましたね。人間とエルフのハーフの半端者」
瞬きした次の瞬間に、いつの間にか私の背後に立っていた彼女は私の首に手を添えていた。
恐怖の声を零す私にメリアは、首に指を這わせながら楽し気に嗤う。
「さて、どうしてやりましょうか?」
「……ぅ、ぁ」
「あっ、でも殺しちゃ駄目だったんですね」
言葉を出せないでいると、何を思ったのか彼女は首から手を離す。
そのまま私の前に回り込んだ彼女は、両手の指を胸の前で絡める。
私の首には、生暖かいオロチの血がべっとりと張り付いていた。
「貴女のような半端者でもカイト様のお仲間です。もし、殺してしまったらお怒りになり、きっと私を嫌ってしまうでしょう。……いえ、嫌われるのもそれはそれで……」
どう思いますか? と無邪気な笑みで聞いてくるメリアに汗が止まらない。
恐怖がないなんて嘘だ。滅茶苦茶怖い……!
やばい、予想していた百倍くらいやばい。
今にも泣きそうになりながらもゆっくり地面に膝をつき、頭を垂れる。
「お話が、あります」
「んー?」
今から持ちかけるのは契約。
もし、それが結べたのならば悪魔との契約に等しいほどの、危険なものだ。
だが、それでいい。
これまでと変わらず、私はただ我慢し―――耐えるだけだ。
自分に言い訳することをやめ、カイト達を助けるために前を向いたイリス。
恐らく、今章の最後の閑話までは彼女の視点はありません。




