フィルの弱点は想像力のなさだ
「ただいま帰りましたー」
リタはクレアの地図のおかげで迷わずに帰ってきた。赤と緑のシロップの瓶を一本ずつ抱えている。リタの声に、テーブルに突っ伏していたフィルが飛び上がって駆け寄った。
「リター、クレアが全然教えてくれないー」
「おい、人聞きの悪いことを言うな!」
そう言って追いかけ、リタの腰に抱きついたフィルの頬を指で突く。プニプニと何度も突く。クレアが楽しくなって突いていると、フィルはがぶりと指先に噛み付いた。
「痛っ」
「うえああうううああー」
「わかったから離せよー」
フィルはクレアの指を離し、あっかんべーっと舌を出す。クレアは涙目でフィルを睨み、かじられて歯型の付いた指を恨めしそうに撫でた。リタはそんな二人のやりとりに苦笑いをする。
「ところで、何をしていたんですか?」
抱きついたフィルを引きずるように歩き、机の上を見る。そこには、凍った器と端が焦げた紙、それに溶けかけているいびつな形の氷が四つ転がっている。
「その氷を溶かさせてるんだ」
「どうしてそんなことを……?」
凍らせる魔法の教授をお願いしていたリタは首を傾げる。
「いいから、いいから。さ、フィルやってみてくれ」
リタの腰に抱きついたままのフィルを引き剥がし、椅子に座らせる。クレアは、氷を一欠片フィルの前に移動させて促した。
「だーかーらー、出来ないってばー!」
フィルは不機嫌そうに頬を膨らませ、そろりと氷に手をかざす。しばらく待ってみたものの、フィルの言葉通りなんの変化も起こらない。
しかし、クレアは満足そうな顔をして頷いている。
「こうやるんだ」
今度はクレアが手をかざす。すると、まるでその手が熱いかのように氷が溶け、すぐに机に小さな水溜りができた。
「ほら、もう一度やってみろ」
フィルの前に氷を差し出し、クレアが促す。フィルは面倒くさそうに再び手をかざした。するとどうだろう、みるみるうちに氷が溶けた。
「……できたー!」
「な?」
フィルは自分がやったことなのに目を丸くして驚いた。一拍遅れて喜ぶと、クレアは得意げに胸を張る。それから背伸びをしてフィルの頭を撫でた。
簡単にできたではないか、何が問題なのだろうか。と、リタはますます首傾げる。
「フィルには想像力が圧倒的に足りないんだ。今みたいに、ボクのお手本を見れば簡単にできるのに」
「どういうことですか?」
リタの問いに、クレアはフィルの向かいに座って話しだす。
「魔法のほとんどは、想像力でまかなってるんだ。そりゃあ個人の魔力の問題もあるけど、想像力があれば大抵のことはできてしまう」
リタは曖昧に頷く。微妙な顔をしたリタのことは気にせず、クレアは話を続ける。
「さっきのだと、フィルはあの氷が溶けたらどうなるかわかっていなかったんだ」
そう言って、クレアは残った氷を指先でつつく。
「たぶんボクが、この器の氷を溶かせって言えば簡単に出来たと思うぞ。フィルはこの器に水が入ってるのを一度見てるからな」
今度は凍った器をつつく。
「フィルは一度見ればほぼ確実に出来るようになる。その一方で、見ないと難しいようだ」
わかるような、わからないような、とリタは眉間にしわを寄せた。魔力のない、ただの人間のリタには少しわかりづらい話だった。
「まあ、フィルの弱点は想像力のなさだ、ということだ」
「それってどうすれば……」
「わからん! 普通の魔族は生まれたときから両親の魔法を見て育つから、そういう点で困る奴は少ないんだ」
クレアは腰に手を当てて豪快に笑った。なんの解決にもなっておらず、リタは困惑の表情を浮かべる。
「ええっと……」
「弱点の理解は大切だぞ! ま、フィルは魔法を頻繁には使いたがらないだろうし問題ないだろう。なあ、フィル」
机にできた水溜まりで遊んでいるフィルの頭を撫でる。自分の話をしていたというのに、フィルは全く聞いていなかったようだ。
「えー、なにー?」
「君は面倒くさがりだなって話だよ」
クレアがそう言ってニッと笑うと、フィルもつられて笑った。リタは未だに困惑の表情だ。
「ま、ボクもサクも何かあれば丁寧に教えてやるからな!」
クレアは体を机に乗り出し、困った顔のリタの頭を撫でる。にこりと笑ったクレアの顔と暖かい手のひらは、理解の追いついていないリタを安心させた。




