千龍湖の奇跡
紫耀メイはふと夢ヶ丘商店街のあたりを走っていた。いつもの日課のランニング。ルートは商店街を抜けた先にある、公園,更にその先にあるあの丘だ。
あてな……。どうして。最近あの子の心が分からない。今までの温かな気持ちや,すぐ手に届く柔らかさを感じることができなかった。メイはランニングシャツから汗が垂れるのを振り払うように走る。綺麗なフォーム。あの時とは違う。自分でもよく分かる。そして自分を暗闇から引っ張りだしてくれたのは,間違いなくあてなだ。今度はそのあてなが苦しんでる。なんとかしたいけど……。あの時の目、まるで拒むような目を見るとメイの頭がヒリヒリする。
(あてな……。あなたに入り込んでいいの?それとも)
夕方の公園に星が流れている。綺麗な白い月が夕空に映し出された。
(あの一つ一つが夢ヶ丘の希望なんだよ!)
(メイちゃん……大丈夫だから。)
メイは公園の入り口に誰かの人影を見た。
黄昏時の逆光で顔はわからない。
揺れている黒のスカート。長い髪が風に揺れている。その匂いや、雰囲気を体の中の細胞が思い出す。
「魔月川瑠衣……」
「二度目ですね。メイちゃんと会うのは」
メイは立ちすくみながら,足を一歩踏み出して瑠衣に近づいていく。
黒のシックなスカートと青のリボンが可愛らしくもあり……。
スポーツウェア姿の自分がまるで未開の野生動物みたいに思って……。じゃなくて服装なんかどうでもいい。
「ええ……」
瑠衣とメイの間に気まずい沈黙が流れる。
「その……ごめんなさい」
メイは頭を下げた。ずっと頭の中で考えてきた言葉はうまく出てこない。ただその一言しか言えない。
「……」
瑠衣は指先で自分の目のあたりを触りながら
「メイちゃんはバカですね」
そう言って優しく微笑む。
「だって本当にごめん」
俯いたメイの頭を優しく撫でる瑠衣。
「私がメイちゃんを恨んだことなんてないですよ。だって……」
「だって?」
瑠衣は笑う。
「友達ですから。本気でぶつかり合った結果です。メイちゃんは私を傷つけたと思ってるかもしれませんが,私にとってメイちゃんは憧れで,友達で,私に本気でぶつかってくれた人です。側から見ればどうかは知りませんが、私にはそれが真実ですよ。」
「瑠衣」
瑠衣の痛みや、強さ、自分なんかにどのくらい憧れてくれているか、身体中に伝わる。
空には黄金の三日月が顔を出していた。
「メイちゃん。私の弟子のこと頼みましたよ」
「えっ」
「後悔しないように。ぶつかってあなたの気持ちを伝えるのです。今私がしてるみたいに」
「ありがとう。本当に瑠衣は優しい。私ばっかみたい」
「普通ですよ。ですが、もし貴方達がこのままゴタゴタした状態で本気を出さず私達とのアームズ杯を迎えるならその時は一生許しませんからね」
瑠衣はぞっとするほどの笑顔を見せた。優しいまま、冷たい笑顔。
「分かった。瑠衣。決着つけよう」
メイは差し出された手を握ると、そのまま走り出した。
◇
あてなは、リビングから自分の部屋に向かう。隣のいとなの部屋からは何も聞こえない。あてなはベッドに勢いよくダイブした。でも結局その後体はベッドに沈んでいく。ベッドにうつ伏せになり目を閉じようとする。今日あった事を思い出してしまう。
今日の学校終わりにあてな達は,さくら部長の提案で部長の家にお邪魔していた。
「うわー部長の家,綺麗」
さくら部長は照れてるみたいに笑った。
メイちゃんはなかなか部屋に入らずぼうっとしていた。
夏先輩が慣れたように部屋に入って、それから……
記憶を思い出す。
トイレに入った時だった。トイレの鏡が一瞬歪んだ。
緑色の海,そして黒い雲から稲妻が走り,大きな城が現れて。
城から竜が現れた。黒い蛇みたいな竜が城に巻き付いている。
一瞬だった。
あてなは急いで手を洗いリビングへ戻る。
「でもなんでこのタイミングでさくらの家で会議なんだ?」
「まあ,なんていうか一回家に呼びたくて。」
さくら部長はまた恥ずかしそうに笑った。そうだ,さくら部長も夏先輩も最後なんだ。この大会が最後。負けちゃいけないんだ。
みんなでクッキーを食べたり,コーラを飲んだりおしゃべりしてる中であてなだけは集中できない。コーラの味がやけに苦く,口の中に残る。コップを見ない様にしていたのに気になってしまう。
「ねっ、あなたは自分勝手」
(違うよ。私はみんなで最後の戦いの前に楽しみたい)
コップに映るもう一人のあてながニヤニヤしながら笑っていた。
「だってあなた,せっかくみんなが最後に仲良くしようって用意してくれた場所で全然違うこと考えてるじゃない」
(違う。それはあんたが)
「私が?」
バカにするみたいに前屈みで笑うもう一人のあてな。
「って感じで。おい、あてな聞いてるか?」
「はい!先輩」
勢いよく返事をした。
そこで意識がベッドに戻ってきた。顔から水滴が落ちる。本当に何やってるんだろ。後数日で、堕天高校との試合なのに……。
「お姉ちゃんー友達来てるよ!」
いとなちゃんが入ってきた。あてなは口角を上げながら返事する。
「すごい綺麗な子」
あてなが玄関に出るといたのはメイちゃんだった。
「メイ……ちゃん?」
「あてな。ちょっと付き合って」
メイちゃんに連れ出されてあてなは、家から遊歩道を歩いている。メイちゃんは夏らしく、爽やかな水色のTシャツを着ていて爽やかな感じがした。
どこまで行くんだろ。遊歩道を先に歩いていくメイちゃん。
ついた先はバス停だった。
「どこいくの?」
「いいから」
窓から景色を見ると、鮮やかな夏の空にだんだん夕方の闇が落ちようとしている。白い月が輝いて真っ赤な夕焼けが海の方を照らしていた。
「あてなは覚えてる?」
何を?あてなはただ聞いている。
「夢ヶ丘の希望の話。」
「うん。」
「言ったよねあてな。夢ヶ丘はみんなの希望が空に反射してるんだって」
「うん。言ったよ。」
空を見ると真っ赤な夕焼けの中に、ポツリポツリと星が見え始めた。
「……なんか悩んでる?」
「えっ悩んでないよ。」
しばらく沈黙してしまう。
「次は千龍湖。千龍湖。」
バスの案内が来た時メイちゃんは降りるボタンを押した。
バスが離れていく。あてなとメイは千龍湖駅から芝生沿いを歩いて、千龍湖に来ていた。
「……はあ、だめね。私はあてなほど詩人じゃないから」
「フフッ、メイちゃん。何その言い方。」
思わず笑ってしまう。
「だから見て。」
メイちゃんの指差す方向には湖がある。夕焼けに反射して黄金色に輝く湖。
「……すごい」
「……うん。今少しあてなの気持ち感じた。」
「あのねっあのね。実は自分でもよく分からない自分みたいな力があったりしたらメイちゃんどうする?」
「……難しいわね。」
波が跳ねた。海鳥が浮かんでいる。
「私ならあてなや部活のみんなに頼る。どうすればいいかみんなで考えたい。もし危ない力なら使って欲しくない」
「無理だよ。それに。」
水面にはもう一人のあてなが笑いながら嘲笑する。(だって力求めてるんでしょ)
「力が欲しいよ!メイちゃんにはわかんない!毎日負けて負けて負けて!」
だめだ。これ。止まらない。
波が激しく揺れて水面が揺らぐ。
「だって負けたら終わりだよ!さくら部長や夏先輩との最後の夏なんだよ!負けていいわけない!いつも強いメイちゃんには分かんないよ……」
パシッ。一瞬何が起きたか分からなかった。頬に痛みを感じて叩かれたって分かる。でもその前に、温かい。柔らかいメイちゃんの体があてなを抱きしめていた。
「うっうわー」
涙が溢れてくる。メイちゃんの細い指が頬を撫でる。
「バカッ終わりじゃない。勝負に負けたって私が何回でも相手するから!何万回でもっ」
更に強く抱きしめられる。
「でも……先輩達とは」
「当たり前だろ。まったく二人でいちゃつきやがって」
「こら、夏。茶化さないの。でも私達だって公式戦が終わるだけで練習だって付き合うし、いくらでも相手になるわ。」
さくら部長に夏先輩。どうして?
「いやーメイに呼ばれた時は焦ったぜ。」
メイちゃん。
「たまたま先輩達が近くにいたから!ばっかじゃないの!」
「電華高校デンサバ部勢揃いだな。もう遅いし、近くのファミレスで飯でも食うか。俺の奢りだ!」
「いいんですか。そんな。」
「いいえ。私も出すわ。」
さくら部長、夏先輩。そしてメイちゃん。終わらせたくない!絶対にこの夏を。バス停から見上げた空は星が輝いていてそれはきっと夢ヶ丘の希望なんだ。みんなの優しさが空に反射して……。風が気持ちよかった。




