第14話:データは嘘をつかない(2)
試合経過、百六十秒。
〈ストリートドッグス〉の心臓、清盛のバイオ・ユニットが臨界点に達した。
瞬足の残像が掻き消え、コート中央で立ち尽くす彼の膝が、過負荷による痙攣で激しく震える。首筋の警告灯は、もはや点滅を通り越して、死を告げる鮮血の色に染まっていた。アリーナを埋め尽くす一万二千人の観客が、獲物の絶命を確信し、地鳴りのような「的中」の通知音を鳴り響かせた。
ミライの義眼に、冷徹な青い照準線が走る。
標的の「機能停止」を確認。システムが算出した生存確率ゼロの必殺投球が、彼女の右腕に装填される。
その時——清盛が、重い頭を上げた。
ショウタと、視線が衝突する。
(——繋げ)
それは、誇り高い狼が初めて見せた、剥き出しの信頼だった。
ショウタは、一晩中吸入器を噛み締めていた肺に、汚れた空気を無理やり詰め込んだ。肺の奥で煮えたぎるナノマシンの煤が、カミソリのように気管を切り裂く。だが、その激痛さえも、今は勝利への燃料だった。
「……計算の通りには、殺させない!」
ショウタは低い姿勢で滑り込み、清盛の射線を、自らの脆弱な肉体で塞いだ。
「なっ……!?」
ミライの指先が、放球寸前でコンマ三秒、躊躇した。
彼女の脳内演算は「清盛の回避」を前提とした最適解。そこに現れた「別の変数」——ショウタという不規則なノイズが、アルゴリズムを致命的に狂わせる。高度に最適化されたシステムほど、微細な想定外に対して脆弱だ。
放たれた黒球は本来の軌道を数センチ逸れ、ショウタの首筋の産毛を焼きながら、清盛の肩を掠めて背後の強化壁を粉砕した。
【清盛 LIFE:95(変動なし)】
「キャプテン、下がって! 十秒、僕が弾丸を惹きつける!」
清盛は一瞬だけ目を見開き、それから短く「……死ぬなよ」とだけ応じた。
プライドの塊である男が、後輩の背中に命を預け、後方へと退く。
すれ違いざま、清盛の熱い掌がショウタの肩を叩いた。あの登録の儀式の時と同じ、燃え盛るような体温。だが今は、対等な戦友として、その熱がショウタの脊髄を駆け抜けた。
だが、この反撃の「バグ」を仕掛けたのは、ショウタだけではなかった。
「……見つけた」
コートの端。シューター枠のサクラが、獲物を狙う猛禽の目で、ミライの死角を射抜いていた。
サクラが見ていたのは、飛来するボールの速度ではない。
義眼が処理を開始する瞬間に起こる、ミライの首のわずかな「傾き」——それは最新鋭の機人パーツが、生身の肉体へ命令を下す際に生じる、コンマ数秒の伝達ラグ。
数値には現れない、設計思想上の致命的な「バグ」。
——男たちの機械より、女の体は、ずっと精緻で残酷よ。
下層で「搾取される対象」として生きてきた彼女の本能が、初めて攻撃的な牙へと転じた瞬間だった。
「そこよ!」
サクラが放った黄球は、ミライの予測位置ではなく、その演算ラグを突く「空白の座標」へと突き刺さった。
【TARGET:MIRAI STATUS:SYSTEM ERROR / STUN(30s)】
ミライの義眼が青白くフラッシングし、彼女はその場に棒立ちとなった。表情が初めて崩れる。困惑——機械化された顔の上に、不釣り合いに人間的な「動揺」が貼り付いた。
「サクラ、お前……そんな目を、隠し持ってたのか」
ベンチで工藤が眼鏡を押し上げる。データ狂信者の彼でさえ、サクラが見抜いた「生身の揺らぎ」は、計算外の変数だった。
支配者が機能を喪失した、三十秒の空白。
ストリートドッグスの逆襲が、アリーナの空気を沸騰させた。
清盛が後方でバイオ・ユニットを冷却する間、ショウタとスエが前線を蹂躙する。スエは義腕のネジをわざと緩め、その不規則な振動でジオの座標回避を予測の網に絡め取った。タイシは右腕のブースターを咆哮させ、重質量の一撃で相手陣を押し戻す。
「……これでも、喰らえ!」
ショウタが放った、左の投球。
それは三部リーグの泥沼で培った、執念の「シュート回転」。
アイアンクロウのアタッカーの足元で、ボールが急激に内側へと切れ込む。あまりに非効率で不規則な軌道に、機人の演算は「回避不能」と判定し、処理を放棄した。
【アイアンクロウ LIFE:100 → 90】
初めて、王者の牙城が揺らいだ。
清盛は呼吸を整えながら、前衛で踊るショウタの背中を見つめた。
(……頼む、ではない。こいつはもう、背中を任せるに足る「野良犬」だ)
ミライのシステム復旧まで、あと十五秒。
アリーナの電光掲示板が、狂ったような速度でカウントダウンを刻む。
ベンチの奥——スペアのハルが、初めて顔を上げた。
その瞳に宿ったのは、諦念ではない。完璧に塞がれたはずのプログラムの裂け目から、何かが激しく漏れ出していた。
「バグは、一瞬でいい。……その一瞬で、あんたたちの心臓を、獲る」
ショウタは痺れる左手で次のボールを掴み、鋼鉄の怪物たちへ、三十二倍の殺意を込めた視線を向けた。




