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聖女を返上したら、静かに溺愛されました 〜山あいの湯治の里で、何もしなくていいと言われて〜  作者: はねださら


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15/19

第15話 門に立つ人

夜更けに、里の入り口に、人影があった。


私は、宿を出て、そこへ向かった。


ハンナも、ノアも、後ろからついてきた。


里の門――といっても、ただの木の柵だが――その前に、一人の女性が立っていた。


旅装の上に、見覚えのある白い衣をまとっている。


光神教会の、聖女の衣。


月明かりに、その顔が見えた。


クララだった。


私が聖堂にいた頃の、同僚。


私の次に選ばれた、若い聖女。


「クララ」


私は、思わず名を呼んだ。


クララは、私を見て、唇を引き結んだ。


その目は、まっすぐで、揺らがなかった。


「エルシャ様」


クララは、深く頭を下げた。


「お迎えに上がりました」


夜の谷に、その声が、静かに響いた。


「手紙を、二通、お送りしました。お返事がなかったので」


「……読んで、いません」


私は、正直に言った。


「読めなかった」


クララは、少しだけ、目を伏せた。


それから、また、まっすぐに私を見た。


「エルシャ様。どうか、お戻りください」


凛とした声だった。


「あなたがいなくなって、聖堂は、混乱しています。あなたを慕っていた信徒が、不安がっています。あなたの癒しを、待っている人がいます」


一つ一つの言葉が、正しかった。


だからこそ、胸が、痛んだ。


「それは、あなたの役目です」


クララは、言い切った。


「役目は、簡単に、降りていいものではありません」


私は、何も言えなかった。


クララの言うことは、間違っていなかった。


聖女の役目を、私は、確かに途中で投げ出した。


困っている人が、いるのだろう。


待っている人が、いるのだろう。


それを思うと、胸が、締めつけられた。


けれど。


私は、もう、戻れなかった。


戻れば、また、空っぽになるまで、与え続けることになる。


それが、分かっていた。


ハンナが、何かを言いかけた。


ノアが、私の隣に、静かに立った。


二人とも、私を、見ていた。


けれど、何も、強いはしなかった。


決めるのは、私だ、と。


私は、クララを見た。


クララの顔は、月明かりの中で、ひどく疲れて見えた。


何日も、馬を駆けてきたのだろう。


私を、連れ戻すために。


その必死さの裏に、何か――別のものが、隠れている気がした。


けれど、それが何なのか、今は、分からなかった。


私は、ゆっくりと、口を開いた。


「クララ」


争うつもりは、なかった。


正しさに、正しさで、返すつもりも。


「長い道のりだったでしょう。夜の山道は、危ないのに」


クララの目が、わずかに揺れた。


「冷えたでしょう」


私は、続けた。


「話は、ちゃんと聞きます。あなたの言うことも、分かります。でも、その前に」


私は、里の方を、振り返った。


湯気が、夜の中で、ゆっくりと立ちのぼっていた。


「お茶でも、いかがですか」


クララは、戸惑ったように、私を見た。


連れ戻しに来た相手から、茶を勧められるとは、思っていなかったのだろう。


「……お茶?」


「ええ」


私は、微笑んだ。


「ここでは、まず、湯を勧めるんです。誰が来ても」


夜の谷に、湯の匂いが、漂っていた。


クララは、しばらく、立ち尽くしていた。


連れ戻すための、正しい言葉を、たくさん用意してきたのだろう。


けれど、その言葉は、湯の匂いの前で、行き場をなくしていた。


ノアが、無言で、湯小屋の方へ歩いていった。


湯を、用意しに。


ハンナが、笑った。


「まあ、お入り。話は、温まってからだ」


クララは、唇を噛んだ。


それから、ほんの少しだけ、肩の力が、抜けたように見えた。


「……少しだけ」


クララは、掠れた声で言った。


「少しだけ、お邪魔します」


連れ戻しに来た聖女、クララが、里の門に立ちました。


正しさで迫る彼女に、エルシャは、争わず、お茶を勧めます。


ここでは、誰が来ても、まず湯を勧める。


それが、この里の流儀です。


そして、クララの必死さの裏に、何かが隠れている――


その「何か」は、次の章で、静かに明かされていきます。


ここまで、第15話までお読みいただき、本当にありがとうございました。


エルシャの物語は、まだ続きます。


もし、この静かな空気が心地よかったなら、ブックマークや評価で、そっと応援いただけると、とても励みになります。


また、里でお会いできたら、嬉しいです。


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