第53話:清盛が倒れる(2)
ドバイ・ナショナル・スタジアムの中央。
かつて孤独の頂に君臨していた王様、神崎レンは、今、二人の「野良犬」を繋ぐ最強の神経回路と化していた。
「……サクラ、右後方二十度! 敵駆動装置の励磁音が臨界に達した。……来るぞ、逃がすな!」
神崎の赤い光学レンズが、サクラの直感が捉えた微細な「音の不協和音」を即座に戦術座標へとコンバートする。
「了解……! 〇・四二秒後、死角から低空のトルネード・スピン!」
サクラの、網膜を焼くような情報の濁流に耐える鋭い聴覚。神崎の、回路を自焼させながら導き出す冷徹な演算。それが一本の眩い「予見の線」となり、マウンドで牙を剥くタイシへと注ぎ込まれる。
「へっ……スキャン完了だぜ、キャプテン!」
ガリィィィンッ!
タイシの右腕。重加速カウルを逆噴射させ、軍事規格の理不尽な重圧を真正面から殴りつける。物理的な青白い火花を散らしながら、黒ボールをロシアの「聖域」へと力技で押し戻した。
【アンドレイ HP:460 → 430 / 警告:装甲に深刻な金属疲労を検知】
「……全て、私の許容範囲(計算)通りだ」
神崎の義腕の隙間から、内部回路の溶解を告げる熱い蒸気が凄絶に噴き出した。かつては己のスコアを更新するためにしか使わなかったその知性を、彼は今、仲間の盾を補強し、道を拓くために全て捧げている。それは、機人が初めて「信頼」という、生存には不必要な不条理なプログラムを書き込んだ瞬間だった。
だが、スタジアムを覆う巨大モニターに映し出された数値は、依然として、神が引いた境界線のような絶望的格差を刻み続けていた。
「……ショウタ選手。見ていなさい」
ベンチで静かに座るオオシロ・カナタが、過負荷で微かに震える指で、ショウタの肩を優しく、だが力強く叩いた。
「ロシアの他の選手は、ただの『盤面の露払い』に過ぎない。……彼らがこれほどの苛烈な猛攻を仕掛けるのは、中央に鎮座するあの男――エンドウ・ケンジを、世界で最も無慈悲で美しい『処刑人』として温存するためです」
ショウタは、ネットの向こうで石像のように静止している父を見つめた。
父の赤い走査レンズは、まだ一度も、自分の方を向いていない。
まるで、瀕死の獲物が自ら絶望し、自分の足元まで這いつくばってくるのを、プログラムされた冷徹さで待っているかのようだった。
「……親父は、僕が……僕たちが本当に死ぬ瞬間にしか、動く価値がないと思ってるんだ」
ショウタは、痺れを通り越して熱を持ち始めた左手を、強く握り締めた。
「ヒュー……、ヒュー……」
喉の奥で鳴り響く、不治の喘鳴。
だが、その音はもはや、弱さを隠すための悲鳴ではなかった。
(――なら、僕から行くよ、親父。……あんたの完璧な予定表を、僕のこの『欠陥』で、バラバラに書き換えてやる)
神崎たちが命を削って守り抜くコートの熱気。
その最前線へ、一人の少年が、吸入器をベンチに置き去りにして、確実な一歩を踏み出した。




