第38話:正攻法で殴る(2)
ピーーーーーッ!
ドバイ・ナショナル・スタジアムに、運命の審判を告げる電子ホイッスルが鳴り響いた。
だが、十二万人のスタジアムを包み込んだのは歓喜ではない。巨大な、そして冷徹な「混乱」だった。
【日本代表:Total-Life 280 vs イギリス代表:Total-Life 930】
掲示板に表示された圧倒的な数字。イギリスの観衆が勝利を確信し、立ち上がって優雅な拍手を送ろうとしたその瞬間——。
ベンチから立ち上がったオオシロ・カナタが、一通の機密ホログラムをマウンド中央へ投射した。
「IDF公式規定、第三十一条――通称『サバイバル・プロトコル』だ。審判、その目を見開いて確認しろ」
オオシロの声は静寂を貫き、主審ヒギンズの鼓膜を鋭利なナイフのように切り裂いた。
「ベスト8以降の試合において、合計ライフで劣るチームであっても、その『自機損耗率』が相手チームの半分以下である場合、生存能力を評価し、そのチームを『戦術的勝者』と定義する。……工藤、データを出せ」
「了解。イギリス代表、過度な関節出力による自壊ダメージ比率、実に64\%。対して我々ストリートドッグスは、生身の回避率を極限まで高めた結果、内部損耗率はわずか$12%$だ」
ヒギンズ主審の顔から、一気に血の気が引いていく。
彼が守ろうとした「伝統」と「階級」。それは、彼らがかつて「資源を浪費する下層民」を管理するために作った、冷徹な効率のルールによって、自らの首を絞める結果となったのだ。
十二万人の観衆が、一転して地鳴りのような咆哮を上げる。それは、泥臭い野良犬が、磨き抜かれた騎士たちの首を、彼らの作った法で毟り取った瞬間への、狂乱の賛辞だった。
「……計算完了。この判定を覆す論理は、世界中のどのサーバーにも存在しない」
神崎レンが、鏡面仕上げの義腕から熱の蒸気を排出し、膝をついたコンスタントを冷徹に見据えた。
神崎の処理装置には、今、新しいアルゴリズムが学習されていた。それは「個の最適化」を捨て、「五人で立っていることの継続」を最優先とする、ストリートドッグス特有の「群れの生存戦略」だった。
「……やりやがったな、ガキ。……最高の気分だぜ」
タイシが、痺れる腕でショウタの肩を叩いた。
その顔には、判定に怯えていた前半の影はない。正攻法の拳で、そしてルールという盾で、世界の宗主国を土俵際で投げ飛ばした、本物の男の笑みがあった。
通路へ続く闇の中。ショウタは隣を歩くオオシロの、静かな横顔を見た。
「……オオシロさん。あの規定、本当にあったんですね。お伽噺じゃなくて」
「ああ。……機械化選手が主流になる前、生身の人間が、どうやって鉄の怪物たちの中で『生き残るか』を死に物狂いで考えていた時代の遺産だよ」
オオシロは、自分の傷ついた膝を愛おしそうに撫でた。
「ショウタ選手。……次からのロシア戦は、これまでのどんな理論も、歴史の遺産も通用しない場所になる。……だが、あなたのその左腕にある『ノイズ』だけは、誰も奪えない。それを、大切にしなさい」
ショウタは、ポケットの中で痺れ続ける左手を強く握り締めた。
指先は、まだ震えている。だが、その震えこそが、次の戦い――父・エンドウ・ケンジという名の怪物への、唯一の「自分」という回答になることを、彼は確信していた。
ベスト4。掲示板には、次なる対戦カードが、不気味に、そして神秘的に明滅していた。
【準決勝:日本代表 vs 中国代表 『龍の吐息』】
「……行くぞ。野良犬の咆哮を、天辺まで届かせるために」
清盛が先頭を歩く。その広い背中に、もはや「広告塔」の悲哀はなかった。
世界をバグらせる野良犬たちの咆哮は、いよいよドバイの夜を支配し始めていた。




