第13話 茶が湯気を立てる
里に来てから、私は、毎日、茶を淹れていた。
最初の頃は、苦くて、渋かった。
自分のために何かをするのが、下手だったから。
けれど、毎日続けていると、少しずつ、変わってきた。
湯の温度を、覚えた。
葉を蒸らす時間を、覚えた。
茶は、だんだん、苦くなくなっていった。
ある朝、私は、いつものように茶を淹れていた。
竈の前で、湯を沸かし、葉を入れる。
湯気が、ゆっくりと立ちのぼった。
その湯気を見て、私は、ふと思った。
聖女だった頃、私は、いつも人のために何かをしていた。
人を癒し、人に答え、人の不安を引き受ける。
それは、優しさのようでいて。
今思えば、少し、押し付けがましかったのかもしれない。
相手が望む前に、手を出す。
相手が頼む前に、答えを出す。
それは、相手のためというより。
役に立っていないと不安な、私自身のためだった。
ハンナが、止めてくれた言葉を思い出す。
あんたのその癖は、ここでは要らない。
押し付けるのを、やめること。
それを、私は、少しずつ覚えていた。
その朝。
ノアが、薪を運んで、食堂に入ってきた。
私は、茶を淹れていた手を、止めかけた。
いつもの癖で、彼の分も淹れようとして。
けれど、それも、押し付けになるだろうか。
私は、迷った。
迷って、それから、こう言うことにした。
「茶、淹れました。よかったら、どうぞ」
差し出すのではなく。
そこに置いて、選んでもらう。
「飲みたければ、どうぞ。いらなければ、置いておいてください」
ノアは、こちらを見た。
少し、意外そうな顔だった。
それから、卓に置かれた茶を、手に取った。
何も言わずに、一口飲む。
私は、彼の反応を、見ないようにした。
人のために淹れた茶ではなかった。
自分のために淹れて、余った分を、差し出しただけ。
それでも、少しだけ、緊張した。
ノアは、茶を飲み終えた。
そして、空になった器を、私の方へ差し出した。
「もう一杯」
それだけ言った。
私は、目を見開いた。
「……いいんですか」
「うまい」
ノアは、それだけ言って、また薪を運びに出ていった。
私は、二杯目を淹れた。
湯気が、立ちのぼる。
苦くない、茶だった。
ノアが、もう一杯、と言ってくれた。
押し付けたわけではない。
差し出して、選んでもらって、それでも、彼は二杯目を飲んだ。
それは、私が淹れた茶が、初めて、誰かに「選ばれた」瞬間だった。
役目として、淹れたのではなく。
ただ、淹れたくて淹れた茶を。
ノアが、二杯飲んだ。
それだけのことが、こんなにも嬉しいなんて。
私は、竈の前で、少しだけ、笑った。
湯気は、ゆっくりと、空に溶けていった。
その日から、私は、一つのことに、気づき始めた。
朝、顔を洗う水が、いつも、ほんの少し、温かい。
薪は、気づけば、私の使う竈のそばに、積まれている。
履物は、夜のうちに、土間の乾いた場所へ、寄せてある。
誰がやっているのか、訊かなくても、分かった。
ノアだった。
彼は、何も言わなかった。
「やっておいた」とも、「気にするな」とも。
ただ、私が困らないように、先回りして、整えていた。
踏み込まずに。
気づかれないように。
私は、その気遣いに、気づかないふりをした。
気づいた、と言えば。
彼は、やめてしまう気がしたから。
だから、私も、何も言わなかった。
ただ、温かい水で、顔を洗った。
それだけで、朝が、少し、優しくなった。
エルシャの淹れる茶が、ようやく、苦くなくなりました。
第4話で、苦い茶を淹れていたのを、覚えていてくださった方がいたら、嬉しいです。
押し付けるのではなく、差し出すこと。
選んでもらうこと。
小さな違いですが、エルシャにとっては、大きな変化でした。
ノアが「もう一杯」と言う。
それだけで、十分なのだと思います。
そして、ノアもまた、言葉にしない優しさを、そっと置いていきます。
気づかないふりをする優しさも、あるのかもしれません。
読んでくださって、ありがとうございました。




