第百二十九話
第百二十九話です。
それは、いつの記憶だったか。
私が魔王軍に入って間もない頃にやってきた生意気な女。
白い髪に頭に生えた獣のような耳、一見して獣人のように思えた女―――ニーアは、魔王軍幹部として上り詰めた際、幾分か会話をする仲にあった私に、おかしな話をしたことがあった。
『私の中には獣がいるの。とっても、とても、こわーい、獣がね』
よくある思春期のあれだろうか?
もしくはどこかで悪いものでも食べたのか?
それとも元々おかしかった頭がもっとおかしくなったのか?
当時は、そんな感想しかいだけずまともに聞いてはいなかったけれど、今となってその話をよく聞いておけばよかったと後悔している。
「ウウゥゥゥ!!」
私の前で黒い影に包まれたリーファが、獰猛な獣を思わせる唸り声を上げている。
リーファがカイトの動きを止め、血を取り込むという最初の難関は超えたはずだった。
「成功したのか!?」
「シャァァ……!」
私の肩に跳び乗ってきたシフとその体に巻き付いているユランが声を上げる。
今のリーファは、自分の力を押さえ込もうと必死に見える。
純魔の魔力―――それが宿る血を口にして彼女は大丈夫なのか?
「ッ!」
「ウゥ!!」
拘束を力技で引きちぎり右腕だけを自由にさせたカイトがここにきて初めて表情を顰めさせながら、唸り声をあげているリーファに剣を振り下ろす。
「っリーファ!?」
無防備な彼女に剣が叩きつけられ、肩から脇まで斜めに切り裂かれる。
しかし、次の瞬間にはリーファの姿は黒い泥となった地面へと崩れ、影となって消えていく。
「そんな、リーファ……」
「いや、イリス殿! カイトの後ろを見ろ!!」
カイトの背後から無音で黒い影に包まれたリーファが現れる。
そのまま大きく足を振り回し、カイトの胴体に蹴りを叩き込んだ彼女は、壁に罅ができるほどの力で激突したカイトを強く睨みつける。
その姿は、肌の見える部分全てが影に覆われ真っ黒に染まり、彼女の髪は獅子のたてがみのように後ろへなびいている。
だが、今の彼女から感じる気配も、力も気味が悪いほどに静かだ。
「ガァァァ!!」
雄叫びを上げたリーファの足元、周囲の影が大きく揺らぎ“闇”が広がる。
そこから、リーファと似通った黒い影のような人影が複数現れる。
「影で分身を作り出した!?」
「私のゴーレムのように操れるのか……」
現れた影がそれぞれ別の動きをしながら、カイトへと襲い掛かる。
口の端から流れた血を軽く拭ったカイトは立ち上がりながら、右手のライムを剣へと変え迎え撃つ。
「———ッ!」
「ウゥ!!」
影の分身自体の戦闘能力はそれほど高くないのかカイトが一撃を食らわせるだけで簡単に霧散してしまうが、その数は膨大だ。
しかし、カイトもさらに金色の魔力を纏い、剣を鞭のように伸ばし分身を消し去りながら―――真正面から大きな爪を振り下ろしたリーファの攻撃に合わせて、剣を振るう。
連続して金属音が響く。
闇が広がった遺跡の中で、ほぼ際限なく湧き出てくる影の分身が一瞬で消え去るほどの攻防。
「ほ、ほとんど、目で追えすらしないとは……」
これは、この戦いは仮にも人の戦いなのか?
目を疑う光景に、なにもできないでいると不意に動きを止めたカイトが、リーファの首に腕を引っかけるように振り回し地面へ叩きつける――――その前に、カイトが放った掬い上げるような強烈な蹴りが彼女の脇腹へと叩き込まれた。
「リーファ!?」
「ッ、地面に叩きつけると影に潜られるのを理解してか……!」
さきほどの戦いで地面への叩きつけが無意味なことを学習している……!
肉体強化で強化に強化を重ねた蹴り。
明らかに並みの威力でないそれの直撃を食らったリーファに、剣を槍へと変えたカイトが追撃を食らわそうとしたその時、蹴りを受けたリーファの身体が泥のように崩れる。
「———残念、はずれ」
それは、たしかなリーファの声。
すぐにカイトの方を見れば、いつの間にか彼のマントを手で掴み取ったリーファが、彼の身体を思い切り振り回し、勢いよく壁へ叩きつけていた。
「ちょっと痛かったから! もういちど、お返し!」
続いてカイトを石柱にもぶつけているリーファに、空いた口が塞がらない。
な、なんでリーファが影と入れ替わっているんだ!?
たしかに、カイトが振り回した腕が当たった時点では分身ではなく本体だったはずだ!
「——ッ!」
「あっ!」
苦悶の表情を浮かべたカイトが、手のライムを杭のように伸ばしリーファの心臓へと突き刺す。
しかし、そのリーファも泥のように崩れ―――先ほどまで黒い分身がいたカイトの背後に、リーファが現れ、左肩のマントと右腕を掴んだ。
「また、はずれ」
「……!? ……!?」
「……うぐ……長くは、戦えない……そろそろ終わりにする」
彼の身体を抱えたリーファは、そのまま彼の身体を巻き込むように壁に体当たりをする。
一撃で粉砕される壁―――しかし、彼女はそのまま止まることなく隣の空間へとそのまま突っ込んで行ってしまう。
その後、連続して遺跡の壁が破壊される音が響いていく。
「わ、私達も行くぞ!」
「あ、ああ!!」
慌てて壁を破壊しながら遺跡を進んで行くリーファを追いかける。
見れば見るほど広大な遺跡だが、リーファが通った後は見る影もなく破壊されつくしてしまっている。
「やることが派手すぎる」
「だが、ここまでしなければカイトは止められないのだろう」
「……」
リーファもそうだが、カイトの力は異常だ。
なんらかのバックアップは受けているとはいえ、あれほどの力は普通じゃな……ん?
リーファが突き破っていったであろう場所の壁になにかがついている。
「……霜?」
指で触れてみると冷たい。
なんだ、これは? ここはそれほど寒くもないのにどうして霜が……?
壁を気にしながら、壊れた壁の先を進んで行くと、行き止まりが見えてくる。
「リーファ! カイト!!」
先には、カイトに馬乗りになったリーファの姿がある。
彼女たちの周囲には黒い影が張り巡らされており、それが意識を朦朧とさせているカイトの動きを止めていた。
リーファはカイトの身体に手をついたまま、動かない。
「シフ、ユラン!」
「ああ、今だな!!」
「シャァァ!!」
肩から飛び降りたシフがその背にユランを乗せて、カイトの元へ駆け寄る。
身動きのとれない彼の頬に前足を添えた彼は、昔を懐かしむように目を細めた。
「最初、この遺跡でおぬしと会った時と同じだな……今、助けるぞ」
「シャァァ……」
「ユラン、カイトに触れるんだ」
ユランの頭がカイトの左手の上に置かれる。
それに気づいた、マントにいる白蛇が暴れようとするが、リーファの影で縛られているせいか動けないようだ。
「この蛇。こやつはユランと同じ波長をもっている。だからこそ、仮の契約に割って入り、ユランをカイトの正式な使い魔にさせる……! そうなれば、こやつはカイトに憑りつくことができなくなるはずだ!」
そう言葉にして、大きく息を吸ったシフは使い魔契約の呪文を口にしはじめる。
「魔と人、伏し者と仰ぐ者。血の証を以てして、古き契約を今、結ばん」
カイトの血により、ユランとの正式な使い魔契約が結ばれる。
その瞬間、カイトの左肩のマントがぼろぼろになって崩れていき、半透明の白い蛇も悲痛な叫び声と共に消えてしまった。
変形を繰り返し暴れていたユランと、朦朧としながらも抵抗していたカイトの身体から力が抜ける。
「……とりあえず、成功か」
「シャァー……」
「ああ、ユラン。お前は晴れて、私達の仲間だな」
カイトの使い魔となったユランにそう口にしたシフは、次にリーファへと視線を向ける。
「リーファ、もう影を解いていいぞ」
「……」
無言のままカイトの動きを封じていた影を解いたリーファ。
既に彼女の身体を覆っていた黒い影も魔物の力すらも消え、元の姿に戻った彼女は、そのままふらりと倒れかける。
「っ、大丈夫か?」
「う、うぅー」
とっさに抱えると、やや疲れの滲んだ唸り声を出し始めるリーファ。
ま、まさかカイトの血を取り込んだことで、魔物の力が残って暴走してしまっているのか!?
「リーファ! 落ち着け、自分に呑まれるな!!」
「ここまで来て、お前の暴走を止めるのはごめんだぞ!?」
懸命に声をかけ、彼女を正気に戻そうとする。
すると、手を猫のように構えていた彼女は、にへらとした笑みを浮かべた。
「……じゃーん……普通に正気ぃ……」
「「……」」
「……あれ?」
私とシフはリーファの頭をひっぱたいた。
怯えていたユランも、小さな口で噛みついた。
「痛い!?」
「シャァァ!」
「噛まないで!?」
これはさすがに怒る。
一瞬、リーファの姿がニーアと重なったぞ、この野郎。
しかし、かなり消耗しているのは本当らしいので、このバカ者は休ませておくことにする。
「———う、あ……」
すると、気絶していたカイトが早くも目を覚ました。
まだ操られているかもしれないので、一応身構えていたが、そぶりからして元の彼に戻っているようだ。
「っ、カイト!?」
「カイト! もう目覚めたの!?」
「……」
まだ意識が朦朧としているのか、カイトの目は私達へと向けられていない。
ゆっくりと視線を周りへと向け、中空の一点で止まると―――消え入りそうな声を絞り出した。
「やめ、ろ……」
「カイト? やめろとは、どうした?」
やめろ? 幻を見せられている?
それとも、単に遠い場所を見ているようだ。
……いや、違う。
これは、遠い場所を見ているわけじゃない!
彼が見ているのは、私達のはい―――、
「やめて、くれ……メリア」
すぐに振り向こうとしたその時、背後から伸びてきた腕が私とリーファの首に回され、喉に指がかかる。
耳元で声が、囁かれる。
「なぜ、止めるのですか?」
「「ッ!?」」
私とリーファの間に割って入るように現れたのは、白髪の少女。
ひどく冷たく、底冷えするような気配に私はこれまで感じたことのない恐怖に体を支配されるのであった。
潜在能力解放・獣化モード(影)
・影で分身を作り出す(戦闘力はそれなり)
・作り出した分身と自身の位置を自由に入れ替えることが可能。
・屋内屋外問わず闇を操り、広げるetc…
ようは便利な変わり身の術です。
相変わらず戦法が勇者っぽくならない勇者……。




