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からくりドッヂボール  作者: 水前寺鯉太郎
リーグ編

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24/80

第24話:人間の答え

試合時間、残り四十秒。

 〈ヘリオス・ドーム〉の八万人が、自らの心拍さえも忘れたかのような「絶対零度の静寂」に包まれていた。

 酸素濃度を完璧に管理されたアリーナの空気。その中心で、一人の少年の肺が奏でる「ヒュー……」という醜い喘鳴だけが、不気味なメトロノームとなって響き渡る。それはもはや病の悲鳴ではなく、完璧な調和を内側から崩壊させる、不規則な反逆の合図だった。

 【クロムキングス:2420 vs ストリートドッグス:395】

 【ショウタ LIFE:68 / STATUS:ASTHMA BEAT(非線形同期中)】

 鋼鉄の神ゼロの網膜レンズが、激しく明滅する。

 演算回路ロジックが、目の前の個体が放つ「死の拍動」を、物理的なエラーとしてしか処理できない。予測モデルはショウタの次の一歩を割り出そうとして——無限ループの闇へ墜ちていく。

 最強の機士にとって、目の前の少年はもはや選手ではなく、宇宙の法則を歪める「暗黒物質ダークマター」そのものだった。

「……終わりだ、ゼロ。あんたたちの計算式に、俺たちの『昨日』は入ってない」

 残り十二秒。

 ショウタはサクラから託された、最後の一球を左手で掴み取った。

 指先から伝わる、使い古されたゴムの弾力。三部の路地裏で拾った硬貨、二部のカインを穿った衝撃、清盛の背中、スエの銀色の告白。

 そのすべてを——指先の「震え」に乗せる。

 ショウタが左腕を一閃した。

 放たれたのは、最適化プロトコルが決して導き出せない、歪な放物線。

 ボールは一度、右端の「虚空」へと大きく逸れる。ガードを担当するリードの予測エンジンが、それを「失投」と判定し、一瞬だけ守備アルゴリズムを緩めた。

 その刹那。

 

 最高点に達したボールが、空気の抵抗を爪で引き裂くように、鋭角に「内側」へと牙を剥いた。

 

「なっ……あり得ない……」

 

 セラの青い義眼が、その瞬間に機能停止した。

 彼女のアーカイブの深淵で、かつて生身の左手が感じていた「指先の摩擦フリクション」が、雷鳴とともに解凍された。指先の神経が逆立つあの痛み、爪の間に食い込む重力、掌に滲む脂のような汗。

 機械には決して再現できない、筋肉の微細な痙攣と、執念による指先のこじり。

 不完全な肉体だけが描ける、この世に二つとない「バグの軌道」。

 ボールはクロムの壁を嘲笑うように、予測の網をすり抜け、ゼロの胸部装甲——その装甲の継ぎシームへと吸い込まれた。

 

 ドォォォォォンッ!

 

 ドーム全体が悲鳴を上げたかのような衝撃音。

 ゼロの姿勢制御装置が白煙を上げ、クロム合金の関節から冷却液が、黒い血のように床を汚した。

 構造的に、そして論理的に、絶対に起こり得ない光景。

 頂点に君臨するキャプテンが、床に膝を突き、その鋼鉄のくびを垂れた。

 ピーーーーーッ!

「キャプテン・ハント成立! 優勝、ストリートドッグス!!」

 八万人の咆哮が、アリーナを物理的に揺らした。下層の罵声、中層の驚嘆、そして上層の沈黙。すべてが混ざり合い、この街が始まって以来の「不条理な地鳴り」となった。

 ショウタは、感覚の消えた左手を見つめた。

 鉄ではない。冷たいクロムでもない。

 そこには、三部の泥と、母の温もりと、仲間の汗が凝縮された、消えることのない「熱」が脈動していた。

 

 ゼロは、膝をついたまま、火花を散らすレンズでショウタを見上げた。

「……理解不能。なぜ、その……脆弱な……機体で……」

 

 ショウタは答えず、ポケットから使い古した吸入器を取り出した。

 震える手でそれを口に当て、冷たく苦い薬剤を、肺の奥まで深く吸い込む。

 かつて「首輪」と呼んで呪った道具。それを今、自らの意志で迎え入れる。

 弱さを捨てる必要などなかった。弱さを「管理」し、抱えたまま、この世界で生きていく。それが彼の、野良犬としての生存戦略ロジックだ。

 

 酸素が肺を巡り、視界から赤いノイズが消えていく。

 

「……理解しなくていいよ。……これが、俺たちの生きるための『感触』だから」

 電光掲示板に表示される「優勝賞金:300,000,000 Credits」。

 だが、ショウタの目には、汗と涙でぐちゃぐちゃになった仲間たちの、最高に「不完全な」顔しか映っていなかった。タイシの咆哮、山田の安堵、スエの初めての微かな微笑み、そして清盛の、すべてを許すような頷き。

 

 野良犬たちの咆哮は、ここからまた始まる。

 奪い取った三億の向こう側に待つ、母の待つ明日へと。

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