第39話:父への問い(1)
深夜のドバイ。
砂漠の熱を吸い込んだアスファルトが、内臓を焼くような不快な廃熱を放っていた。
〈ヘリオス・ドーム〉の狂乱から切り離された選手専用施設、その最深部。
ショウタは、警備ドローンの走査を死角でやり過ごし、東側の「禁域」へと足を踏み入れた。
ロシア代表『レッド・ベア』専用エリア。そこはアッパーシティの清潔さとも、フランスの優雅さとも違う、重厚な鉛の壁に囲まれた、戦車を整備するための「兵器庫」そのものだった。大型冷却ファンが、低く不気味な重低音を響かせている。
「……あいつ、か」
強化フェンスの影で、ショウタの呼吸が凍りついた。
中央のマウンドに立つ、巨大な影。
遠藤健司。HP750。全身換装率99.8%。
掲示板のホログラムよりも、実物ははるかに禍々しかった。顔の左半分を覆う漆黒のクロム合金。赤い光学レンズが、深夜の暗闇を獣の眼差しで掃射している。彼が呼吸するたびに、人工喉頭から「プシュッ」という高圧蒸気の漏れる音が響き、周囲の湿度が不自然に上昇していた。
だが、ショウタの網膜を釘付けにしたのは、その鉄の貌ではない。
「左」だ。
父は、黒ボールを左手に収めていた。
そして次の瞬間、ショウタの全身の細胞に、激痛にも似た「既知の衝撃」が走った。
父が、ボールを引き絞る。
左腕の角度。肩のしなり。膝の踏み込み。
それは、ショウタが下層の錆びた体育館で、鏡の中の自分を、自分の弱さを、呪いながら何万回と繰り返してきた「あのフォーム」そのものだった。
ドォォォォォォンッ!!
放たれた一投。空気が物理的に、断熱圧縮を起こして爆ぜた。
ボールはショウタが得意とするシュート回転を伴いながら、機人の限界を超えた超高周波振動を纏って、アリーナの強化装甲壁を無惨に凹ませた。衝突地点の金属が、摩擦熱でオレンジ色に溶けている。
ショウタの左腕が、自らの意志を裏切り、ガタガタと激しく痙攣を始めた。
憧れではない。怒りですらない。
自分の血の中に流れている唯一の武器が、目の前の「完成された怪物」によって完全に解析され、無価値なガラクタとして凌駕されているという、生物学的な死の恐怖。
ヒュー、という喘鳴が、窒息寸前の喉の奥から漏れた。
十年。家族を、母を、僕を、ゴミのように捨てた男。
その男が、自分に世界を戦う牙を与え、そして今、その牙を粉砕するためにここに立っている。
父が、ゆっくりと、音もなく振り返った。
赤い光学レンズが、影に潜むショウタを、逃さず座標としてロックする。
「……誰だ。……立ち入り禁止区域だぞ」
人工喉頭が合成した、感情の欠落した重低音。
ショウタは、震える膝を叩き、一歩、光の下へと踏み出した。もはや、吸入器を握る指を隠す必要などなかった。
痺れる左手を、自分の胸に強く押し当てる。
「……日本代表、『ストリートドッグス』のアタッカー……ショウタです」
その名を口にした瞬間、アリーナの冷却ファンが止まったかのような、絶対的な静寂が訪れた。
父の赤いレンズの中で、一瞬だけ激しいノイズ(走査線の乱れ)が走り、小さな、あまりに小さな「人間としての動揺」が火花を散らしたのを、ショウタは見逃さなかった。
砂漠の夜。
宿命という名の、最悪の再会が、今、幕を開ける。




