第18話:頂点の正体
二部突破から三日。
〈ストリートドッグス〉の拠点、錆びた体育館は、外の酸性雨を遮断した、氷点下の静寂に沈んでいた。
清盛が一人、コートの中央に立っていた。
——ドォォォン……、ドォォォン……。
壁が悲鳴を上げるような重低音。叩きつけられるボールの音が、死刑執行を告げる心拍計のように響く。一定の速度、一定の質量。それは考えることを拒絶するための、自傷に近い反復作業だった。
扉を開けたショウタは、その横顔を見た瞬間、肺の奥が凍りつくのを感じた。完璧な指揮官であるはずの清盛の肩が、目に見えない巨大な鉄の鎖に軋んでいるように見えた。
「……座れ、ショウタ」
清盛が投げ渡したのは、物理的な紙の封筒だった。表面には下層の煤と、誰かの指紋が汚くこびりついている。電子の足跡を一切消した「亡霊」が、命を賭けて運んできたものだとひと目で分かった。
「今朝、俺の枕元に置かれていた。……内部告発か、それとも一部からの招待状か。開けてみろ」
中から滑り落ちたのは、数枚の内部機密文書のコピーと、粗い画質の監視映像のプリントアウト。
そこには、一部リーグの絶対王者〈クロムキングス〉の、血の通わない正体が綴られていた。
「……広告塔……?」
「そうだ。一部リーグはもはやスポーツじゃない。メタルコープ社の新型機士パーツを、観客という名のバイヤーに見せつけるための『殺人工学的実演デモ』だ」
書類には、三億クレジットという優勝賞金の、吐き気のするような内訳が記されていた。
40%——一億二千万クレジット。
それが、最初から「運営協力金」としてメタルコープの口座へ還流される契約になっている。
ショウタは、その数字を網膜に焼き付けた瞬間、言葉を失った。一億二千万。それは、新型チタン製肺ユニットの、標準換装費用と完璧に一致していた。
勝てば勝つほど、彼らが憎むべき「システム」の胃袋に金が落ちる仕組み。
自分たちの自由を買い取るために、搾取の歯車を加速させている。彼らが流す血さえも、メタルコープの決算報告書を彩るインクに過ぎない。
ショウタは、最後の一枚の写真を手に取った。
写っていたのは、ハルだった。
アイアンクロウのベンチで、顔のないスーツ姿の男たちに囲まれている。ハルの銀色の義腕が、制御不能な震えを抑えるように強張っていた。撮影日時は、二部の初戦前夜。
ハルが言った「なくならないもの」——あの言葉は、魂まで部品として売り払わされた少年の、最後の一滴の悲鳴だったのだ。
「……ショウタ。俺は、このチームに自由を求めたはずだった」
清盛が折り畳み椅子に腰を下ろし、顔を両手で覆った。
指の隙間から漏れる声は、喉の粘膜が焼け切れたように掠れていた。
「だが、一部へ上がれば、俺たちは奴らの最高級の『商品』になる。お前の母親の命も、俺たちの意地も、すべては奴らの手のひらで転がされるデジタル・データだ。……俺は、それが反吐が出るほど耐えられない」
清盛が顔を上げた。その目は、一晩中答えのない計算を繰り返した果てに、どす黒く充血していた。
「清盛さん」
ショウタは、自分のウォッチに届いた母の容態報告——【再増殖警告:残存猶予72時間】の赤色を見つめた。
一億二千万。ハルの震える右腕。自分の焼ける肺。
「……泥水を啜って、鎖に繋がれても、俺は勝ちに行きます」
ショウタは、痺れる左手を壊れるほど強く握り締めた。
「たとえ奴らを儲けさせることになっても、目の前で死にかけてる人を救えない方が、俺には耐えられない。……広告塔でも、使い捨ての商品でもいい。俺の肺がパンクする前に、その三億、奴らの喉元から毟り獲ってやりますよ」
清盛が、ふっと力なく、自嘲気味に笑った。
それは少年のあまりに純粋で、あまりに汚れた覚悟に救われた、一人の敗北者の顔だった。
「……ああ、そうだったな。俺たちは最初から、野良犬だ。……首輪を付けられた瞬間に、その喉笛を食いちぎってやるのが、俺たちの流儀だった」
ショウタはウォッチを起動し、一部リーグへの最終登録ボタンを押し込んだ。
ピィィィンッ!
鋭利な電子音が、冷え切った体育館の静寂を切り裂いた。
その音は契約の合図であり、同時に、重い「首輪」がロックされる音でもあった。
見上げた天井。その向こうには、三億クレジットという名の絶望と、感情を廃棄した鋼鉄の神々が待つ、最高層の地獄が広がっていた。




