第32話:機械じゃないのに
試合時間、残り二分。
ヘリオス・ドームを支配していた、キューバの「規格品交換」という冷徹な合理性が、一人の少年の介入によって内部から瓦解し始めた。
「……ここからは、俺が『重心』を支配する」
鳳凰院トキが、コート中央へ静かに前進した。
これまでの彼は、チームの崩壊を食い止める「防波堤」に徹していた。だが、肺を焼きながら戦場を駆ける清盛の凄絶な背中を見た瞬間、トキの瞳に「NO METAL CORE」のステッカーと同じ、燃え盛るような拒絶の火が灯った。
キューバの連撃。マティスが放つ高周波弾『巨岩落とし』。
だが、トキはその投球の「継ぎ目」——機人特有のスキル切り替え時に生じるコンマ数秒の演算ラグを、生身の勘だけで完璧に捕捉した。
「そこだ、最適解の死角!」
トキが放った牽制球が、マティスの機動ユニットを正確に叩き、演算を強制フリーズさせる。削れたライフはわずか「五」。だがその一撃が、王者のシステムに致命的な「疑念」を植え付けた。
「ショウタ、今だ! 世界の重心を、僕がずらしたぞ!」
ショウタは、サクラが指先から放った鋭い低空パスを左手で掴み取った。トキの動きに釣られ、キューバの防御陣形に一瞬の「空白の座標」が生まれる。
(――左手……。思い出せない、あの人の指の感触……)
掲示板に映った父・ケンジの赤い走査レンズが脳裏をよぎる。だが、ショウタはそれを強引に、肺の奥の喘鳴とともに飲み込んだ。今、この腕に流れているのは、母の手の温もりだけだ。
シュンッ!
ロングパスの距離から放たれた、地面を這うようなスクリュー。
ボールは物理法則を嘲笑うように、外側から内側へ、ケンの視覚ユニットの死角を抉るように曲がり落ちた。
【ケン HP:250 → 230 / 警告:装甲貫通】
「……よし。最後の一分、全部俺に寄こせ!」
タイシの咆哮。
『1ミニッツ・パワー』。彼は右腕の重加速カウルを自爆寸前まで酷使し、キューバのアタッカー全員を同時に迎撃するという、生身の限界を超えた「奇跡」を、肉を焼く匂いとともに完遂した。
【バハマ HP:110 → 50】
【イルマリ HP:95 → 30】
ドームを埋め尽くす十二万人が、初めて「日本」という名のノイズを、地鳴りのように鳴り響かせた。
だが、地獄は終わらない。
残り四十秒。キューバベンチから、最後の一人がマウンドへ歩み出た。
ヘスス。チーム唯一の生身。
彼の瞳には、これまでの機人たちにはなかった「執念」が、ドロリとした濃密な殺意となって宿っていた。
放たれた『変速シュート』。
空中で急激に減速し、相手が回避のリズムを外した瞬間に再加速する、生身の指先の「遊び」だけが成せる魔球。
【ショウタ HP:100 → 85 / 警告:肋骨にヒビを検知】
衝撃がショウタの肺を直接叩く。「ヒュー」という喘鳴が、悲鳴を上げるように高鳴った。
だが、ショウタは血を吐きながら笑った。
(――同じだ。この球、俺の左手と『同じ、泥の匂い』がする)
残り二十秒。
ショウタは、ヘススの放った一投を、空中で停止した瞬間に強引に掴み取った。摩擦で指先の皮が爆ぜ、鮮血がボールを赤く汚す。
「……返すよ。これが、僕たちの『不完全な答え』だ!」
ショウタが投げ返したのは、ヘススの変速をその場でコピーし、自分だけの「シュート回転」を乗せた不規則な怪物。
ヘススが目を見開く。その瞳に映ったのは、技術を超えた、少年の「狂気」という名の伝染だった。
ドゴォォォォンッ!
【ヘスス HP:180 → 90 / 生体活動停止】
ピーーーーーッ!
「判定:日本代表の勝利! ライフ差、わずか15!」
アリーナを包んだのは、耳を劈くほどの歓喜と、冷徹な戦慄。
下馬評最弱の『ストリートドッグス』が、嵐のキューバを飲み込んだ。
帰り際、通路の掲示板に表示された他会場の結果が、ショウタの視界を物理的に凍らせた。
【ロシア代表:780 vs 中国代表:62 / 試合時間:184秒】
圧倒的な、処刑の記録。
ショウタは痺れる左手を、自らの胸に強く押し当てた。
「機械じゃないのに、この強さ」を証明した直後に突きつけられた、「機械ゆえの、絶対的な神の力」という名の絶望。
そのスコアの頂点に、君臨する男。遠藤健司。
「……待ってろよ、親父。……あんたのそのHP750、僕の『命』で、必ずゼロにしてやる」
ドバイの熱い風が、野良犬たちの咆哮を、砂漠の彼方へと運んでいく。
決戦の幕が、今、静かに、そして残酷に上がり始めた。




