第百二十話
第百二十話です。
「名とは、存在を表します」
身動きが取れないほどの力で僕を抱えたメリアが、不意にそんなことを呟く。
「ただの有象無象にとってはただの判別の記号でしかありませんが、私達にとっては違う。私達が認め、その名を呼ぶことを許すことで、初めて縁は結ばれる」
「……ッ!」
「それに私達の力を増やす力はありません。しかし、この世界に意志を以て生まれ落ちたその日から自然のままに、目的もなくただただ生きていただけの私達が―――仕えるべき主を得ることになるのです」
「僕はフィリとは、そんな契約をしていない……!」
「契約ではありません。この世の何よりも重く、優先されるべきものです」
僕はフィーリヘルト、フィリの名を呼んだことで縁を結んだ。
メリアは、今それを僕に要求している。
「君の名を呼ぶのは嫌なわけじゃない」
「! まあ……」
「だけど、ずっとここにいることはできない。僕には、やらなくちゃならないことがある」
リーファの従者として彼女を支えること。
ハクロの本体をニーアから救い出すこと。
この世界で決めた、僕のやるべきこと、それを途中で投げ出すことなんてできない。
「駄目です。これも、貴方様のためです」
「っ、どうして!」
「貴方様は地上にいても不幸な目にしか合わないと判断しましたから」
にこりと微笑み、首を傾けたメリア。
「既に外の神獣は様々な思惑の元に動き出しています。それにあの魔王……言葉にするのも汚らわしい偽りの王———あのような輩がいる地上にいても、不利益しか被りません」
たしかに、その通りだ。
今まで巻き込まれた事件を考えれば、魔王軍と関わりのないこの場所はこれ以上になく安全とも言えるだろう。
「それに、あの勇者―――常闇の獣の混じりもの」
「……常闇の? リーファのことか?」
「アレは不吉な存在です。光の存在しない全てが凍り付く闇の中に生まれ落ちた獣———貴方様には相応しくない、唾棄すべきもの」
一体、なにを指しているんだ? その常闇の獣と、リーファが何か関係があるのか?
……多分、僕がどれだけ外に戻りたいと口にしても彼女は解放してくれないだろう。
ここは一先ず大人しく頷いてから、脱出する機会を伺うか? メリア自身は遺跡に封印されて外には出れないらしいし。
「……分かった」
「はい、正しい選択です。暮らしについてはご心配なさらず。食料も水も調達は可能ですし、貴方様が願うならば住処も、料理も私が用意いたします」
「そ、そうなんだ……」
神獣ってなんでもできるのかな?
なんだろう。
逃げ場が狭まれていくような予感がした。
悪い想像を振り払いながら、続けて彼女に話しかける。
「それと、ユランとライムを解放してくれ」
できることなら、抱きしめられたまま動くことすらできない僕も解放してほしい。
状況的に色々とアウトなのだろうけれど、抱きしめている腕が僕の腕力を遥かに超えている時点で、色気なんぞ考えもしないのが現状だ。
僕の提案にメリアは笑顔のまま頷く。
「かしこまりました。スライムとアレはこの後に解放いたします」
「……」
———違和感。
彼女の見せる笑みに引っかかりを覚えた僕は、動かないユランに目を向けながら彼女へと問いただすように話しかける。
「———本当にユランを解放する気があるのか?」
「ええ、勿論です」
「……どうして、嘘をつくんだ?」
これまでの話で嘘をつかれた感じはしなかった。
だけど、ここでの彼女の言葉に僕は猛烈な悪意を感じた。
僕自身ですらなぜそう思ったのかすら理解できないが、そう思ってしまった。
「あの子は……私に逆らったのです」
「……ユランは、君が生み出したんだろう?」
「不完全に意思を持ってしまったので、処分しなくてはなりません」
じろり、とメリアの視線が動かないユランへと向けられる。
その声には先ほどまで僕と話していた時のような抑揚がない。
……ユランは、メリアが生み出した魔物だ。
そもそも記憶喪失でもないし、あの子は文字通りに生まれたばかりだった。
「やっぱり、君の言うことは聞けない」
「貴方様の力では、私の腕は解け―――ッ!」
僕は迷いなく肉体強化を使う。
身体の底から力が溢れていく感覚に苛まれながらも、歯を食いしばる。
「おやめください! まだその段階の強化は無理です!!」
「締め技から抜け出すには時には力任せ、締め技から抜け出すには時には力任せ、締め技から抜け出すには時には力任せ―――」
「き、聞いていない……!? あぁ!」
言葉は力だ。
自分に言い聞かせるように口にしながら、なんとか腕と身体に隙間を作り拘束を抜け出す。
「うぐっ」
地面を転がりながら動かないユランの元に移動した僕は、未だ彼女の傍らにいる水筒を目にしながら歯噛みする。
ライムは絶対に助け出す!
でも、まずはユランを起こさないと!!
「ユラン、起きろ! ここから逃げるぞ!!」
「———」
反応はない。
まるで死んでいるように黒い鎧は座り込み、周りの鎧の残骸と同じように沈黙している。
「どういうつもりですか?」
ゆらりと立ち上がったメリアが、不思議そうに首を傾げながら僕を見つめている。
このまま彼女に捕まっていたら、どれだけここに囚われるかも分からない。
絶対に勝てない―――そんな予感を抱きながらも、ライムを助け出すために拳を構える。
「もしかして、私と戦おうとしているのですか?」
「っ!」
「彼我の実力差を理解できないほど、無謀でもないはず。なら、コレを取り戻すために勝てないと分かって私に立ち向かおうとしている……?」
拳を構えた僕を困惑した様子で見つめるメリア。
そのまま睨み合ったまま沈黙が続く。
もしかして怒らせたかもしれない、そう思い内心で恐々としていると、不意に彼女は見惚れるような笑みを浮かべ、自身の胸の前で両手を絡めた。
「素晴らしい……」
「え?」
「素晴らしい! その反逆心は、あの女にはなかったもの!!」
浮足立つように無防備にこちらへ近づいてきたメリアは僕に人質にしていたライムが閉じ込められている水筒を差し出してくる。
構えた拳を下ろしながら、水筒を受け取り―――メリアの無邪気な笑顔を見て僕はようやく理解する。
―――彼女は、そもそも僕を脅威とすら見ていない。
彼女が僕に語り掛ける言葉も、向けてくる親愛の感情に嘘はない。
それ以前に人間の僕と神獣のメリアとでは、話にならないほどの力の差が存在していた。
だから彼女は僕の一挙一動に警戒する必要もないし、これほどまでに無警戒に近づける。
「ふふっ」
今この時点で、僕が全力でメリアに殴りかかったとしても、彼女はそれを笑って許せるだろう。
なにせ、彼女にとっては子猫や子犬がじゃれついてきているのと同じ感覚なのだろうから。
「キュ、キュー!」
「ライム! よかった……!」
すぐさま水筒の蓋を開け、ライムを解放する。
蓋を開けるなり僕の胸に飛び込んできたライムを受け止めながら、上機嫌な様子のメリアを見る。
「あぁ……このまま何事もなく私の元にきてくれればいいと思っていましたが……そのような覚悟を見せられたのなら、応えなければ」
待って、なんか僕にとってとても不都合なことが起こりそうな気がする。
まだギリギリ話が通じる段階にいる彼女に声をかけようとしたその時、前触れもなく彼女の姿が掻き消える。
「ええ、ええ、いいでしょう。貴方様が試練を望むというのならば、私も相応のものを用意させていただきましょう」
「!?」
いつの間にか僕の背後に回り込まれ、両肩を掴まれる。
そのまま肩から顔を出した彼女は、その口から音にならない声を発する。
「な、なにをしたんだ……?」
「私では、貴方様を殺してしまいます。なので、代わりの相手をご用意しました」
瞬間、何かが床を引きづるような音が、視界の先の暗闇から聞こえてくる。
その音を聞いた僕とライムは、覚えのある悪寒と気配に身体を震わせる。
「まさか、ここは……僕がいるこの場所は―――」
この時まで僕が今どこにいるかだなんて見当がつかなかったけど、今目の前に現れようとする巨大な魔獣の存在を感じとることで、ようやく理解する。
ここは―――この世界にやってきた僕が飛ばされた遺跡であり、ライムとシフの故郷。
「「「ジャアアア!!」」」
奥へと続いていく通路。
その暗闇の奥から、三つの頭を持つ大蛇———オロチが現れる。
傷だらけの体を光の元へ晒したオロチは、僕の肩から顔を出しているメリアを見ると、恐怖するようにその頭を垂れる。
「役立たずのお前に栄えある大役を授けてやろう。このお方と本気で戦え。絶対に殺すな、殺したら私がお前にあらゆる苦痛を与えた後に殺す」
「「「シャァァ……!」」」
僕を睨みつけたまま、オロチはその大きな体を動かし、とぐろを巻く。
「貴方様の意思を通したければ、アレを倒してください。殺していただいても構いませんので、思う存分にお力を振るってください」
あくまで無邪気に耳元でそう語り掛けた彼女は、ゆっくりと僕から離れる。
そのまま先ほどまで僕が捕まっていた場所に腰かけると―――目の前にいるオロチが大きな雄たけびを上げる。
あちらにとっても、僕にとっても必死というわけか。
「ライム! やるぞ!」
「……キュウ!」
ライムを棍棒の形にさせながら構える。
いつも戦いの時にいてくれるシフはいない。
この状況で―――オロチと呼ばれる危険な魔獣を相手に、限られた手札だけで戦わなければならない。
抱きしめていた子犬が必死に動いて腕の中を抜け出し、その後は抵抗するようにきゃんきゃんと吠えている。
メリア視点のカイトは大体こんな感じです。
そして今回のベヒモスさん枠のオロチ君。
進むも地獄、退くも地獄な彼に明日はあるのか……!




