お世話になりました
次の日、リタはスヤスヤと眠るフィルを覗き込む。
同じベッドで寝たはずのクレアの姿はすでにない。
どのくらいそうしていただろうか、フィルがゆっくりと目を覚ました。
「……おはよ」
ぎゅるる、とフィルのおなかが大きく鳴る。
朝食は食べたものの、クレアの魔法の特訓の途中で軽食をとった程度で夕食時にはぐっすり寝てしまっていたのだから仕方がない。
「……おなかすいた」
「うん、朝ごはん食べたら帰ろうね」
こくり、と頷いたフィルは大きなあくびをしてベッドから立ち上がる。
「おはよー、クレア」
「おはよう! 今日は早いんだな」
リタとフィルがダイニングに向かうと、すでにそこにはクレアが座っていた。
テーブルの上にはたくさんのパンが並んでいる。
「お腹すいたからねー」
「そうか! 今日もたっぷり食べろよ!」
いただきます、と手をあわせると、フィルはすぐに目の前のパンを頬張る。
「もう帰っちゃうんだな……」
手に持ったパンを二つに割きながら、クレアは俯き加減でそう呟いた。
「二日間お世話になりました」
「ああ、こちらこそ無理やり連れてきて悪かったな……」
しん、と寂しい空気が漂う。
フィルがニコニコしたままパンを頬張っていることが、少しだけこの空気を和ませている。
「フィルー、朗報だ!」
寂しい雰囲気を打破したのは、突然飛び込んできたサクの明るい声だった。
「朝食中にすみません、魔王様」
「どうしたんだ?」
サクはクレアに軽く頭を下げ、すぐにフィルに向き直る。
「フィル、サルでもわかる魔法陣の描き方だ!」
そう言ってサクは薄い本をフィルに手渡した。
「サクでもわかるー?」
「サ、ル、な! バカでも出来る、みたいな意味らしい。サルってなんだろうな?
そんなことより、これを持って帰ってくれ。研究室に帰って探してきたんだ」
サクはそう言って胸を張る。
なんでも、初めて自分で買った魔法陣の本らしい。
サクはペラペラと数ページめくって、転移用の魔法陣のイラストを指さす。
「おお、それさえあればいつでもこっちに来られるな!」
先ほどまで悲しげな目をしていたクレアも、テーブルに身を乗り出して本を覗き込む。
「リタでも出来る?」
「あー、魔力がないからリタには難しいな」
「んー、そっかー」
フィルはそう言ってテーブルに本を置き、朝食を再開する。
あまりにもアッサリした態度のフィルに、サクは戸惑いを見せた。
「ま、まあ気が向いたら使ってくれ」
魔法陣の準備は終わってるから帰るときは声をかけてくれよ、と言い残してサクはダイニングを出て行った。
「……リタ、わたしに出来るかなー?」
サクが出て行くと、フィルはリタの耳元でそう呟いた。
クレアが不思議そうな顔で二人を見つめている。
「練習すればできるようになるよ」
「できなかったら二度と来れない?」
フィルは目をうるうるさせ、リタに問いかける。
「うーん、船に乗れば来れるよ」
「ほんと!」
急に大きな声を出したフィルに、リタは耳をふさいだ。クレアはより一層、首をかしげる。
「何が本当なんだ?」
「ここまで船で来れるの?」
フィルが目を輝かせてそう問うと、クレアは苦笑いをする。
「確かに、船で来れないこともないけどなあ。
かなり遠いぞ? 魔法陣の方が早いだろ」
えー、と諦めたような声を出し、フィルは再びパンに手を伸ばす。
サクが作った魔法陣は、城の門のすぐ横にあった。
サクとイアンには先に挨拶を済ませた。イアンは何も言わずにぺこりと頭を下げ、サクは二人をギュッと抱きしめた。
「本当にお世話になりました」
リタが深く頭を下げると、フィルもつられて頭を下げた。
「ああ、気をつけて帰れよ!」
クレアは明るくそう言ったものの、目にじんわりと涙をためている。
「いっ、いつでもそれを使って来ていいからな……」
そう言って、フィルの抱きしめている本を指差す。
その時にはポロポロと涙がこぼれ始める。
「練習するねー」
フィルは明るく微笑み、クレアの頭を撫でる。
撫でるだけでは済まず、ポンと角を抜いてしまう。
「だからこれちょーだい!」
「だ、ダメだ!」
「えー、なんでー」
フィルは角を高く持ち上げ、背伸びをする。こうなるとクレアには絶対に届かない。
取り返そうと飛び上がるクレアの綺麗な金髪が風に揺れる。
「はあ、はあ、角は絶対にやらないからな!」
息を上げて取り返した角を付け直し、フィルを睨みつける。涙はすっかり乾いたようだ。
フィルは疲れたクレアを見て、ケラケラと笑い声をあげた。
「はあ、最後にもう一度聞こう、フィル。
君は人間たちを傷つけたりしないよな?」
「もっちろーん!」
フィルの返事を聞いたクレアは深く頷き、ニッコリと笑顔になった。
「じゃあ魔法陣の真ん中に」
「はーい!」
「目はしっかりつぶれよ」
リタとフィルは言われた通りにギュッと目をつぶる。
「じゃあ、またな」
クレアのその声を合図に、魔法陣は青く光り出す。光が薄くなると、その場にはもう二人はいなくなっていた。
「……また来てくれるかな」
二人のいなくなった後、クレアは一人でそう呟いた。




