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からくりドッヂボール  作者: 水前寺鯉太郎
ワールドカップ編

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55/80

第55話:左利きの記憶(2)

 ドバイ・ナショナル・スタジアム。

 十二万人の飢えた咆哮が、まるで事象の地平線に飲み込まれたかのように、一瞬で「真空」へと消えた。

 

 巨大ホログラムが映し出すのは、一人の少年の、魂を削り出すような叫びだった。

 

「……なんで、僕たちを捨てたんだっ! 答えてくれよ、親父!!」

 

 ショウタの声が、コートの最深部、ロシア代表の絶対的処刑人、エンドウ・ケンジの鉄の胸板を貫いた。振り抜かれる寸前だった漆黒の左腕が、物理的に凍りついたように、その軌道上で静止した。

 

 ケンジの赤い光学レンズが、内部回路の激しい衝突コンフリクトを告げるように、狂ったパルスで点滅を繰り返す。感情をパージし、戦場の論理を上書きしたはずの軍事規格ミリタリー・スタンダードが、たった一人の「息子」という名の致命的なバグによって、内側から激しく焼き切られようとしていた。

「答えろよ! ……覚えてるんだろ? あのミドルシティの、冬の朝の冷たさを。……僕と一緒に台車を押した、あの指がちぎれそうな鉄の重さを!」

 ケンジの左腕が、ガタガタと、異音を立てて震え出す。

 それは機械のサーボモーターの故障ではない。九九・八パーセントを鉄に変えた身体の、その奥底に唯一残された「人間」の基板が、必死に咆哮している証だった。全身の冷却フィンから、過負荷による真っ赤な蒸気が悲鳴を上げて噴き出す。

 ピーーーーーッ!!

 主審の電子笛が、墓場のような静寂を切り裂いた。

規則違反ファール! キープ・フォー・ファイブ(五秒保持)。……攻撃権を日本代表へ移譲!」

 スタジアムが、地鳴りのような動揺に包まれる。

 世界最強のキャプテンが、あまりに「人間的な迷い」のために、ボールを投げるというプログラムの初歩さえも忘却したのだ。

「……来ましたね。全ての理屈が、情念にひざまずく瞬間が」

 ベンチで立ち上がったオオシロ・カナタが、震える指で眼鏡のブリッジを押し直した。

「システムは、過去の事象から未来を予測する。……ですが今、エンドウ選手の脳内を支配しているのは、予測不能な『後悔』という名のノイズだ。……今の彼は、全武装を剥がされた丸裸の人間と同じです」

「……ショウタ、受け取れ。これに、計算はいらない」

 暫定主将、神崎レンが、これ以上ないほど静かな、だが全意志の温度を孕んだパスを、エースへと送った。

 

 ショウタは、その熱を左手に収める。

 激しかった痺れは、いつの間にか消えていた。代わりに全身を駆け巡るのは、かつてないほど澄み切った、世界と調和する「喘息のリズム(ビート)」。

 

「……父さん。……もう、言葉の答えはいらないよ」

 

 ショウタは、左腕を、心臓の鼓動を込めるように深く引き絞った。

 父から呪いとして継いだ「癖」。仲間から命として預かった「熱」。そして、自分が下層の泥の中で培ってきた不完全な「ノイズ」。

 そのすべてが今、因果を断ち切る一本の「弾丸」へと凝縮されていく。

 

「……コートで、全てを話そう」


ドバイの人工的な夜空に、一筋の、絶対的な閃光が放たれようとしていた。

 それは、模倣コピーでも復讐でもない。

 一人の「野良犬」が、己の運命を自分自身のものとして刻むための、世界にただ一つしかない、不規則な、しかし気高い弾道だった。

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