第70話:日蝕の胎動
深夜の貨物ターミナル。霧雨に濡れた無機質なコンクリートの上で、不揃いな四つの影が、火花を散らすように交錯していた。
丸山の、怒りを乗せた重量級の剛速球。それを、ゆながバイクに跨ったまま、野性の反射神経で、バットを捨てた掌で弾き返す。その弾道を、リカがタブレットで瞬時に解析し、ショウタが「呼吸の時計」でその全てを記憶していく。
「……ダメだ。四人じゃ、連携のパターンが決定的に少なすぎる。タイタンズの鋼鉄の組織防御を崩すには、あと一箇所。数学的な穴を埋める、精密なピースが必要だ」
ショウタが、オイルの匂いのする練習球を拾い上げた時だった。
ターミナルの、巨大なコンテナの影から、顧問の佐倉教諭が、ひょっこりと幽霊のように顔を出した。その後ろには、フードを深く被り、世界を拒絶するように猫背で歩く一人の少年が立っていた。
「……先生。こんな時間に、ここで何を?」
「いやあ、君たちの非論理的な熱意に、私の計算機が負けてね。あと一人、最高に『扱いにくいバグ』をスカウトしてきたよ」
佐倉教諭が、苦笑いしながら背後の少年の背中を軽く押した。
「私の息子――佐倉智だ。一応、この学校の二年生だよ」
智はフードを払い、眼鏡の奥の無機質な、まるで魚のような瞳でショウタを見た。
その痩せ型の顔立ちは父親譲りだったが、ドローンレースのスティック操作で異常に発達した指先は、常に高周波で細かく振動し、微かな熱を帯びていた。
「……遠藤ショウタ。お前のワールドカップのデータは、既に全フレーム解析した。お前の左腕が放つノイズは、カオス理論に基づいた不規則動体だ。……だが、今の君たちのチームには、そのノイズを『殺意的精度』にまで増幅させる、変換装置が足りない」
智は、足元に転がっていたボールを無造作に拾い上げた。一度も構えることなく、手首の極小のスナップだけで放たれた一球。
ボールは、音もなく空気を切り裂き、十メートル先のコンテナの、わずか一センチの歪んだ隙間に、磁石に吸い寄せられるように正確に吸い込まれた。
「……精密誘導。あんなのを、ノーモーションのスナップだけで――」
リカが、驚愕で声を震わせた。「智くん……あなた、中学時代にドローンレースの全国大会で、『機体が速すぎて審判の視認限界を超えた』という理由で失格になった、あの伝説の――」
「……ルールという名の演算式が、僕の指先の速度に、ついてこれなかっただけだ。ドッヂボールも、同じだろう? 投げた球が、当たるか、当たらないか。その確率を、一〇〇パーセントに収束させるだけの、単純な作業だよ」
智は、感情を消したショウタの父・健司とは、別の意味で論理の極致にいた。だが、その完璧すぎる論理ゆえに、彼はこの下層の高校で幽霊部員として埋もれていたのだ。
「……よし。これで、僕たちの五人が揃った」
ショウタは、智に向かって、躊躇なく右手を差し出した。
破壊の力――丸山。
観測の眼――リカ。
野生の反射――ゆな。
絶対の精密――智。
そして、全ての中心となる不規則なノイズ――ショウタ。
バラバラな欠損と絶望を抱えた五人が、ついに、一つの「獣」の形に成った。
「九条太陽を倒すための、チーム名が必要ね」
リカの提案に、丸山が「『野良犬』で、いいじゃねえか」と口にしたが、ショウタは、静かに首を横に振った。
「……いや。ストリートドッグスは、清盛監督たちが守り抜いた魂の名前だ。僕たちは、僕たちの新しい名前で、あの眩しすぎる太陽を、呑み込む必要がある」
ショウタは、夜空を見上げた。煤けた雲の向こう、アッパーシティの不気味な人工光が、太陽のようにミドルシティを見下ろしていた。
「エクリプス(日蝕)。……これが、僕たちのチーム名だ」
かつての清盛が冠していた、伝説の名。
光り輝くシステム――太陽――を、影の存在である自分たちが、一時的に、だが完全に覆い隠し、世界を闇に突き落とす。
その不敵な名前に、ゆながニヤリと不敵に笑った。丸山が拳を鳴らし、智は無言で眼鏡を直した。リカは誇らしげに、タブレットのチームロゴを漆黒の円、「Eclipse」へと書き換えた。
ウォッチが震えた。ジョスからのメッセージだった。
【エクリプス。影が、傲慢な太陽を食らう物語ね。素敵。Shota、その五人で、世界の常識を、徹底的にバグらせてやりなさい。……あなたの影、見失わないように見てるわ】
その時、ターミナルの入り口に、不釣り合いな一台の漆黒の高級セダンが滑り込んだ。
タイタンズの九条太陽。彼は窓を開け、冷淡な一瞥とともに、ショウタたちを「路上のゴミ」を見るような目で見下ろした。
「……五人、ようやくゴミが集まったようだね。精々、一ヶ月後の練習試合まで、その偽りの結束を、楽しんでおくことだ。システムの『正解』の前に、影など残るはずがないのだから」
車が去った後。ショウタはハチを抱え上げるように、胸の奥で、激しく鳴る呼吸を整えた。
ヒュー、ヒュー。
壊れた肺の音が、五人の不揃いな鼓動と共鳴し、一つの巨大な「黒い影」となって、深夜のターミナルの闇に広がっていった。
「……やるぞ。エクリプス、始動だ」
十六歳の春。
太陽を喰らう、日蝕のカウントダウンが、今、静かに、始まった。




