第41話:システムの壁(1)
準決勝、当日。
ドバイ・ナショナル・スタジアムを支配していたのは、砂漠の熱狂とは一線を画す、無機質な「回路の沈黙」だった。
対戦相手、中国代表『龍神経』。
「……連中は五人で、一つの巨大な並列演算機だ」
工藤が戦術ルームのホログラムで展開したのは、個人のスペック表ではない。五人の生体ニューロンが複雑に絡み合う、巨大な「集積回路図」だった。
「リン(視覚)、チョウ(聴覚)、ゴウ(嗅覚)、ホン(触覚)。各選手が専門化して収集した全感覚情報は、主将チョウに集約され、ミリ秒単位の最適解として全選手に瞬時に再配布される。……彼らには個の『意志』などない。ただ、巨大な龍の一部として動く生体端末だ」
「……氣が、死んでいる」
ベンチの隅。オオシロ・カナタが、微かに震える声で呟いた。
「彼らの動きには、人間特有の決断の迷いも、勝利への渇望さえもない。ただ、プログラムされた『正解』を冷徹にトレースしている。……私が見てきたどんな怪力よりも、この『完璧という名の檻』は冷酷だ」
ピーーーーーッ!
ホイッスルが鳴った瞬間、日本代表『ストリートドッグス』の牙は、目に見えない網膜上の「網」に捕らえられた。
清盛が『瞬足』を起動するより早く、中国のハンが最短経路でその進路を予測し、塞ぐ。
「……っ!? 動作の予備段階で、もう着弾点を……!」
【清盛 HP:100 → 80 / 警告:神経伝達を逆探知された模様】
神崎レンの精密な鏡面義腕が、異常な負荷による警告を弾き出した。
「……馬鹿な。メタルコープ社の最新演算コアを、生身の神経連携が上回るだと?」
神崎の処理装置が、かつてない情報飽和に悲鳴を上げる。彼がどれほど最適解を導き出そうとも、五つの感覚をリアルタイムで共有する中国の「分散処理」は、神崎の予測の数手先を、無機質な静寂の中で支配していた。
「神崎、焦るな! 奴らは個で戦っていないだけだ。システムの繋ぎ目を探せ!」
清盛が叫ぶが、その声の「周波数」さえもチョウ(聴覚)によって解析され、次の陣形構築の材料へと変換されていく。
ベンチで見つめるショウタの肺に、じわりと、鉄板を置かれたような重い圧力がかかった。
「ヒュー……」
漏れ出した喘鳴。その微かな振動、血中の酸素濃度低下さえも、コートの向こうのゴウ(嗅覚)が「焦燥のサイン」として冷静に捕捉しているのが視覚的に理解できた。
(――全部、計算されている。僕の恐怖も、左腕の震えも、……親父から呪いのように継いだこのフォームさえも。全部、彼らの『正解』の中に組み込まれているんだ)
オオシロが、震えるショウタの隣に静かに座った。
「……システムは、人間が設計したものです、ショウタ選手。そして人間という生き物は、自分が体験したことのない『バグ』を設計に組み込むことは、決してできません」
オオシロの、澄んだ「生身の眼」が、無機質な回路を見据える。
「あなたの左腕にあるのは、データにはない『死と生の不協和音』です。……それを使って、あの冷徹な龍の回路を、内部から焼き切ってください」
ショウタは、感覚を失いつつある左手を、壊れるほど強く握り締めた。
目の前にあるのは、完璧な正解を出し続ける巨大な壁。
だが、その正解の積み重ねこそが、予測不能な「野良犬」の一咬みに屈することを、少年はまだ、血を吐きながら信じようとしていた。
準決勝、序盤。
絶対的なシステムの檻の中で、一筋の、耳を劈くような不協和音が鳴り響こうとしていた。




