第23話 降りた人がつくった場所
ある雨の日。
里の者は、めいめい、屋根の下で過ごしていた。
私は、食堂で、ハンナの手伝いをしていた。
手伝い、といっても、押し付けではない。
「やりたければ、おやり」と言われて、やりたいから、やっていた。
豆の選り分けをしながら、私は、ふと、訊いた。
「ハンナさんは、この里に、長いんですか」
「長いよ」
ハンナは、豆を選りながら言った。
「もう、三十年以上になるかね」
「三十年」
「ああ。あんたが生まれる前から、ここにいる」
私は、手を止めた。
「ハンナさんも、何かを、降りた人なんですよね」
以前、ハンナは、そう言っていた。
私みたいに、降りた人が、この里を作ったのだと。
「ああ」
ハンナは、頷いた。
「私もね、昔は、町で、忙しくしてた」
雨の音が、静かに、屋根を打っていた。
「産婆を、やっててね」
ハンナは、遠い目をした。
「町中の、赤ん坊を、取り上げた。昼も夜も、呼ばれれば、走った。何百人もね」
「すごい役目ですね」
「すごい、かどうかは、分からないよ」
ハンナは、苦笑した。
「ただ、休めなかった。私が行かなきゃ、母親も赤ん坊も、危ないから。だから、何があっても、走った」
ハンナの手が、止まった。
「ある日、自分の体が、動かなくなった」
「……動かなく」
「ああ。倒れたのさ。走りすぎてね」
ハンナは、また、豆を選り始めた。
「それでも、私は、起き上がろうとした。呼ばれてるから、行かなきゃって。でも、体が、言うことを聞かなかった」
雨の音が、続いていた。
「そのとき、初めて思ったよ。私は、誰かのために、自分を、すり減らしすぎた、ってね」
私は、黙って、聞いていた。
ハンナの話は、どこか、私自身の話のようだった。
「で、ここに来た」
ハンナは、言った。
「この里に。当時は、もっと小さな、湯の湧くだけの場所でね。先代の婆さんが、一人で、やってた」
「先代の」
「ああ。その婆さんも、昔、何かを降りた人だった。詳しくは、知らないけどね」
ハンナは、湯を注いだ。
「その婆さんが、私に言ったんだ。『ここでは、誰のためにも動かなくていい。あんたのために、湯に入りな』ってね」
私は、その言葉を、知っていた。
私も、ここで、同じことを言われたから。
「私は、ここで、休んだ」
ハンナは、続けた。
「そして、気づいたら、何年も経ってた。婆さんが死んで、私が、この里を、継いでた」
雨が、少し、弱くなっていた。
「だからね」
ハンナは、私を見た。
「この里はね、ずっと昔から、降りた人が、降りた人を迎えてきた場所なんだよ。背負いきれなくなった人が、ここに来て、降ろして。元気になったら、出ていく人もいれば、残って、次の人を迎える人もいる」
私は、胸が、いっぱいになった。
この里の優しさには、理由があった。
ここにいる誰もが、かつて、背負いすぎた人だったのだ。
だから、急かさない。
だから、踏み込まない。
痛みを知っているから、優しいのだ。
「ハンナさん」
私は、訊いた。
「私が、ここに来たのも」
「偶然じゃ、ないかもしれないね」
ハンナは、微笑んだ。
「降りたい人は、不思議と、ここにたどり着く。昔から、そうなんだ」
「……私も、連れ戻されかけた一人、ですね」
「ああ」
ハンナは、頷いた。
「そして、次は」
ハンナは、私を、まっすぐに見た。
「あんたの番かもしれないよ」
この里の由来が、ハンナの口から、語られました。
降りた人が、降りた人を迎える場所。
痛みを知っているから、優しい。
ハンナもまた、かつて、背負いすぎて倒れた人でした。
「次は、あんたの番かもしれないよ」
その言葉が、エルシャの未来を、静かに照らしています。
エルシャがこの里にたどり着いたのは、偶然ではなかったのです。
読んでくださって、ありがとうございました。




