23.膝枕。あるいは自信の持ち方。
「開演の時間までまだ少しありますが……少し、目元を冷やした方がいいですね」
「そんなに赤くなってる?」
「えぇ、少し。気を付けて見なければ気づけない程度ではありますが」
一般客席から、ボックス席に人がいることは分かるが、さすがに目元が赤い、ということまでは分からないとは思う。とはいえ、人前に姿を見せるのは事実なので、おかしな憶測を立てられるようなことになることは、未然に防ぐのが望ましい。
人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもので、「カイル第一王子殿下、王立劇場で修羅場か!? 現婚約者と共にいるところに元恋人の父親が乱入!」などという見出しで、国王陛下が愛読されているゴシップ紙にでも記事が出ては目も当てられない。あのような新聞の大半は、実際にはどのようなやり取りがあったのかなんてことに興味はなく、ほんの少しの事実を誇張して、新聞社や記者の結論ありきで好き勝手に書く。
民衆も事実なんてどうでもよくて、面白おかしく話のネタにして、日々の鬱憤を晴らしているようなものである。
さすがに王妃殿下を母に持つ、第一王子であるカイル様をこき下ろす新聞社があるとは思えないが、絶対にないとは言い切れないのが現状だ。
カイル様に座っていただいてから、ボックス席の外で控えているニコラス様に、カイル様が落ち着いたことと、目元が少し赤くなっているので冷やした方がいいことを伝える。ニコラス様はすぐに頷かれ、他の侍従の方にカイル様を託して自ら冷やすものをとりに行かれた。
ニコラス様はカイル様の乳兄弟であるが侍従見習いということだったので、指示する立場ではなく、まだ自ら動かれる立場なのかもしれない。
カイル様の元に戻ると、先ほどまで座っていた椅子とは異なる、二人掛けのソファが置かれており、カイル様もそちらに移動されていた。戸惑いながらもカイル様の隣に腰掛ける。すると、カイル様がわたくしの手にご自身の手を重ねられ、にこりと笑われた。
これまで施された淑女教育の賜物か、どうにか表情は取り繕うことができているが、どうしても心臓がドキドキとその存在を主張している。
ふぅ、と小さく息を吐き、気持ちを切り替える。
カイル様への感情は、きっとまだ小さなものであるが、間違いなく恋心と言えるであろう。この先、この感情が枯れるどころか、ますます大きくなる予感しかしない。
これまで自分の中にはなかった類のもので、どうしても持て余してしまうが、今のうちに慣れておかないと、今後カイル様と過ごす時間に不都合が生じそうである。
少しして、ニコラス様が氷水を入れた器を持って戻ってきた。冷やした布をなぜかわたくしに手渡し、思わず、目を瞬く。
この布でカイル様の目を冷やすのだが、よく考えれば、その場合、ずっと手で押さえているか、カイル様が上を見続ける必要がある。後者の場合、カイル様の首に負担がかかり、これから舞台を観劇することを考えるとあまりよろしくはない。
「……カイル様、こちらにどうぞ」
「え」
どうぞ、と自分の膝を軽く叩く。いわゆる膝枕、である。
「目を冷やしましょう。遠慮なくどうぞ」
「え、あ、でも」
「カイル様?」
「……失礼します」
なぜか敬語になってしまったカイル様が可愛らしく、堪えきれずに笑みが零れた。
おずおずと、ゆっくり身体を倒してわたくしの膝に頭を乗せたカイル様の目に冷やした布を乗せる。まだ身体に力が入っていたのだが、しばらくすると、力が抜けたのか、完全に頭を膝に預ける形になった。
なんだか、今日一日だけで、ずいぶんカイル様との距離が縮まった気がするのは、きっと、わたくしの勘違いではないだろう。
元々、カイル様ははっきりとした言葉はなかったけれど、間違いなく態度で好意を見せてくださっていた。その好意を、素直に受け取ってしまっていいのか分からず、もしかしたら気のせいかもしれない、と自分自身に言い聞かせたこともあった。
きっかけがイディオータ伯爵というのはなんだか少し釈然としなくもないが、それでも、彼のおかげでカイル様の口から決定的な言葉を聞けたのは間違いない。
わたくしは、自分自身に自信がない。
勉強は、誰でもできる。得意不得意はあれど、時間を掛ければ学ぶことは誰にだってできるのだ。
しかし、幼い頃から地味だ可愛げがないと言われ続けたわたくしは、わたくし自身に対する賛辞を、どうしても素直に受け取ることができない。その言葉をほかならぬ、お母様の口からも聞いたことがあるのだ。母親が自分の娘に対して「地味」だなんて、本心から思っていないと、本人には言わないだろう。
けれど、カイル様の言葉には嘘はない。
相手を欺くということをそもそも考えることがなく、その代わり、相手の言葉も素直に受け止めてしまう。
だからこそ、カイル様の言葉は素直に受け止めたいし、受け止めようと思える。
少しずつ、雁字搦めになっていた自己認識が解れていくようで、いつまでもこうしていたいな、と思うのだ。
「レラ? どうかした?」
「いえ、なんでもありません。少しだけ、考え事を」
「何を考えていたの?」
「その……今日だけで色々あったな、と。わたくし、自分がぶどうを好きだったなんて、知りませんでした」
カイル様に「カイル様との距離が縮まった気がして」なんて言えず、それらしい言葉を咄嗟に探し出す。
「そうだね、僕もいつもなら気づかなかったと思う。もっとレラのことを色々知りたいな、と思ってたから気づけたんだ。僕、偉くない?」
「ふふ、そうですね。カイル様の知りたい、という知識欲を伴った観察眼は素晴らしいと思います。わたくしも、カイル様のお好きなものに沢山気づけるように精進いたしますね」
「えー、僕の好きなものは、聞いてくれればなんでも答えるのに」
他愛のない会話、実のない会話。それがこんなにも楽しいと思ったのは初めてかもしれない。
いつも、相手が何を聞きたいのかを考えて話をするのが癖になっていた。たとえ望まれている言葉があろうとも、自分の意思に反することはどうしても言えず。
観察して、考察して、その結果、この口が紡ぎ出す言葉は、どうしても「可愛げ」からはかけ離れていて。そんなわたくしの話をカイル様はいつだって遮らずに耳を傾けてくださるし、受け入れてくださる。それに、そんなカイル様と交わす言葉は、自然と零れ落ちる。
「んー、下が少し騒がしくなってきたね。そろそろ開演の時間かな。……伯爵以降、誰も来なくてよかった」
ちらりとニコラス様へと視線を向ければ、大きく首を振っている。おそらく、全てニコラス様を始めとした侍従の皆様が断りを入れていたのだろう。主人の状態を正確に把握し、指示を仰ぐことなく行動できるその判断力は、さすが王家の侍従たちというべきか。
「皆様、舞台を見に来ていますからね。社交が得意な貴族ばかりではないということでしょう」
「そっか、良かった。……やっぱり、僕はつくづく、王には向いてなかったんだなぁ」
「わたくしも社交は苦手ですから、お揃いですね」
「僕にもレラと同じところがあるんだ? よかった」
わたくしが自分自身に自信がないように、カイル様もすっかり、御自身の資質に自信を無くされているのは薄々感じていたが、思っていたよりもずっとその根は深かったのかもしれない。
カイル様がわたくしの凝り固まった自己認識を解してくださったように、わたくしもまた、カイル様の自信を取り戻すお手伝いをしたいと、強く思う。
9/2 19:10追記
家庭の事情により、しばらく投稿をお休みします。
諸々が落ち着き次第、投稿再開予定です。




