第52話:清盛が倒れる(1)
ドバイ・ナショナル・スタジアム。
十二万人の観衆が、コートの隅に力なく崩れ落ちた一人の男を、呪われたような静寂の中で見つめていた。
「……清盛さんっ!」
ショウタの悲鳴がアリーナに響く。だが、清盛のライフゲージは無情にも「0」を刻み、警告の赤光を点滅させていた。
第2部。ボロボロの旧式機体を酷使し、誰よりも先に死線のマウンドに立ち続けてきた男。その精神の貯蔵量は、もはや一滴も残っていなかった。
清盛は、外野へと運ばれる担架の上で、微かに濁った目を開けた。
「……神崎。……あとは、お前が、この群れを……」
血を吐きながら紡いだその言葉を最期に、彼は静かに意識を手放した。
「……日本代表、暫定キャプテンの選定を。工藤コーチ、即座に判断を仰ぎたい」
審判の、冷徹な合成音声。工藤が眼鏡の奥で苦渋のホログラムを開こうとしたその瞬間。コートの中央で、一人の男が、折れた誇りを拾い上げるように右腕を高く挙げた。
神崎レン。
鏡面仕上げの特注義腕から、激しい過負荷演算による白熱した排熱を噴き出し、彼は工藤を真っ直ぐに射抜いた。
「――俺がやる。……清盛の代わりに、この『ストリートドッグス(野良犬)』の喉笛を、俺が預かる」
その声には、かつてのアッパーシティのエリート特有の、鼻持ちならない尊大さは微塵もなかった。そこにあったのは、倒れた戦友の温度を背負った、重く、凄絶な「覚悟」だけだった。
工藤は、眼鏡の奥で、初めて一人の「人間」として神崎に頷いた。
「……了解した。日本代表暫定主将、神崎レン。……全権を、お前に託す」
「タイシ、入れ。……お前の右腕で、奴らの軍事規格という名の『壁』を、物理的に叩き割れ」
神崎の、容赦のない指示が飛ぶ。
「へっ……。了解だぜ、キャプテン!」
タイシが右腕のカウルを猛然と唸らせ、餓えた狼のような、牙を剥いた笑みを浮かべてコートへ躍り出た。
「サクラ、俺の背中に立て。お前の『非言語的な揺らぎ』を、俺のプロセッサにリアルタイムで直接流し込め。……お前の直感と、俺の論理。……二つ合わせて、ロシアの軍事AIの裏をかく」
「……分かった、レン。……同期、開始!」
ショウタは、神崎の指示に従い、肩で激しく喘ぎながら一旦ベンチへ下がった。
「ヒュー……、ヒュー……」
止まらない喘鳴。だが、不思議と心は凪いでいた。清盛が命懸けで繋いだボロボロのバトンを、今、あの神崎レンが血を流しながら握りしめている。
(――まだだ。……まだ、僕の左腕は、戦いを拒否してなんかいない)
ショウタは、オオシロから手渡された吸入器を、肺を破らんばかりの深さで吸い込んだ。
コート中央。
神崎とサクラが、背中合わせで一つの巨大な「多感覚生命体」と化していた。
ロシアのアントノーヴィッチが放つ、音速の『トルネードショット』。
神崎の瞳が、赤い演算光と、サクラの網膜が捉えた「色彩の揺らぎ」に同時に染まる。
「……見えたぞ。一千億の演算を嘲笑う、軍事規格の唯一の『死角』が!」
神崎の放った、光の矢の如き一撃が、砂漠のスタジアムに、逆転への凄絶な火花をぶち開けた。




