05.国民の疑問とその回答。あるいは思わぬ期待。
「まぁ、そんな大した理由はないさ。トリシャの母だけが、敵だらけの王宮内で絶対的な味方をしてくれたからな」
トリシャ、という名前に心当たりがなく、はて、内心首を傾げていると、カイル殿下がこっそりと「ベアトリス叔母上だ」と教えてくださった。
ベアトリス・クロフォード公爵夫人が陛下にとってとても大切な方であるのは当然、全国民が知るところである。しかし、一般的にベアトリスという名前での愛称は「ベティ」や「ビー」、「トリクシー」などが多い。逆に、「トリシャ」といえば「パトリシア」という名前の愛称が浮かぶ。
当然、公爵が夫人に対する呼び方など聞いたことはないが、あまり一般的な呼び名でないのは間違いない。
「あぁ……昔、まだあまりうまく喋れなかったころのトリシャが自分の名前をそう呼んでいてな。もしかしたら『トリス』といいたかったのかもしれないが、俺の耳には『トリシャ』と聞こえてそう呼び始めた……気がする」
わたくしたちの様子をみた陛下が、笑いながら教えてくださった。
陛下御本人も記憶が定かではないようだが、そのような経緯があるのであれば、納得である。
「今の時代ではほとんどの貴族が口をつぐんではいるが、俺の親父には側室どころか公妾も何人もいてな。かくいう、俺も側室腹なんだが、そうなると当然、子どもも多くなる。なのに親父は後継者を指名することなくぽっくりと死んでな。いやー、なかなかの地獄だったぞ」
陛下は非常に朗らかに笑われているが、話の内容としてはとても朗らかなものではない。
後継者を指名せず、国の主が崩御されるということは、その後には当然、王位争いが行われる。
歴史というほど昔ではないけれど、わたくしたちが生まれるよりは前の話。近代史として当然語られるべき内容ではあるが、確かに、当時を知っているはずの両親世代以上の方たちから、当時のことを聞いたことはない。
「……何度聞いても、想像したくはない時代ですね」
カイル殿下は、陛下から直接この話を何度もされているのだろう。本当に、痛ましいものを見るような表情をされている。
詳細は知らないが、現在、陛下に男兄弟が一人もいらっしゃらない、ということが、全てを物語っているのだろう。
「そうだな、だから、この話は何度も、そのうち生まれるだろうアシルの子にも何度でも繰り返し伝えるつもりだ。アシルがどれほどイザベラを溺愛しようと、男が生まれなければ側室を押し付けられることになるだろうからな。……あぁ、最悪、アシルが側室を拒否する場合は、カイルの子が王になる可能性もあるから、そこは念頭に入れとけよ」
「それは聞いてませんが!?」
突然の陛下の言葉は完全に寝耳に水で、わたくしも思わず失礼ながらも陛下を凝視してしまう。
しかし、陛下は「お前も俺の子なんだから当然だろう」とさも平然とされている。
「既に親父の男兄弟もその子どもたちにも継承権はないが、今でも虎視眈々と王位を狙っている奴らもいないわけではないからな。また国を混乱させるわけにはいかんだろ」
もし、この先、アシル第二王子殿下とイザベラ様の間に男子が生まれなかった場合、継承権はカイル殿下のお子にある、ということになる。
カイル殿下がいくら王籍を離れられ、臣籍に下られようとも、陛下のお子であるという事実は変わらないのだ。
「そんなわけで、アデラ嬢。子が生まれたら、教育は頼んだぞ。カイルは俺に似て残念な頭になったが、君がいれば、多分、大丈夫だろう。ぜひ、次代の王を育てる心づもりで育児をしてくれ」
「は、はいっ、微力ながら、全力で挑ませていただきます!」
「父上、育児も何も、まだだった今婚約が成立したばかりなんですけど!? 結婚だって、僕どころか、アデラ嬢が卒業したあとになるんですけど!? 」
陛下に言葉を掛けられ、ついとっさに返事をしてしまったが、殿下の言葉も尤もである。
あまりにも自分らしくない言葉に、恥ずかしくなる。
「そう言っても、カイルが卒業するのはもうあと半年くらい先だろ? あと二年もすれば、俺は孫をこの腕に抱いてるかもしれないんだぞ。あぁ、そう言えばアデラ嬢は一つ年下だったか。特例で飛び級を許可するぞ? イザベラが元々自分の側近にと目をつけていたと聞いているから、よほど優秀な成績なんだろう?」
「は、はい。同学年の中では、首席をキープしております」
イザベラ様ご本人にも、わたくしを側近にと考えていたと聞いていたが、陛下にまでその話が通っていたことに驚く。
飛び級のお話には驚くが、いまはその話について言及している場合ではない。
「ははっ、それは頼もしい。カイルの去年の成績は確か、いつも通り好きな科目とそれ以外の成績の差が激しく、結果的に中盤辺りに位置していたな」
「……父上が、そこまで僕の成績に興味があるなんて知りませんでした」
カイル殿下がまた陛下から視線を逸らせ、少しふてくされたように口を尖らせている。
なんだか、この応接室に入ってからそれほど経っていないのに、もう、これが陛下と殿下の距離感なんだな、と完全に理解した。
「なんだ、拗ねてるのか? お前の性格的に王は向いてはいないが、イザベラがいればどうとでもなるから、好きなことに夢中になれるのはいいかと放っておいたんだが。アシルなんてあいつ、多分一点でもテストの点を落とすと母親にあれこれ口出しされてたと思うぞ。可哀そうだな、あいつ」
「僕は今、生まれて初めて母上が母上で良かったと思いました」
「王妃は王妃でもう少しお前の教育に興味を持つべきだったが……まあ、カイルは本当に中身が俺にそっくりだからな、興味ない分野にはなかなか食指が動かないんだよな。俺はたまたまトリシャが安心して暮らせる国を作るという目標があったから良かったが、トリシャがいなければ、今頃どうなっていたことか」
本当に、あまりにもしみじみと陛下が語るので、おそらく本当に、カイル殿下は陛下によく似ておいでなのだろう。
カイル殿下は興味を持たれている分野のことに関する知識はおそらく専門家にも肩を並べる程と思われることを考えると、陛下はクロフォード公爵夫人のためだけにこの国を治められている、というのも、おそらく、事実なのだろう。
「まぁ、なんだ。もし今後、お前になにか言ってくるバカがいても気にするな。なんのために俺が王領の中でもいいところをお前にやったと思ってる。俺達みたいなのは、基本的には男爵領くらいで丁度いいんだよ。俺だって、もっとましな兄弟がいたら、そっちに任せてたさ」
わたくしたちが生まれるはるか前、陛下とクロフォード公爵夫人は、かなり後の方に生まれた先王のお子だったはずだが、それなのに陛下がこうして君主として立っている、という事実が、全てを物語っているのだろう。
自国の歴史は歴史として学んでいるが、こうして、ご本人のお言葉からの歴史の一端を垣間見た事に対し、感動すればいいのか、今後の自分の立場を改めて突きつけられたも同然なので、気を新たにしなければならないのか、いささか悩む。
「まぁ、色々言ったが、アデラ嬢はもっと気楽にしていいぞ。もし万が一、アシルのところにもカイルのところにも男が生まれなければ、その時はその時で法をまた変えればいいだけだ。俺は王位争いで血を流したくなかっただけだしな。もし王朝が変わったらそれまでの運命だった、というだけのこと」
「父上、話が飛躍しすぎだし、今の話を聞いて、リウォード嬢が気楽になれるとはさすがの僕でも思わないんですが」
そうか? と陛下はよく分かっていなさそうな雰囲気であったが、今は本当に、カイル殿下がいてくださって良かったと思う。
やはり、陛下も少し、只人とは感覚がずれているようだ。




