第40話:父への問い(2)
「左利き」という名の、逃れられない呪縛。
ショウタは、冷たい強化フェンスを指が白くなるまで握りしめたまま、マウンド中央で重低音の唸りを上げる父・健司の左腕を凝視していた。
ドォォォォォォンッ!
放たれた黒ボールが、空気の壁を物理的に圧壊し、マッハの衝撃波とともに鋼鉄の壁へ無惨なクレーターを刻む。衝突地点の金属が、摩擦熱でドロリとオレンジ色に溶けていた。
(――同じだ……。引き絞る肩の角度、リリースの瞬間に指先が空気を弾くスナップ……。一分の狂いもなく、僕が鏡の中に見出そうとしていた『理想』そのものじゃないか)
だが、その威力は次元が違った。HP750という暴力的な出力に乗せられた、完璧に最適化されたシュート回転。ショウタが必死で生み出している「不規則なノイズ」を、父は演算装置の一部として——まるで使い古したOSのように——完璧に支配し、加速させていた。
なぜ、母を捨てた。なぜ、笑い方を忘れ、ただの鉄の塊になった。
問いかけたい言葉は、喉の奥で「ヒュー……」という乾いた、砂を噛むような喘鳴に変わり、言葉の体をなさない。
その時、背後の闇から、合成音声のような冷徹な声が響いた。
「……日本代表の『野良犬』。……いや、エンドウのスペア(息子)か?」
ショウタは心臓が口から飛び出すのを感じ、弾かれたように振り返った。
そこには、ロシア代表のエンブレムを付けた、灰色の重厚なスーツを纏った男が立っていた。男の傍らに浮遊する監視ドローンが、青白い走査線をショウタの網膜に浴びせている。男が持つタブレットには、ショウタのバイタルデータと、それと酷似した——しかし「欠陥」のない——遠藤健司の二十年前のログが並んでいた。
「……間違えました。すぐに、戻ります」
ショウタは脱兎のごとく、その場を駆け出した。
「エンドウの息子か?」
その問いが、ドバイの無機質な廊下に反響し、影のように追いかけてくる。振り返れば、自分のこれまでの「意地」が、すべて血の繋がっただけの安っぽいコピーとして崩壊してしまう気がした。
ロッカールームへ戻り、洗面所の鏡の前で自分の顔を殴りつけるように冷水を浴びる。
サクラやタイシの、戦いに備えた深い寝息が聞こえる静寂の中。自分の左手の痺れだけが、マウンドで見た父の残像と、不気味に、完璧に同期するように脈打っていた。
(――僕のこの腕は、ただの型落ちのコピーなのか? 僕の意志だと思っていたものは、あの怪物の中にあるパーツの一つに過ぎないのか?)
手元のウォッチが、静寂を切り裂くように無機質な通知を弾き出す。
【準決勝・第二試合:日本代表 vs 中国代表 『龍の吐息』】
【戦術特性:神経同調 / 推定HP:2100】
次は、アジアの巨龍。五人が一人のように思考を共有する、絶対的な「群れ」の化身。
だが、瞼を閉じても浮かんでくるのは、夜の練習場を血の色に染めていた、父の冷たい光学レンズの走査光だった。
ショウタは左手を、壊れかけの精密機械を抱くように、胸の奥へと押し当てた。
「ヒュー……、ヒュー……」
止まらない喘鳴。
だが、今の彼には微かに見えていた。父の完璧な投球の中に欠けていた、唯一の「ノイズ」。
それは、自分という存在が父のコピーであることを拒絶するための、唯一の、そして最も歪な「人間」としての叫びだった。




