第33話:消えるボール
第33話:消えるボール
キューバ戦の辛勝から二日。
日本代表『ストリートドッグス』を待ち受けていたのは、砂漠の熱気とは対極にある、冷徹で優雅な「芸術」の罠だった。
「……気づいているか。彼女たちの動きには、明らかな『見せ所』が設計されている」
工藤がホログラムを止めた。そこに映るのは、フランス代表『レ・フルール』のアタッカー、ジャネットの投球フォーム。
タイシが忌々しげにバットを回した。
「見せ所だと? チンタラ踊ってねえで、さっさと投げろってんだ」
「違うわ、タイシ。……あれは、踊ることで私たちの『目』をハックしてるのよ」
サクラが、青白いモニターを食い入るように見つめていた。彼女の「揺らぎを読む目」ですら、フランス代表の計算された舞踏の前では、予測線の焦点を合わせられずにいた。
フランスにおいて、ドッヂボールは「芸術競技」だ。投球の速度よりも、その弾道の優雅さと、相手を欺く「様式美」がスコアに直結する。
「視覚刺激による認知飽和。……論理的な戦術だ」
神崎レンが、鏡面仕上げの義腕を静かに接続した。
「私の処理装置は、視覚情報の優先順位を最低に設定できる。……芸術を『不必要なデータノイズ』としてパージすれば、彼女たちの弾道はただの数値に変わる。今回は、私が先陣を切る」
清盛が頷き、スターティングメンバーを発表した。
神崎、清盛、しょうた、トキ、サクラ。
タイシの一分間爆発力は、フランスの持久戦術に対しては温存するという苦渋の決断。
「……頑張れよ、ガキ。俺の出番、残しとけよ」
タイシの不器用な激励が、ロッカールームの重苦しい空気をわずかに和らげた。
試合開始三十分前。
ドームの喧騒から切り離された薄暗い選手用通路で、しょうたは清盛の足を止めた。
「清盛さん。……話しておかなければならないことがあります」
しょうたは、一気に吐き出した。
ドバイ到着の日に掲示板で見た、ロシア代表キャプテン「遠藤健司」の名前。
五歳の夜、スポーツバッグ一つを残して消えた父の面影。
そして、その父が今、HP750という「怪物」として、自分たちの行く手に立ち塞がっているという事実を。
「……すみません。もっと早く言うべきでした」
清盛は、しばらく何も言わなかった。通路を流れる空調の音だけが、二人の間に漂う。
やがて、清盛はゆっくりとしょうたの肩に手を置いた。その掌は、驚くほど熱く、微かに震えていた。
「……お前の父親のことは、俺には分からない。かける言葉も持っていない」
清盛の声は、硬く、だが揺るぎなかった。
「だが、一つだけ確かなことがある。……その男と対峙した時、マウンドで何をするか。……それを決めるのは、ロシア代表のキャプテンの息子でも、日本代表のアタッカーでもない。……『お前自身』だ」
清盛の手が離れる。
「チームとしては、お前を支える。だが、お前の魂の決着に、俺は一歩も踏み込まない。……自分自身で、答えを掴み取れ」
しょうたは、深く息を吸い込んだ。
肺の奥はまだ焼けるように熱い。だが、その熱はもはや喘息の苦しみだけではなかった。清盛から託された「自由」という名の重圧。それが、しょうたの背中を押し上げた。
「日本代表、入場準備!」
アナウンスが響く。
通路の出口から、十二万人の観衆が待つ眩い光が差し込んできた。
フランスの優雅な殺意。そして、その先に待つ父の影。
「……行こう。……野良犬の意地、見せてやる」
しょうたは痺れる左手を強く握り締め、光の中へと踏み出した。




