表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からくりドッヂボール  作者: 水前寺鯉太郎
ワールドカップ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/80

第26話:一部の先に

西暦三一〇一年、春。

 ミドルシティの天を覆う濁ったオレンジ色の「蓋」が、ほんのわずかだけ、その色を薄めていた。

 ショウタは、十六歳になった。

 

 一部リーグ(ディビジョン・ワン)優勝。その伝説は、下層区の錆びた路地裏では、一晩の狂騒のあとの冷たい廃熱に過ぎなかった。九千万の賞金は、システムという名の巨大な胃袋を通り抜け、手元に残ったのはわずか九百万。母の命を、あと半年と少しだけ「現状維持」させるための、あまりに薄い、絶望的な延命の壁だった。

「……おう、あんた。ストリートドッグスの、あのガキだろ」

 配送の途中。煤けた路地の影から現れた老人が、足を止めてショウタを見つめた。

 汚れの目立つユニフォームに、安物の台車。だが老人は、かつて自分が持っていた唯一の尊厳を捧げるような、深い敬意を込めて笑った。

「ありがとうな、ショウタ。……俺たちの『野良犬』が、あのドームで神様連中の鉄面皮を叩き割った。……あれだけで、俺はあと十年、このクソみたいな煤を吸って生きていけるよ」

 ショウタは何も言えず、老人の歪んだ背中を見送った。

 吸入器をポケットの奥へ押し込んだあの日。自分たちは誰の代弁者でもなかった。ただ、今日を生き延びるために牙を剥いただけだった。なのに、その火花が、暗い下層の隅々で凍えていた亡者たちの心に、消えない灯をともしていた。

 拠点の体育館の扉を開けると、そこには、次なる地獄が青白く脈動していた。

「……来たか、ショウタ。休息は終わりだ」

 清盛キヨモリの前に展開されたホログラムには、金箔を貼ったような豪奢なエンブレムが踊っている。

【WORLD CUP : KARAKURI-DODGEBALL 3101】

【Japan National Team : Official Invitation(日本代表・公式招待)】

「……ワールドカップ? 俺たちが、代表……?」

「ああ。優勝賞金、十億。だが、その七割はまた『協会』の修復費と放映権料に吸い上げられる」

 工藤クドウが、眼鏡の奥に、解析不能な情熱を宿して言った。

「俺たちの手元に残るのは、五千万。……母さんの治療費、一生分を一度に確定できる唯一のチャンスだ。ただし、代償は『時間』。ドバイでの三ヶ月に及ぶ集中合宿。その間、母さんをこの下層に独り残すことになる」

 

 清盛の声が、重く、選別のように響いた。「決めるのは、お前だ」。

 ショウタは、一千二百万という月の医療費と、母の「温かい手」の間で、天秤を揺らし続けた。

 その夜。壊れかけたテレビのノイズが、静かな部屋に青い火花を撒き散らしていた。

『――続いて、ロシア代表のリストです。キャプテンは、不敗の機士、エンドウ・ケンジ』

 母の薬剤を用意していたショウタの指が、凍りついた。

 画面には、顔の左半分を漆黒のクロム合金で覆った、四十代の男。赤い光学レンズが、獲物を屠る瞬間の冷徹な殺意を放っている。

 エンドウ・ケンジ。

 どこにでもある名前。だが、その男が投球練習で見せた、左肩をわずかに沈め、指先で風をなぞる独特の予備動作。それは、ショウタが鏡の前で毎日繰り返してきた、あの呪わしい「癖」そのものだった。

「……似ているわね。あなたの、投げ方に」

 母が、遠い過去の美しい悪夢を見るような目で呟いた。

 ショウタは、押し入れの奥へ、狂ったように手を伸ばした。

 十一年間、一度も開けることができなかった、父の遺したスポーツバッグ。

 錆びついたジッパーを、爪が割れるほど強く引き裂く。

 中から転がり落ちたのは、空気が抜け、黒カビにまみれた古いドッヂボール。そして——。

 かつての「日本」を象徴する、日の丸の刺繍が施された、ボロボロの、血の匂いが染み付いた代表ユニフォームだった。

「……親父、なのか? 本当に……」

 ミドルシティの夜風が、窓の隙間から「死の腐敗」と「新たな春の予感」を運んでくる。

 ショウタはウォッチを起動し、承諾ボタンを、震える左手で――かつて父がボールを握ったのと同じ力で、強く押し込んだ。

 野良犬は、もはや下層の檻には収まらない。

 母を救うための三億を超え、父の背中を、世界の頂点を、そしてこの理不尽な運命の喉笛を。

 そのすべてを喰らい尽くすための、世界戦が今、幕を開ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ