第24話 教えないという教え
ハンナの話を聞いてから、私は、一つ、気づいたことがあった。
ハンナは、私に、何も教えなかった。
里に来てから、ずっと。
どう休めばいいのか。
どう力を抜けばいいのか。
何も、教えてくれなかった。
ただ、「何もしなくていい」と言って。
あとは、私が、自分で気づくのを、待っていた。
ある朝、私は、ハンナに、それを訊いてみた。
「ハンナさんは、どうして、何も教えてくれなかったんですか」
ハンナは、湯を沸かしながら、振り返った。
「教えてほしかったかい」
「……いえ」
私は、首を振った。
「でも、最初は、戸惑いました。何をすればいいのか、分からなくて」
「だろうね」
ハンナは、笑った。
「あんたみたいに、ずっと役目を果たしてきた子は、指示がないと、落ち着かない。何をすればいいか、教えてほしくなる」
「はい」
「でもね」
ハンナは、湯を注いだ。
「休み方ってのは、教えられて、身につくもんじゃないんだ」
私は、ハンナを見た。
「『こう休みなさい』って言われて休むのは、それも、結局、役目になっちまう。誰かの指示に従う、っていうね」
ハンナは、湯気の立つ器を、私の前に置いた。
「本当に休むってのは、誰の指示でもなく、自分で、休もうと思うことだ。それは、教えられない。自分で、気づくしかない」
私は、その言葉を、噛みしめた。
確かに、そうだった。
もし、ハンナが「こう休め」と教えていたら。
私は、その通りに休もうと、必死になっていただろう。
休むことすら、役目にしてしまっただろう。
ハンナは、それを、知っていた。
だから、教えなかった。
ただ、待っていた。
私が、自分で気づくのを。
「教えないのが、優しさ、ですか」
私は、訊いた。
「優しさ、ってほどのもんじゃないよ」
ハンナは、苦笑した。
「ただ、教えたって、無駄だと知ってるだけさ。痛い目を見て、自分でたどり着くしかない場所ってのが、あるんだ」
私は、頷いた。
「私、ずいぶん、回り道をした気がします」
「回り道?」
「最初の頃、何もしないでいるのが、怖くて。役に立とうとして、空回りして」
「それは、回り道じゃないよ」
ハンナは、言った。
「それも、ちゃんと、道だ。空回りしないと、気づけないこともある」
私は、自分が淹れた茶を、一口飲んだ。
苦くない、茶だった。
来た頃は、苦かった。
回り道をして、空回りして、少しずつ、苦くなくなった。
それは、誰かに教わったからではなかった。
自分で、淹れ続けたからだった。
「ハンナさん」
私は、言った。
「私、この里に来て、よかったです」
ハンナは、何も言わなかった。
ただ、ほんの少し、笑った。
そして、いつものように、湯を沸かし続けた。
教えない人。
何も指図しない人。
それでいて、いちばん多くを、与えてくれた人。
私は、そんなハンナを見ながら、思った。
いつか、私も。
誰かに、何も教えずに。
ただ、待ってあげられる人に、なれるだろうか。
次は、あんたの番。
ハンナの言葉が、胸の中で、静かに、響いていた。
何も教えないことが、いちばんの教えだった。
休み方は、教わって身につくものではない。
自分で気づくしかない。
だから、ハンナは、ただ待っていました。
エルシャが、自分でたどり着くのを。
「次は、あんたの番」
エルシャの中に、少しずつ、新しい役割の芽が、生まれ始めています。
それは、与える役目ではなく、ただ、待つ役割なのかもしれません。
読んでくださって、ありがとうございました。




