47騎 希望を託す
夜半、雨はまだ止まない。
時折空が光ると、大きな爆発のような音と、その後に連続して響く低音を撒き散らす。
何かの気配を感じ、アインツの意識が、うっすらと戻る。
閃光。そして、一瞬の光に照らされた室内に、白い影が立っているのをアインツは見た。
目をこらすと、人影のような白いものが、ゆらり、ゆらりと部屋の入り口から、アインツの元へとにじり寄ってくる。
「ついに迷い出てきてしまいましたか」
アインツが掛け布を浮かせ、ベッドと掛け布に隙間を作る。
閃光が瞬き、地鳴りを伴う爆音が響く。
「いいですよ、こっちへいらっしゃい」
白い影が、アインツの側まで寄ってくる。
「あいんちゅぅ、ごわいよお……」
稲光に照らされたエレーナの顔は、恐怖と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
雷鳴が轟くたびに、その小さな方をびくっと震わせる。
「はいはい、大丈夫、大丈夫」
アインツがエレーナを軽々と抱えると、自分のベッドに寝かせる。
「だいじょぶ? あいんちゅ……」
「ええ、もう大丈夫ですよ。私がいますから」
エレーナは安心したのか、ホッとした笑みを浮かべると、自分の持ってきた枕をきゅうっと抱え、小さく丸まってベッドの上に納まる。
すると、すぐに小さな寝息を立て始めた。
アインツはベッドに寄りかかるようにして座り、エレーナの頭をなでながら、またうとうとと眠りに落ちた。
外が明るくなる。
「こりゃ、さっさと起きんかバカもん」
エレーナに小突かれ、アインツが浅い眠りから覚める。
「あ、エレーナさん、おはよう」
「おはようではないわ。これを見てみい」
エレーナに促されるように、アインツが部屋を見回すと、寝る前とは明らかに様子が異なっていた。
壁はひび割れ、ところどころが欠けており、破片が床に散らばっていた。
ベッドのシーツはボロボロに風化し、敷布も中から綿が飛び出している。
天蓋を支えていたであろう柱は四方に残っているが、肝心の天蓋が無くなっていた。
なににもまして、辺りは埃まみれで、蜘蛛の巣がいたるところに張り付いていた。
ひび割れた窓ガラスからは、雨上がりの爽やかな朝日が差し込んでくる。
「どうしたんです、これは。あ、男爵たちは? 執事さんはいませんか」
アインツがエレーナに聞くも、エレーナは首を横に振るだけであった。
「あ、アインツさんおはようっス。
いやー、いろいろ見てみたんですが、この館、人っ子ひとりいませんね。
それどころか、昨日男爵たちと話をしたダンスホールも、ここ寝室同様さびれて埃だらけだったっスよ」
アインツも館をあらかた探索してみたが、どこもかしこも長い間放置されていたような状態で、ダンスホールも埃まみれになっていた。
埃の上にアインツたちの足跡だけが残っており、他は人が踏み入った形跡すらなかった。
「いったい、これは……」
狐につままれたような、そんな不思議な気持ちであった。
「あ、なんじゃこれは……」
エレーナが客間の肖像画を見て、首をかしげる。
そこには、古めかしい衣装に身を包んだ男女の肖像であったが、記憶にある肖像画とはどこか違うように思えた。
「……ああ!」
口元に笑みをたたえていたように見えたため、印象が大きく異なって見えたようだった。
「この絵、アルフォンス男爵とその奥方に見えないっスか?」
「あ……」
言われてみれば、アルフォンスは昨夜見たほどやせぎすではなかったが、よく見れば、昨夜話をした男爵の面影は感じられた。
ウォルトナは、まさにそのまま、昨夜会った時と同じ姿であった。
「うわぁ……」
アインツたちは、背中に冷たいものが走る感覚に見舞われた。
ただ、手元には、アルフォンスから受け取った、魔神を封印したアイテムがあったため、夢や幻想ではなかったことは理解できた。
「不思議なこともあったものですね……」
身支度を整えると、アインツたちは館を後にした。
雨が止んだ後の湿地帯の朝は、日光を浴びて温まった水が朝もやとなり、立ち上る水蒸気が幻想的な光景を映し出していた。
アインツたちは、館を振り返ることなく、船着き場へ向かう。
船着き場に行くと、地元の漁師だろうか、網で仕掛けを使った漁をしている男がいた。
「おはよう、旅の人。この辺りでは見かけない顔だねぇ。どこから来なすった」
男は、日に焼けた顔をアインツに向けて、にやりと笑う。
「ええ、少しこの先の館に用があったのですが」
「ああ、ここには前に貴族の方が住んでいたけど、いつだったかなぁ」
男は無精髭の生えた顎をさすりながら、なにやら思い出そうとしている。
「5年前、貴族の旦那がお亡くなりになってね、それからはとんと、訪れる人もいなかったというのに」
「え……、亡くなった? アルフォンス男爵が、ですか?」
「ああ、確かそんな名前だったか、お、どうなさった、そんな血相を変えて」
アインツたちは、ボートを泊めるために舫っておいたロープを解くと、青ざめた顔つきで乗り込んだ。
「5年前……。確か男爵は、5年くらい来客が無いとか言っていた……」
「お、オレっちたちが見た、あれって……」
「……わたしは信じないわよ……」
アインツたちを乗せたボートは、川下へと流れていく。
「ありゃりゃ、行っちまった。貴族の旦那は、亡くなった後、幽霊になってまだ館に棲んでいるから、その幽霊の旦那と遭っちまったんだろうかな」
男の呟きは、既に小さくなったアインツたちには届かなかった。
「さて、気を取り直して行きましょう」
そう話をするアインツも、青ざめた表情が抜けない。
マイキーは相変わらず、青白い顔をして船べりから身を乗り出している。
「このまま川を下っていけば海に出よう。そこから海岸沿いに北上して、ユーラフラス川の河口を越えればスリード王国に辿りつけるじゃろ」
「当初の予定通り、王都ケイティパレスへは、海の方から向かうことができるでしょう」
「じゃな。こんな小さなボートでは海に出るのは心細かろうが、まぁ、沖合に出なければ大丈夫じゃろうて」
一応、アインツたちはブルーレティ公国の辺境伯である、メルクリウスの書状を持っているため、途中の国であるゴルフェメル国と、アガレスト王国を通過する際も、問題視されることはないはずである。
ここから北にあるユーラフラス川は、スリード王国と南部連合を隔てる大河である。
その大河を越えれば、目的地となるスリード王国となる。
最後に聞いた話では、蒼の王子ルシェンドラが王国に反旗を翻し、南部連合軍と共に王都へ向かっているということであった。
安全を期して迂回路を進んでいるアインツたちにしてみれば、どれだけ早く王都へ行けるかということが気がかりであった。
(それに、次元世界のゲートというのも、他に存在するのか、他の異次元人がいるのか、いた場合の影響を考えなくてはならない)
それに、ある程度安全なところでなくては、手に入れた魔神との契約のための戦いもままならないだろう。
はやる気持ちを押さえつつ、ボートを滑らせていく。
次回、ルシェンドラが北方に向かうお話です。




