↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女を返上したら、静かに溺愛されました 〜山あいの湯治の里で、何もしなくていいと言われて〜  作者: はねださら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/30

第30話 ここに残るもの

ノアの話を聞いた、翌朝。


私は、机の上の、最後の手紙を、見ていた。


大司祭の、手紙。


格式の高い、封蝋。


ずっと、開けられずにいた。


けれど、今朝は、開けられる気が、した。


私は、封を、切った。


中の文字は、流麗で、威厳に満ちていた。


「聖女の返上は、認められない」


それが、書き出しだった。


「聖女とは、神に選ばれし役目。一個人の意思で、降りられるものではない。近く、私自らが、そちらに赴く。直接、話をしよう」


私自らが、赴く。


大司祭オルドリック。


聖女という制度の、頂点に立つ人。


あの日、私の返上を「止めはしない」と言ったのも、この人だった。


けれど、あれは、一人の人としての、黙認だったのだろう。


制度の頂点に立つ大司祭としては、私の返上を、認めるわけにはいかない。


個人の情と、役目の建前。


その二つの間で、この人もまた、立っているのかもしれなかった。


その人が、この里に、来る。


私は、手紙を、机に置いた。


不思議と、恐れは、なかった。


来た頃の私なら、震えていただろう。


役目を投げ出した自分を、責められると思って。


けれど、今は。


私は、もう、知っていた。


正しさと、戻れるかどうかは、別の話だと。


そして、私の力は、枯れていないと。


役に立たなくても、私は、ここにいていいのだと。


「来るなら、来ればいい」


私は、静かに、呟いた。


「それでも、私は、ここにいます」


その日の夕方。


私は、川辺に立っていた。


ノアが、薪を運んでいた。


ハンナが、湯を沸かしていた。


湯治客の老人が、咳をしながら、湯を飲んでいた。


若い旅人が、その隣で、ゆっくりしていた。


里は、いつも通りだった。


何も、変わらなかった。


私は、この風景を、見ていた。


そして、思った。


私は、ここに、残ろう。


役目を、果たすためでは、ない。


役に立つ、ためでもない。


ただ、ここに、いたいから。


その選択を、私は、初めて、自分で、した。


聖女の役目は、神が、与えたものだった。


私の意思では、なかった。


けれど、ここに残ることは。


誰にも、与えられていない。


ただ、私が、選んだことだった。


「ハンナさん」


私は、食堂に戻って、言った。


「私、ここに、残ります」


ハンナは、湯を沸かす手を、止めなかった。


「ああ」


それだけ、言った。


「知ってたよ」


私は、笑った。


「次は、あんたの番だって、言ったろう」


ハンナは、湯を注いだ。


「あんたは、もう、降ろした人だ。今度は、迎える人になる番さ。急がなくていい。ゆっくり、なりな」


私は、頷いた。


迎える人。


降りた人を、迎える人。


ハンナが、私を、迎えてくれたように。


いつか、私も。


そして、夜が来た。


私は、寝床で、窓を開けた。


谷の闇が、見えた。


虫の声がして、遠くで、湯の流れる音がする。


里に来た、最初の夜と、同じ風景。


けれど、あの夜と、今夜は、違っていた。


あの夜の私は、何もしなかった一日に、驚いていた。


何もしなくても、誰も困らないことに。


今夜の私は、もっと、深いところで、知っていた。


役に立たなくても、私は、ここにいていい。


そして、ここにいたいから、いる。


大司祭が、来るだろう。


役目に、戻れと、言うだろう。


それでも、私は、ここにいる。


それは、もう、揺らがなかった。


明日も、里の朝は、来る。


ノアが、湯気を立て。


ハンナが、湯を沸かし。


誰かが、急ぎながら、谷を下りてきて。


そして、少しずつ、止まることを、覚えていく。


私は、その風景の中に、いる。


聖女としてでは、なく。


ただ、エルシャとして。


私は、目を閉じた。


ここに残るもの。


それは、役目では、ない。


肩書きでも、ない。


ただ、ここにいたいと、自分で選んだ、その気持ちだった。


誰にも、与えられず。


誰にも、奪われない。


選べる余白の中に、私は、いた。


第30話まで、お読みいただき、本当にありがとうございます。


ここで、第一部「役目を返す」が、完結します。


役目を降りた聖女が、湯治の里にたどり着き。


何もしなくていい場所で、少しずつ、整っていく。


連れ戻しに来たクララと、争わずに向き合い。


枯れたと思っていた力が、形を変えて残っていたことを知り。


踏み込まない湯守ノアと、距離を保ったまま、つながり。


そして、「ここに残る」ことを、自分で、選びました。


役に立つから、いるのではない。


ただ、いたいから、いる。


エルシャは、ようやく、その場所に、たどり着きました。


けれど、物語は、まだ、続きます。


聖女制度の頂点に立つ大司祭オルドリックが、この里に、やってきます。


「役目は、降りられない」と告げるために。


エルシャと、里の静けさは、その正しさと、どう向き合うのか。


第二部で、また、お会いできたら、嬉しいです。


ここまで、本当に、ありがとうございました。


もし、この静かな空気が、少しでも心地よかったなら。


ブックマークや評価で、そっと応援いただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。