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からくりドッヂボール  作者: 水前寺鯉太郎
ワールドカップ編

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34/80

第34話:壊れない美しさ

 試合開始の電子ホイッスル。

 ヘリオス・ドームを埋め尽くした十二万人の観衆が、一斉に肺から空気を抜き取られたかのような静寂に包まれた。

 コートの上で展開されたのは、ドッヂボールという名の「残酷な舞踏」だった。

 フランス代表『レ・フルール』の五人が描く、幾何学的な視覚の波紋。それは美しさという名の毒となって、日本代表の脳内演算を直接ハッキングし、距離感を狂わせていく。

「……視覚情報をパージ。情報の優先順位を物理座標の熱源のみに固定。……脳が焼けるな」

 神崎レンが、鏡面仕上げの義腕から冷却用蒸気を噴き出し、最短経路で突進する。

 だが、フランスの主将アンジェリクは空中で蝶のように半回転し、神崎の「正解すぎる」弾道を紙一重で回避した。

【神崎 HP:450 → 430 / 警告:装甲に高周波の剥離痕】

 完璧なエリートの装甲に、初めて「様式美」という名の致命的な傷が刻まれた。

「……私の目、焦点が結ばない。……色が、多すぎるのよ」

 サクラが、ジャネットの放った『消えるボール』に翻弄され、コートの隅へ転がった。ジャネットの動きには、サクラが読み取ってきた「無意識の揺らぎ」すらも美の一部として調律されていた。予測線が万華鏡のように分裂し、彼女の網膜を白濁させる。

「音を聴け、サクラ! 視覚を捨てて、アリーナの空気の『悲鳴』だけを抽出サンプリングしろ!」

 ベンチから工藤クドウが叫ぶ。サクラは泥と冷却液の混じった床を噛み、ゆっくりと立ち上がった。彼女は自分の視覚野を物理的にシャットダウンし、目を閉じた。耳から一筋の血が流れるほどの集中。12万人の怒号が「白いノイズ」へと沈み込み、その中に、空間を切り裂く黒球特有の「金属的な旋律」だけが浮かび上がった。

 試合開始から二分。不協和音を奏でたのは、鳳凰院ホウオウイントキだった。

 彼は攻撃を一切放棄し、フランスの描く「黄金比の構図」の中へと自らを無理やり滑り込ませた。

(――あんたたちの完璧なキャンバスに、俺という『不潔な生身』を塗りたくってやる)

 トキが「美の一部」としてノイズを放ち続けることで、フランス選手たちの美学は、彼を認識から排除できなくなる。その刹那、完成されていた舞踏に、コンマ数秒の決定的な遅滞ラグが走った。

 神崎レンの処理装置が、その一瞬の「綻び」を逃さず、冷徹に照準を固定した。

 エリートと不服従者。水と油の二人の理屈が、勝利への細い糸で繋がった瞬間だった。

「……今だ。ノイズの極致を叩き込め、ショウタ!」

 ショウタは、自らの肺が奏でる「ヒュー」という喘鳴を、フランスの三秒周期の呼吸律に強引に叩きつけた。

 左腕を一閃。

 放たれたのは、美しい軌道を根底から「破壊」するための、歪なシュート回転。

 空中で急激にジャイロ回転を失い、死んだ魚のように不規則に失速、再加速する黒ボール。その「計算不能な醜悪さ」が、ジャネットの網膜を捉えた。

【ジャネット HP:250 → 200 / 警告:生体ユニットに損傷】

「……嘘。私の、私の計算した『完璧』が……!」

 美学の崩壊。そこへ、温存されていた最後の理不尽が投入された。

「お待たせ、ガキ共。……その綺麗なお顔を、下層の泥で塗りつぶしてやるよ」

 清盛と入れ替わり、オーバーヒート寸前のタイシがマウンドへ躍り出た。

 『1ミニッツ・パワー』。彼は右腕の肉が焼ける匂いを撒き散らしながら、一分間の全出力を、フランスの様式美を粉砕する「重質量の一撃」として使い切った。

「試合終了! 日本代表『ストリートドッグス』、グループステージ突破!」

 十二万人の歓声が、ドームの屋根を物理的に震わせた。

 サクラは膝をついて、耳からの血を拭いながら笑った。タイシは炭化したカウルを放り出し、中指を立てた。

 

 ロッカールームへ続く通路。ショウタは隣を歩く清盛に、迷いのない視線を向けた。

「……清盛さん。僕、ロシア戦、絶対に出ます。……何があっても」

 清盛は立ち止まらず、ただ短く「……ああ」とだけ応じた。その声には、命令ではなく、一人の独立した「野良犬」への、深い敬意がこもっていた。

 ショウタはポケットの中で、激しい痺れを繰り返す左手を強く握り締めた。

 痺れは、もはや恐怖ではなかった。喘息も、自分を定義するビートだった。

 この不完全な肉体こそが、世界の「完璧なシステム」を撃ち抜く唯一の弾丸であることを、彼はもう骨の髄まで理解していた。

 ベスト8、イギリス代表。……「外科手術」と称される冷徹な解剖学の牙。

 そしてその先に待つ、父という名の、絶対零度の怪物。

 

 野良犬たちの咆哮は、ドバイの熱い夜を、さらに激しく赤く染め上げていく。

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