22.自己嫌悪。あるいは花開く感情。
カイル様の機嫌を損ねるだけ損ねて追い出されたイディオータ伯爵であるが、そもそも、彼は何故ここに来ていたのだろうか。
もちろん、劇場であるので誰が来ようとそれは自由であるが、演目が演目である。
カイル様は、脚色された内容であるが、自分の行為を客観視したい、という目的がある。しかしイディオータ伯爵の方は、当人に関係があるわけではないとはいえ、娘の醜聞を元にした演目をわざわざ見に来るのだろうか。
人気の演目だから一度は目を通しておきたいだとか、娘がどのように描かれているのかを知っておきたい、という可能性もあるので、あまり邪推するものではないが、そもそも、カイル様が観劇に来た日に、偶然、イディオータ伯爵も観劇に来た、というのはいささか作為的な何かがあったのではないか、と勘ぐってしまう。
「カイル様、顔色があまりよろしくありませんが……今日はもう、帰りますか?」
「……ううん、大丈夫。ちょっと、客観視する前に、自分のバカさ加減を思い出して、自己嫌悪してただけだから」
クロフォード邸で初めてお会いして以降、カイル様がこれほどまでに弱音を吐いたことはない。
カイル様は確かに明るく素直で純粋な方であるが、反省しない方ではないし、振り返り、なにが悪かったのかを理解した後は、当然自己嫌悪にも陥られる。
極力わたくしの前では明るく振る舞われているカイル様であるが、時折こうして、自己嫌悪されていることには気づいていた。
たまらず立ち上がり、カイル様の横へと移動する。肩に触れると、緩やかな動きでカイル様は顔を上げられた。
あまりにも顔色が悪く、そっ、とカイル様の頬に触れると、カイル様はその手にすがりつくように、手を重ねられた。そのまま手に頬を押し付けられる。
「大丈夫ですよ、大丈夫。確かにカイル様は一度、間違われてしまったけれど、一度も間違えたことのない人なんて、いないのです」
「でも……イザベラも、アシルも、それにレラも、間違えない……」
目を伏せ、肩を落とすカイル様は本当に珍しいほどに落ち込まれている。
どうするべきか、と逡巡してニコラス様へと視線を向けると、ニコラス様は静かに一礼して、他の侍従たちと共にボックス席を出ていった。この状態のカイル様を任された、と判断していいのだろうか。
「そのようなことはありません。わたくしとて間違えます。人間は間違えて、反省して、学習していく生き物なのですから。間違えたっていいのです。それに、間違えてもきちんと反省して、学ぶことのできるカイル様のことをわたくしはお慕いしております」
いつの間にか芽吹いていた感情は、カイル様から与えられる好意を糧として育ち、いつの間にか、花を咲かせていたようである。
わたくしの言葉にカイル様は驚きで目を見開き、こちらを見上げて固まっている。
そんなお顔すら可愛らしいと思ってしまう自分の心には、もうすっかり、カイル様が住んでいるのだろう。今ならばカイル様がなにをしても許してしまいそうであるが、それはきっと、カイル様も陛下もイザベラ様も決して望みはしないだろう。
「カイル様のことをきちんと知らぬものの言葉に心を惑わされないでください。わたくしたちの言葉に、耳を傾けてください。わたくしたちは、カイル様ご自身のことを大切に思っております」
「レラ……」
わたくしの手を握っていたカイル様の手が離れ、カイル様がゆっくりと立ち上がる。
わたくしの正面に立たれたカイル様の顔を下から窺うと、その目の端はうっすらと濡れている。
「……ねぇ、レラ、抱きしめてもいい?」
「もちろんです。そもそも、カイル様は家族以外で無断でわたくしに触れていい、ただお一人の方なんですよ?」
「……母上が、何事もきちんと許可は取りなさい、って……」
「ふふ、王妃殿下らしいですね」
王妃殿下のお言葉をきちんと守っておられるカイル様が愛らしく、小さく笑いが零れた。
許可を得たカイル様が、おずおずと腕をわたくしの背に回し、抱き寄せられる。肩に額を乗せ、甘えるように押し付けられる。
わたくしもまた、カイル様の背に腕を回して、抱擁の形をとれば一瞬だけカイル様の身体に力が入ったが、すぐにまた力は抜けたようだった。
「好きだよ、レラ。本当に大好き。僕と婚約してくれてありがとう」
カイル様の声は、少し、震えていた。
しかし、その声の弱さに反して、わたくしを抱く腕は力強い。
「こちらこそ、わたくしとの縁を望んでくださり、ありがとうございます。大切にしてくださり、ありがとうございます。婚約を白紙撤回し、もはや結婚など夢のまた夢と思っていたわたくしが、このように想ってくださる方と出会えたなんて、奇跡のようです」
カイル様にとって、エメ嬢のことは忘れられない存在であることは間違いないだろう。エメ嬢本人のことも、彼女と出会ってしまったことによりしでかしてしまった過ちも。それら全てを忘れることは、おそらく、出来はしない。
しかし、それら一連の出来事があったから、カイル様とわたくしは、今、ここにいるのだ。
顔を上げたカイル様の目元は赤くなっていたが、浮かべたその笑顔はとても晴れやかで、心穏やかなものだった。




