68騎 湯煙の中から
「ふわぁ、生き返るっスね~」
「ぬぬ、マイキー殿、今まで死んでいたということか。よもやアンデッドではあるまいな?」
「ええっ、そんなことはないっスよ! 助けてほしいっス、あいんつさ~ん」
大浴場で、マイキーたちが他愛のない話に花を咲かせている。
グレン砦の大浴場は、兵たちの憩いの場でもある。
今の時間は、兵たちが使う前で、アインツたちの他にはいない。
施しを受けたせめてもの恩返しにと、アインツたちが風呂掃除を買って出た、その褒美のようなものである。
「なにくだらないことを言っているのです」
浴室の入り口の扉が開いたかと思うと、カナーティアがガウンを着たまま、湯気のこもる浴室へ入ってきた。
「わぁ、お湯を張ると、このようなものになるのですね!」
カナーティアは、湯を入れた浴槽を見て、目を丸くする。
「な、お姫さん、なにしてるっスか!?」
マイキーが慌てて湯船につかり、背中を丸めて縮こまり、アインツは何気ないふりをして後ろを向く。
「なにって、王都では、お湯に浸かるという風習がなかったものですから。
辺境の地だからこそ、異国の文化も取り入れられているのですね。私、憧れていましたの。お風呂というものを」
感動した様子で、大浴場を見渡す。
「何をそんなに慌てているのだ、マイキー殿」
ヴィルヘンドルは、堂々と湯船の縁に腕をもたれかけさせたまま、のんびりとしている。
「少しお邪魔しますわね」
カナーティアは、身に纏っていたガウンをはだけると、そのまま下に落とす。
何も身に付けない状態で、湯に足を入れる。
「あっつ」
カナーティアが入れたつま先を引き上げると、しゃがんで手で湯の温度を確かめる。
「思う程熱くはないと思うがな」
「そうですか? 私には熱く感じられましたわ」
「まぁ、徐々に慣れることだ。ん、なんだ、アインツ殿たちは、楽しんでおらんのか?」
「い、いえ、そのようなことは」
風呂にのぼせたのか、それとも違う要因なのか、顔を赤くしたアインツが、後ろ向きのまま返事をする。
「そうか、マイキー殿は、いつも通り、か?」
「え、えぇ、まぁ、そうっスね!」
少し前屈みになりながらも、マイキーは平常運転だった。
「ささ、こっちは少し水が入ってくるので、ぬるくなってるっスよ」
マイキーは手の動きでエスコートする。
「ありがとう存じます、マイキー様」
「いえいえ、こちらこそありがとうっス、お姫さん」
「はい?」
カナーティアは意味が解らないが、マイキーのエスコートに従い、少しぬるい場所から湯船につかる
マイキーの目尻と鼻の下がだらしなく垂れていくが、アインツはそれを見ても、指摘する余裕を持っていなかった。
「ああ……、これが、お風呂というものですのね。全身を温もりが包み込んで、ああ、溶けてしまいそう……」
うっとりとした顔をして、浴槽の壁に寄りかかりながら、風呂というものを堪能する。
「ひ、姫殿下、あの、お召し物は……」
「ん、なにを言っているのだアインツ殿は。風呂というものは、裸で入るものだろう?」
カナーティアではなく、ヴィルヘンドルがアインツの問いに答える。
「ええ、そうなんですけどね……」
「なにかおかしいことでもおありでしょうか……」
不安げにカナーティアがアインツの顔を覗き込む。
「うわっ、わわっ」
アインツは驚いた拍子に、足を滑らせ湯船の中で尻餅をつく。
「あら! 大丈夫ですか、アインツ様!」
カナーティアが慌てて湯をかき分け、アインツの腕をつかむと、そのまま引き上げた。
「ぶっはぁっ、ぜぇっ、ぜぇっ……、た、助かりまし……!」
アインツが礼を言おうと顔を上げた時、目の前には、一糸まとわぬカナーティアの姿があった。
少し桃色がかった大地に、ほどよい大きさの、ふっくらとしたふたつの丘が、アインツの見える世界すべてだった。
その緩やかなカーブを、湯気を立てながら水滴が伝い、湯船に戻っていく。
長い金髪が、濡れて顔へ張り付くに任せ、上気させながらもカナーティアは柔らかな笑みをたたえていた。
「お怪我は、ございませんこと?」
「え、ええ。ありがとうございます……」
そう言うや否や、アインツはまた、けたたましい音を立てて、背中から湯船に倒れて行った。
浴槽からアインツを引き上げ、床の上に横たわらせると、マイキーがタオルでアインツをあおぐ。
「なんだ、アインツ殿は、女体を見てああなったのか?」
「ま、オレっちもそうっスけどね、あんまり混浴に慣れてないンすよ」
照れながら、マイキーはアインツをあおいでいる。
「貴族、特に爵位の高い者は、日頃から付き人のいる生活だからな。湯浴みも付き人やメイドがやるに任せておる。
ゆえに、裸体を見られることに抵抗は無いのだが……」
ヴィルヘンドルは、湯船の片隅で自分の身を掻き抱いているカナーティアを見る。
「なにか意識してしまったのかもしれぬな」
困ったような顔をして、湯船から上がった。
床に落ちたままになっていたガウンを、カナーティアの方に投げると、そのまま大浴場を出て行こうとする。
「ん、おまえたち、兵士の入浴時間はまだ後のはずだが……」
アインツは、のぼせておぼろげな頭で、大浴場の入り口に立つヴィルヘンドルを見る。
(湯気でよく見えないけど、誰か入ってこようとしているのかな……)
目を細めるが、よく判らない。
「王子さん!」
マイキーの声が、ふらつくアインツの耳に突き刺さる。
アインツのぼんやりとした瞳に、ヴィルヘンドルの姿が映し出される。
ヴィルヘンドルと、その正面に誰かがおり、ヴィルヘンドルの背中から、何かが突き出す。
少し遅れて、鮮やかな、今まで大浴場には無かった色が、辺りに飛び散る。
赤く。
「いやあぁ! お兄様ぁっ!」
カナーティアの悲鳴が、浴室内に響き渡る。
「……倒れて、いられない!」
「アインツさん!」
もうろうとする意識を奮い立たせ、アインツが膝を立て、マイキーがそれをフォローする。
「スリンジャー! 王子さんに何かした、あいつを狙うっスよ!」
『判った、マイキー殿』
マイキーが命じると、石飛礫の魔神スリンジャーが、辺りに置いてある飾り石や石灯籠を浮かせ、乱入者へ投げつける。
石灯籠をまともにぶつけられた乱入者が、カエルの潰れたような音を出して、その場でくずおれる。
「殿下、大丈夫ですか……!」
ふらつかせながらも、アインツが、仰向けになって横たわっているヴィルヘンドルに近づく。
ヴィルヘンドルは、自らの血溜まりの中で、苦しそうに喉を鳴らす。
「大事ない……。脇腹だ、致命傷にはならん……。敵は武装しておる。数は……3……」
苦しいながらも、ヴィルヘンドルは的確に状況をアインツへ伝える。
「今少し我慢願います!
姫殿下、殿下に手当てを! ガウンでもタオルでも構いません、患部を強く押さえて!」
「は、はいっ!」
湯船から上がっていたカナーティアが、ヴィルヘンドルの側に寄り、あまりの出血量に青ざめながらも、手当てを開始する。
「くっ、ぬかった……わ」
「お兄様、話してはなりません」
風のような音を口から出して、ヴィルヘンドルの口が閉じる。
痛みに顔を歪めるが、声に出さずに堪えていた。
「ストーリア!」
『主殿、ここに』
「シエラ!」
『アインツ様、お呼びで』
「来いっ!」
『承知。全身展開、硬質化開始。武装形態、固定化完了』
『シールドモード、スタンバイ。シェルシールド、アタッチ』
すさまじい風の渦と共に、湯気が巻き上げられる。
そこには、完全武装の白銀の騎士が現れた。
右手に構えたランスが、鈍い光を放ち、左手に備えた盾が、きらめきを見せる。
フルプレートアーマーから出た風が、渦を巻いて全身を覆う。
「貴殿ら、このアインツが相手になろう」




