私をほって、そんなところで寝るからだよ
もう何時間こうしているだろうか、見上げた空がオレンジに染まり始めている。リタは、眠っているフィルの顔にかかった前髪を優しく整えた。その指先を感じたのか、狭い卵の中でモゾモゾと体を動かしたフィルはじんわりと目を開く。
「……おはよー」
「あ、やっと起きた」
体を起こして卵の淵にもたれかかり、フィルはうーんと伸びをする。やはり窮屈だったのだろう、凝り固まった体を溶かすように何度も伸びをした後、薄く開いた目で自分の脚へ視線を落とした。
「んー……かゆいー」
枯葉に埋もれた脚に手を伸ばし、ガサガサと音を立てながら掻く。
「私をほって、そんなところで寝るからだよ」
「んー」
差し出されたリタの手を掴んでフィルが立ち上がると、ワンピースの裾から伸びるふくらはぎが赤く腫れていた。フィルの白い肌では、掻いた痕が痛々しく目立つ。
「うわ、搔いちゃ駄目だって」
「かゆいもんー」
フィルが再びふくらはぎに手を伸ばそうとしたので、リタはその手を握った。すると反対の手を伸ばすので、リタはその手も握る。そのおかげか、フィルはむず痒そうな顔をして足踏みをするにとどまった。
「枯葉とるから掻かないでね」
「かーゆーいー」
「我慢したらすぐおさまるよ」
不服そうな表情を浮かべるフィルの両手を離して、リタは再び枯葉を取り除く。時折、痒さを紛らわすように足踏みをしては、リタに肩を押さえられた。
「よし、帰ろう」
フィルの髪や服についた枯葉を全て落とし、リタはそう言った。綺麗になったように見える髪にも、小さな葉のかけらが絡み付いている。帰ったらすぐにお風呂に入れよう、と心に決めてリタはフィルの手を握った。フィルはそんなリタの手を引いて、さっきまで寝ていたボウルを指差す。
「これ持って帰りたいー」
「な、何のために?」
「寝るためー」
「ベッド新しくしたところじゃん」
そう返したリタの言葉にフィルは少し考え、一拍間を置いてフルフルと首を横に振った。
「……じゃーこっちはお昼寝用にするー」
「えぇー……」
「だめー?」
寝起きだからなのだが、フィルは瞳を潤ませ首を傾けてリタを見つめる。その表情にたじろいだリタはうーん、と腕を組んで考え始めた。しばらく考えて、ポンと手を打つ。
「フィルが運ぶならいいよ」
その返答にフィルは卵に目線を素早く動かした。材質も重さも全くわからず、リタとフィル二人でも運べるのかわからないこの物体。果たして一人で運べるのだろうか?なにより、面倒くさそうだ。そう考えたフィルは誤魔化すようにニッコリと笑ってリタの手を引いた。
「……また来ようねー」
またここで寝る気なのか、と呆れたリタだったが、とりあえず持って帰らないということには胸をなでおろす。フィルは滑り降りた斜面を見上げてその上を指差した。
「ここ、のぼれるー?」
「え、いや、あっちから行くんだよ」
そう言ってリタは自分が通ってきた方を指差す。ゆるりとした上り坂が続き、道とは言えない森の中を歩くことになる。それに気づいたフィルは眉間にしわを寄せる。
「おりるのはあんなに楽だったのにー!」
「それはフィルだけね。私はあっち通ってきたんだよ」
「大変だったねー」
なぜかリタの頭を撫でたフィルは、フーと息を吐いて手を繋ぎ直した。ギュッと力を込めて握り、その手をオレンジになった空に突き上げる。
「よし、行こー!」
フィルはそう言って気合を入れ、枯葉をザクザク踏みながら歩き出した。
遠回りをして、ようやく見慣れた——と言ってもほとんど同じような木に囲まれている道なのだが——にたどり着いた時、疲れた表情のリタとは反対にフィルは笑顔だった。リタが家の方へ歩き出すと、フィルは笑顔を崩さずに尋ねる。
「あれ、お買い物行くんじゃなかったっけー?」
「もう暗くなるし明日にするよ」
「わたしが寝てる間に行けばよかったのにー」
こんな森でもし勝手に移動されたら探せないでしょ、と思いつつも疲れ果てているリタは小さく頷いた。
「今度からはそうするね」
「うん! さ、帰ろー!」
ぐいぐいと引くフィルの手を離し、リタはゆっくりと歩く。楽しそうに少し前を歩くフィルの脚を見ると、さっきより赤みが引いていた。フィルは完全に痒みを忘れているようで、このまま触らなければすぐに綺麗に治るだろう。と、元気に跳ね回るフィルを見てリタは苦笑いをした。
「そういえば、どうして突然あそこに行きたくなったの?」
リタがそう尋ねたのは、森の出口が目の前に迫った時だった。フィルはリタの隣に戻って手を握り、ニコッと笑って首をかしげる。
「えー、なんでだろうねー」
「眠たかったから?」
自分でもわからない、といった口ぶりのフィルに、リタは自分の仮説を口にした。フィルの行動の理由のほとんどが、食欲と睡眠欲なのだとリタは気付いていた。残りは、たまに出る好奇心。
——本当は"リタのため"という大きな理由もあるのだが、リタ本人は気付いていない。
「そーかもねー」
ケラケラと笑って肯定したフィルがリタの腕を引くと、ようやく森を抜けた。空が開けて、爽やかな風を感じる。二人は笑い合いながら競うように家まで走り、玄関のドアを開けた。
その後すぐにお風呂場に連れて行かれたフィルは、やっぱり綺麗なベッドで寝るのが一番だ、と改め直したとか、なんとか。




