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からくりドッヂボール  作者: 水前寺鯉太郎
リーグ編

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16/80

第16話:ハルの選択

 残り時間、四十五秒。

 ベクター・アリーナの電光掲示板が、鮮血を思わせる赤色のデジタル数字を、狂ったような速度で削り落としていく。

 ジオが山田の『残像演算アフターイメージ』に膝を屈した一瞬の空白を、〈ストリートドッグス〉の野良犬たちは、生存本能のままに食らいついた。

「……行けえぇぇっ!」

 清盛キヨモリの咆哮。バイオ・ユニットを限界まで冷却したリーダーが、再び戦場の中央へ弾け飛ぶ。

 タイシが右腕の加速ブースターを咆哮させ、重力制御球をアイアンクロウの足元へ叩きつける。スエの義腕が摩擦で青白い火花を散らし、サクラが予測演算の死角を縫うように黒球を送り込む。五人の動きが、剥き出しの命を削る不協和音となって、アリーナを震わせていた。

 【アイアンクロウ:260 vs ストリートドッグス:240】

 

 ついに、ライフが並びかけた。

 上層ラウンジでは、的中率一〇〇%のアルゴリズムが崩壊し、パニックを起こした富裕層たちが、シャンパングラスを床に叩き落とす音が冷たく響いている。一万二千人の観客は、もはや座席を離れ、フェンスを掴んで身を乗り出していた。歓声でも悲鳴でもない、何かが地殻変動を起こすような低い唸りが、重苦しい湿気となってアリーナを満たしていた。

 残り三十秒。

 アイアンクロウの絶対君主、カインが、その鋼鉄の重心を沈めた。

「……処理を完了する。計算外のゴミ共が」

 漆黒の重機腕が、しなる鞭のように爆ぜた。

 【PROJECTILE VELOCITY:287km/h】

 狙いはただ一点。チームで最も脆弱な心臓——ショウタだ。

 その瞬間、カインの右足の踵が、コンマ数ミリ、磁気境界線を越えた。完璧な演算機が、生まれて初めて犯した「感情ノイズ」による入力ミス。あるいは、ショウタの不規則な喘鳴を処理し続けた果ての、同期ズレ(ラグ)か。

 

 だが、審判員の網膜には「沈黙」の命令が書き込まれていた。不正を飲み込み、予定調和の勝者を演出しようとするスタジアム・システムの拒絶。

 

「——システム・プロテスト! 判定の上書きを要求する!」

 

 アリーナを静まり返らせたのは、アイアンクロウのベンチから立ち上がったハルの叫びだった。

 ハルが自らの義腕の端子をベンチのコンソールに叩き込む。瞬間、スタジアムの中央ディスプレイがノイズを発し、カインの「オーバーライン」の瞬間を捉えたスローモーション映像が、一万二千人の観客の前に強制出力された。

 自らのキャプテンを告発する、銀色の残像。

 審判の目が、初めて恐怖に揺れる。一万二千の「真実を突きつけられた」民衆の殺意が、もはや隠蔽を許さない。

 ピーーーッ!

「……オーバーライン。アイアンクロウ、攻撃権喪失!」

 

 どよめきが爆発し、アリーナの床が揺れた。

 カインの放った「死の一投」は、無慈悲なシステムごと法的に無効化された。カインがハルを見る。その視線に込められたのは怒りではなく、理解不能な「バグ」を直視させられた演算装置の、空虚な戸惑いだった。

 

 残り十五秒。攻撃権は、ショウタの手に移った。

 サクラから受け取った黒球を握り締め、ショウタは正面に立つ「鋼鉄の神」を見据えた。

 完璧なフォーム。完璧な出力。だが、この男には、あの路地裏で命を削り合った連中が持つ「血の匂い」が、欠片も存在しない。

 

「……あんたの投球には、熱がない。ただの、効率的な廃棄処理だ」

 

 ショウタは、焼ける肺に最後の一呼吸を詰め込んだ。

 手首のウォッチが致死域の警告を鳴らし、意識が遠のく。だが、母の冷たい指、山田の血の熱、タイシの震える右腕、スエの孤独な銀色、清盛の壁に刻まれた指跡。すべてが、ショウタの左腕に流れ込んでいた。

 左腕を一閃。

 放たれたのは、三部リーグの泥と汗、そして不治の病が産んだ「不規則な揺らぎ(カオス)」を纏ったシュート回転。

 カインのセンサーが「直線」と断定したはずの弾道は、着弾寸前、大気中の熱気と干渉して急激に変化し、王者の右胸——唯一の生体パーツである心臓部を、真っ向から抉った。

 

 【TARGET:CAIN LIFE:40 → 0】

 【GAME SET:WINNER - STREET DOGS】

 

 一拍。世界から音が消えた。

 それから、アリーナを包み込んだのは、もはや言葉にならない魂の絶叫だった。

 サクラが泣き笑いの顔で膝をつき、タイシが過熱したアーム・カウルを床に放り出す。清盛は汗を拭い、濁ったオレンジ色の天井を見上げて静かに笑った。スエは無言で、自分の義腕が刻む駆動音を、初めて「誇らしい」と感じた。

 

 試合後。冷たい蛍光灯が死神の瞬きのように明滅する通路で、ショウタはハルとすれ違った。

「……ハルさん。どうして」

 ハルは足を止め、振り返らずに、自らの美しい義腕を一度だけ見つめた。

「……俺は、部品に戻るのが怖かったんだ。……ただの、ドッヂボール選手でいたかっただけなんだよ」

 その肩は、どこか、ようやく人間として泣き始めているように見えた。

「ショウタ。機械になれば、すべてが楽になる。喘息も、罪悪感もな。……だが、機械になっても、消去できないデータがある」

 彼は一拍置いて、続けた。

「それは——『誰かが勝つのを、信じたい』という、非論理的な祈りだ」

 ハルは、それだけを残して闇の中へ消えていった。義腕の駆動音が、今度は、確かな歩調となって響いていた。

 

 ショウタは、痺れる自分の左手を見つめた。

 そこには、鉄ではない、肉と血が刻んだ確かな「熱」が、今も脈動し続けていた。

 

 アリーナの外は、重い酸性雨が降り始めていた。

 入金された二百万クレジット。だが、母の入院継続と清盛の緊急メンテナンス、そしてチームの機材修復で、その大半は瞬時に「処理」された。残高、わずか三万。

 

 それでも、野良犬たちの瞳は死んでいない。

 次なる地獄——神々の遊戯場、一部リーグへのゲートが、雨音の向こうで、ゆっくりと、その重い口を開き始めていた。

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