第26話 そばにいると、止まれる
ガレスが帰ったあと、ハンナが、ふいに、私に言った。
「あんた、気づいてないのかい」
「何をですか?」
「あんたのそばだと、みんな、よく止まる」
私は、ハンナの言葉の意味が、分からなかった。
「ほら、見てごらん」
ハンナは、食堂の方を、顎で示した。
湯治客の老人が、いつものように、咳をしながら、湯を飲んでいた。
その隣に、新しく来た若い旅人が、座っていた。
数日前に来た、せわしない男だった。
来た時は、ガレスのように、落ち着かず、すぐに発とうとしていた。
それが、今は。
老人の隣で、ゆっくりと、湯を飲んでいた。
「あの若いの、来た時は、すぐ発つって言ってた」
ハンナは、言った。
「でも、あんたが、隣で茶を淹れてやってから、落ち着いてね。今じゃ、すっかり、里の時間さ」
私は、思い返した。
確かに、あの旅人が来た日。
私は、彼の隣で、茶を淹れた。
何も言わずに、ただ、淹れた茶を、置いた。
それだけだった。
「気のせいじゃ、ないですか」
私は、言った。
「いいや」
ハンナは、首を振った。
「前から、思ってたんだ。あんたがいると、里全体が、なんだか、静かになる。みんな、急がなくなる」
「……そんな」
私は、戸惑った。
「私は、何もしていません。ただ、いるだけです」
「そう。いるだけだ」
ハンナは、頷いた。
「でも、あんたが『いるだけ』で、人は、止まれるんだよ」
私は、自分の手を、見た。
聖女だった頃、この手で、人を癒した。
光の力を込めて、傷を治した。
けれど、役目を降りてから、その力は、枯れた。
もう、何の力もない、ただの人だと、思っていた。
「ハンナさん」
私は、首を振った。
「気のせいですよ。私に、何かの力があるなんて」
ハンナは、何も言わなかった。
ただ、小さく笑って、いつものように、湯を沸かし続けた。
その笑い方が、少しだけ、気になった。
何かを知っていて、けれど、言わずにいる。
そんな笑い方だった。
私は、食堂を、見た。
老人と、若い旅人が、並んで、ゆっくりと湯を飲んでいた。
急ぐ人は、いなかった。
それを、私は、ただの偶然だと、思った。
思おうと、した。
エルシャのそばだと、人が、よく止まる。
ハンナは、それに気づいているようですが、何も言いません。
エルシャ自身は、まだ、偶然だと思おうとしています。
枯れたと思っていたものは、本当に、枯れたのか。
その答えは、もう少し先で、彼女自身が、自分で見つけます。
読んでくださって、ありがとうございました。




