第15話 門に立つ人
夜更けに、里の入り口に、人影があった。
私は、宿を出て、そこへ向かった。
ハンナも、ノアも、後ろからついてきた。
里の門――といっても、ただの木の柵だが――その前に、一人の女性が立っていた。
旅装の上に、見覚えのある白い衣をまとっている。
光神教会の、聖女の衣。
月明かりに、その顔が見えた。
クララだった。
私が聖堂にいた頃の、同僚。
私の次に選ばれた、若い聖女。
「クララ」
私は、思わず名を呼んだ。
クララは、私を見て、唇を引き結んだ。
その目は、まっすぐで、揺らがなかった。
「エルシャ様」
クララは、深く頭を下げた。
「お迎えに上がりました」
夜の谷に、その声が、静かに響いた。
「手紙を、二通、お送りしました。お返事がなかったので」
「……読んで、いません」
私は、正直に言った。
「読めなかった」
クララは、少しだけ、目を伏せた。
それから、また、まっすぐに私を見た。
「エルシャ様。どうか、お戻りください」
凛とした声だった。
「あなたがいなくなって、聖堂は、混乱しています。あなたを慕っていた信徒が、不安がっています。あなたの癒しを、待っている人がいます」
一つ一つの言葉が、正しかった。
だからこそ、胸が、痛んだ。
「それは、あなたの役目です」
クララは、言い切った。
「役目は、簡単に、降りていいものではありません」
私は、何も言えなかった。
クララの言うことは、間違っていなかった。
聖女の役目を、私は、確かに途中で投げ出した。
困っている人が、いるのだろう。
待っている人が、いるのだろう。
それを思うと、胸が、締めつけられた。
けれど。
私は、もう、戻れなかった。
戻れば、また、空っぽになるまで、与え続けることになる。
それが、分かっていた。
ハンナが、何かを言いかけた。
ノアが、私の隣に、静かに立った。
二人とも、私を、見ていた。
けれど、何も、強いはしなかった。
決めるのは、私だ、と。
私は、クララを見た。
クララの顔は、月明かりの中で、ひどく疲れて見えた。
何日も、馬を駆けてきたのだろう。
私を、連れ戻すために。
その必死さの裏に、何か――別のものが、隠れている気がした。
けれど、それが何なのか、今は、分からなかった。
私は、ゆっくりと、口を開いた。
「クララ」
争うつもりは、なかった。
正しさに、正しさで、返すつもりも。
「長い道のりだったでしょう。夜の山道は、危ないのに」
クララの目が、わずかに揺れた。
「冷えたでしょう」
私は、続けた。
「話は、ちゃんと聞きます。あなたの言うことも、分かります。でも、その前に」
私は、里の方を、振り返った。
湯気が、夜の中で、ゆっくりと立ちのぼっていた。
「お茶でも、いかがですか」
クララは、戸惑ったように、私を見た。
連れ戻しに来た相手から、茶を勧められるとは、思っていなかったのだろう。
「……お茶?」
「ええ」
私は、微笑んだ。
「ここでは、まず、湯を勧めるんです。誰が来ても」
夜の谷に、湯の匂いが、漂っていた。
クララは、しばらく、立ち尽くしていた。
連れ戻すための、正しい言葉を、たくさん用意してきたのだろう。
けれど、その言葉は、湯の匂いの前で、行き場をなくしていた。
ノアが、無言で、湯小屋の方へ歩いていった。
湯を、用意しに。
ハンナが、笑った。
「まあ、お入り。話は、温まってからだ」
クララは、唇を噛んだ。
それから、ほんの少しだけ、肩の力が、抜けたように見えた。
「……少しだけ」
クララは、掠れた声で言った。
「少しだけ、お邪魔します」
連れ戻しに来た聖女、クララが、里の門に立ちました。
正しさで迫る彼女に、エルシャは、争わず、お茶を勧めます。
ここでは、誰が来ても、まず湯を勧める。
それが、この里の流儀です。
そして、クララの必死さの裏に、何かが隠れている――
その「何か」は、次の章で、静かに明かされていきます。
ここまで、第15話までお読みいただき、本当にありがとうございました。
エルシャの物語は、まだ続きます。
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また、里でお会いできたら、嬉しいです。




