よし、じゃあ焼いてみよう!
お風呂から上がったフィルは、積極的にリタを手伝った。こぼして少なくなってしまった粉だが、必要な量はギリギリ残っていた。グルグル混ぜては休み、混ぜては休み、ボウルの中が馴染むまで混ぜる。
「これくらいでいーい?」
「うん、混ぜ過ぎても良くないって書いてあったよ」
リタはボウルを覗き込んでそう言った。フィルが起きてくる前に、母親が使っていたレシピ本を確認したのだ。
ふう、と息を吐いてボウルから手を離したフィルは、自分で混ぜていた物を見て怪訝な顔をした。
「これがほんとーにクッキーになるのー?」
「疑ってたの?」
ドロリとしたクリーム色の生地は、フィルが知っているクッキーとは似ても似つかないものだ。何かを考えているリタの目を盗んで、生地に指を突っ込んでみる。これが本当にあのクッキーになるのか、とフィルは指先を舐めた。
「ちょっと待っててね」
触ったことがばれたかとビクッとからだをふるわせたフィルの肩を叩いて、リタは玄関を出て行った。窓の外からガタガタと何かをしている音が聞こえる。
数分後、満面の笑みのリタが戻ってきた。手にはフライパンを持っている。
「これを使おう!」
「四角いねー」
「四角いクッキーが作りたいからね」
えっへんと胸を張ったリタの手にあるフライパンは、庭の倉庫にしまわれていた物だった。両親からのお土産で、どこかの地域の名物料理を作るための道具だったはず……とリタの頭には曖昧な記憶が浮かんだ。
綺麗に洗ってみると、十分使えそうだった。
「じゃあここにその生地を、四分の一くらい流し込んで」
「任せてー!」
ドンと胸を叩いたフィルは、ボウルを傾けて生地を注ぐ。
「そーっとね……」
リタのその言葉に、フィルはゴクリと唾を飲んだ。言葉通りそっと生地をフライパンに広げていく。ボウルから四分の一程減った頃、フィルは手を止めてリタを見た。
「このくらいー?」
「うんうん、上手だね」
リタが頭を撫でると、えへへと恥ずかしそうに笑う。少し前までの落ち込みようが嘘のような笑顔に、リタも嬉しくなてわしゃわしゃと頭を撫でた。
「よし、じゃあ焼いてみよう」
「おー!」
拳を突き上げたフィルは、フライパンを手に持ったリタの腰にまとわりつく。
「……ん、いーにおい」
あくびをしたフィルは、のっそりとソファから起き上がる。あんなにやる気満々だったフィルは、一枚目を焼き始めた時にはソファに倒れ込んで寝息を立てていた。
部屋に広がる甘いにおいにつられるようにフラフラとキッチンに入って、フライパンを握るリタの背中に抱きつく。
「最後の一枚がもう焼き上がるから待ってね」
「んー」
フィルはリタの肩に顎を乗せて、フライパンの中を見た。さっきまでドロドロだった液体は、見慣れたクッキーになっている。
「おおー」
「ん? はい、出来たよ」
驚きの声を漏らしたフィルの頭をポンと叩いて、リタは四角いクッキーを皿に上げた。少しいびつな四枚の四角いクッキーと、小さな丸いクッキーが五つ。フィルはその丸い方を指差して首を傾げる。
「こっちはー?」
「生地が余ったから試食用」
どうぞ、と利他が笑って差し出した皿に、フィルは勢いよく手を伸ばす。ほんのり温かいクッキーを指先で摘んで、パクッと口に放り込んだ。
「……どうやってくっつけるのー?」
味の感想は言わず、四角いクッキーを見つめるフィル。リタが目を合わせようとすると、瞳を泳がせて目線をそらした。
「え、美味しくなかったの?」
フィルが美味しいと言わないなんておかしい、とリタは一つ摘んでみる。部屋中がいいにおいで、摘んだクッキーに鼻を近づけてみても甘いにおいしかしない。何か言おうとしているフィルをチラッと見て、リタはクッキーを口に入れた。
「……うん、なんでこんなに粉っぽいんだろうね」
口に広がったのは、なんとも言えない粉っぽさ。確かに甘くはあるけど、何よりも粉っぽさが口に残った。急いでキッチンに戻り、二人分のミルクを注いで一気に飲む。
「もうちょっと混ぜないといけなかったのかなあ」
「た、食べれるよー?」
「食べなくていいから!」
残りに手を伸ばそうとしたフィルの腕を掴んで阻止する。フィルは不服そうだが、リタは自分が作った失敗作を食べさせるわけにはいかないと思った。
「じゃ、じゃあー、組み立てよー!」
「よし、接着剤にするチョコレートを少しだけ溶かすね……あ、光ってるよ?」
フィルの首にかかったペンダントが青く輝いている。リタはペンダントを握るフィルを確認して、キッチンへチョコレートを取りに移動した。
「はーい? ……んー、わかったー」
ペンダントを握ったフィルは、少しだけ話すとリタのエプロンを引く。なぜか無言で、相手がリタと話したいと言っていると伝えた。
「はい?」
『おー、リタ! 君の母親のことなん――』
「すみませんでした! こ、今回は何を……」
相手はクレアだった。リタはクレアの話を遮って頭を下げる。とつぜん部屋に大声が響き、フィルはビクッと肩を震わせた。
『いやいや、違うんだよ。ニーナは料理が得意か?』
「えーっと、まあ得意な方だと思います」
『へー、そうなのか。意外だな』
クレアの真底意外そうな声がリタの頭に響く。突然何の話なんだろう、と思ったリタはクレアの次の言葉を待った。
『ニーナが料理をしたいって言ったからさせるんだけど、ちょーっと不安だったからな』
ケラケラ笑うクレアの声に、リタはさすがに母親が可哀想になった。しかし、すぐに思い直す。
「はい、これからも、あの人の言うことをすぐに鵜呑みにしないでくださいね」
『母親なのに信用ないなあ』
笑い声がさらに大きくなったクレアは、ヒーヒーと苦しそうに息をする。クレアの息が整うのを、リタは静かに待つ。黙っているリタに、フィルは不思議そうに首を傾げた。
『な、リタたちもこっちに来ればいいよ! 母親のご飯なんて長く食べてないんじゃないか?』
そのクレアの言葉に返事をする前に、扉を叩いたサクが玄関から顔をのぞかせた。
「あ、えっと、わかりました、行きます」
フィルの魔法陣があるからサクさんの迎えはいらないのに、とか、母親のご飯はこの前食べたのに、とか、言いたいことを全て飲み込んでリタはそう返事をする。
リタは目の前の粉っぽいクッキーと開けかけのチョコレートを一つの皿に乗せて、反対の手でフィルの腕を掴んだ。
「よし、あっちで完成させよう!」
「お、おー?」
混乱しているフィルの腕を引っ張り、サクの魔法陣に乗る。
どうしてこうも邪魔をされるのか。だけど、今度こそお菓子の家の完成は近い、とリタは思った。




