第27話:代表選考
代表合宿初日。
『ストリートドッグス』の五人を乗せた加圧エレベーターは、重力の枷を暴力的に振り払う速度でミドルシティの雲を突き抜け、天空の聖域——アッパーシティへと到達した。
「……なんだよ、この空気。吸うだけで内臓が腐りそうだぜ」
タイシが右腕のアーム・カウルを苛立たしげに鳴らした。
国立スポーツセンター。そこを流れる空気は、下層の煤が混じった「生きるための酸素」とは対極にある、滅菌された純粋さだった。だが喘息を抱えるショウタの肺にとって、それは強すぎる洗浄液を直接気管に流し込まれたような、鋭く、冷徹な痛みとして響いた。
足音を吸収する大理石の床。完璧な恒温・恒湿。すべてが、「お前たちはここに相応しくないゴミだ」と無言で囁いていた。
「……君か。下層のバグを引き連れて、ヘリオス・ドームを汚した少年は」
背後から響く、絶対零度の声。
神崎レン(カンザキ・レン)。アッパーシティ第三区のエリートチーム『スカイファイターズ』のエース。
彼の左腕は、鏡面仕上げのクロム合金。一部リーグの量産型とは一線を画す、軍用機の機体素材を転用した、一国の予算に匹敵する特注品だ。駆動するたびに、優雅な旋律を思わせる高周波の唸りが周囲の空気を震わせる。
「神崎レンだ。君の投球、ログですべて解析させてもらった。面白いが——世界では通用しない」
神崎は、ショウタを人間として視界に入れることさえ拒むように、網膜上のホログラムを操作した。
「ロシアのエンドウ、アメリカのジャック。彼らの予測演算モデルは、君のような生身特有のノイズさえ既に物理変数としてインポート済みだ。君の球は、彼らのレンズを通せば『ただの震えた直線』として処理される。……無駄死にする前に、その左腕、機材に換装したほうが身のためだ」
神崎の瞳には、敵意すら存在しなかった。そこにあるのは、顕微鏡で害虫を鑑定するような、絶対的な階層の断絶。
タイシが殴りかかろうとするのを、スエが「……よせ、バイタルを無駄にするな」と、氷のような冷静さで制した。
選考試合が始まった。
アッパーシティの完璧な照明。慣性制御されたコートの床。そこで放たれる神崎の投球は、カインのそれを嘲笑うほどの「最適解」の塊だった。
【神崎レン 投球速度:212km/h / 弾道誤差:0.003%】
速度そのものよりも、その球が「放たれた瞬間に着弾が確定している」という、決定論的な美しさがショウタを戦慄させた。
対する青チームのショウタに、黒ボールが回ってくる。
(――世界には、通用しない……。親父も、こんな絶望を投げつけられたのか?)
神崎の宣告が、肺の奥でカミソリのようにヒリつく。だが、ショウタは左手を引いた。
狙ったのは、神崎の胸元ではない。
シュンッ!
ボールは神崎の足元、床の慣性制御パネルの「継ぎ目」をピンポイントで叩いた。
「……っ!?」
直接打撃のみを演算していた神崎の予測エンジンが、物理的な反射角の「バグ」によって、コンマ二秒のフリーズを起こす。
生身特有の不規則な回転を、無機質なパネルの隙間に噛ませ、跳ね返りを「制御不能な乱気流」へと変える。アッパーシティの美しさを、足元から泥で汚すような、ショウタなりの執念の一投。
「……バウンド狙いの攪乱か。非論理的だな」
神崎の吐き捨てた声に、初めてわずかな「ノイズ」が混じった。
その夜。宿舎の広間に、冷徹なアナウンスが響いた。
「……ワールドカップ日本代表、主将を発表する。――清盛・タイガ」
静まり返る会場。神崎の取り巻きたちが、不快そうに視線を交わす。
清盛は、椅子を鳴らして立ち上がった。その目は、自分が選ばれた理由が「実力」か、それとも「下層民向けの広告塔」としての卑劣な政治的配慮かを見極めようとする、鋭利な刃の光を湛えていた。
「工藤。……これは、お前の差し金か」
「いや、メタルコープの広報だ。……おめでとう、清盛。お前は今日から、世界で最も稼げる『下層のピエロ』だ」
工藤の皮肉に、清盛の拳が血が滲むほど強く握りしめられる。
「神崎。……不服か」
清盛の問いに、神崎は淡々と肩をすくめた。
「……いいえ。あなたが『盾』として矢面に立ち、私が獲物を狩る。組織論としては、最も効率的だ。指示には従いましょう」
神崎が踵を返し、通路へと消えていく。その細い背中が、ショウタの記憶にある「父の代表ユニフォーム」の残像と、一瞬だけ重なった。
ショウタは、痺れる左手を握り締めた。
アッパーシティの空は、どこまでも澄み渡っている。だがその青さの奥で、世界の怪物たちが自分たちの喉笛を狙って、静かに牙を研いでいるのがわかった。
「……通用しないかどうか、あんたの目で見せてやるよ。俺の『ノイズ』でな」
ドバイへのカウントダウンが、静かに、しかし残酷に刻まれ始めた。




