第72話 その後の教室
私が大賢者になったからといって、学院での授業は免除とはならなかった。私が習得していない呪文はほとんど無いし、礼儀作法も知識と経験としてはちゃんと存在する。新たに憶えることはあまりなかったのだけど、半分は私の興味本位。魔術学院の授業がどのような形で成立しているかを実体験するため。じゃないと、改善点とかわからないしね。
そしてもう半分は、私をもう少しだけ、子供のままで居させてくれるというアイリアや周りの人たちの配慮。前世で忙しいまま亡くなったアンリットに、ゆっくりとした時間を与えてくれる。そんな優しさ。
「あら、こんな簡単な詠唱もできないのかしら。ジョゼファって口ばかりですのね」
基礎魔術の授業で、オリヤ先生が私の教え方を取り入れ、小さなグループに分かれてお互いに正しく詠唱できているかを確認していた。ロゼリアはもともと頭の回転が速いのか、魔術文字や詠唱の習得も早い方だった。そのロゼリアが隣のグループのジョゼファを揶揄う。
「なんですって! 偽賢者の癖に! 警士に突き出すわよ!」
ジョゼファも口の悪さでは負けていない。貴族の子供は知識が多くてプライドが高い分、言い争いも大人顔負けになってくる。だけど、まだまだ子供だから感情的なんだけどね。
「ロゼリアは相手を下に見て優越感に浸ろうとしないの」
私が諫めると、ロゼリアは聞こえなかったかのようにぷいと他所を向く。
「――そうやって自分が上に乗れない相手から逃げて、気持ちよく下になってくれる相手とばかり付き合おうとしない」
塞ぎ込まれるよりずっといいんだけど、ロゼリアの高慢なところは変わっていなかった。よくいるよね。自分可愛さで付き合う相手にマウントの取れる人ばかり選ぶ子って。だけど、今からでも直していかないと、大きくなって困るのは彼女だからね。
「――デーテ先生に報告しておきますよ?」
「それはダメ! それだけは許して……」
誰も引き取ろうとしなかったロゼリアに、手を差し伸べたのはデーテ先生。ただ、デーテ先生も言っていた。以前の自分なら、絶対に助けなかったし、高慢なところにも我慢できなかった――って。じゃあ、何が彼女を変えたのかと言うと、やっぱりアンリット。アンリットは我慢強く問題のある子を諭し、導いていったんだって。ほんとに私!?――って思う。
「へぇ……。デーテ先生に言いつけられるのが嫌なんだ?」
すると今度はジョゼファが増長する。
オリヤ先生は私たちの言い争いにあたふたして声を掛けられないでいた。
「ジョゼファ。あなたがデーテ先生に言いつけたところで、先生はあなたの魂胆を見抜きますよ、きっと。そして長々とありがたいお説教をいただけるでしょうね」
「なによ! この子は知の化身って偽ってたのよ!?」
「それは公然の秘密というものです。つまりジョゼファが、貴族なら必ず身に付けなければならない本音と建前というものが学べていないという証左です。貴族なら、たとえ知っていたとしても表に出してはならない話題というものがあるのです。大人たちがそれを守っている以上、流布なんてすれば、咎められるのはジョゼファ、あなたであり、あなたの家なのですよ」
(まあ、本音と建前なんて私がいちばん苦手なんだけどね)
うぐっ――と口を噤むジョゼファ。彼女は彼女で意地悪が止まらない。躾が悪いのか、どこか歪んだ感情が漏れ出ているのか、結局、毎回のように私が介入していた。
傍に立つ、ライヤとアントウィアにも睨みを利かせておく。
はしっこくてズルいことには頭の回るライヤには、先日、小魔法を使って手玉に取ってやったし、背の高いアントウィアには拳で挑んで泣かせた。こちらが小さくても本気を見せれば、割と女の子はビビってくれるからね。ベルチカからはダメ出しされたけど。
「――あなた方に家名を背負えなんて言いません。学院は身分を問わない学びの場なのですから。ですが、中傷はいずれあなた方自身の評判を落とします」
「その程度の事で家の評判が下がるわけない! 貴族はね、平民とは違うの! 許されるの!」
これまではね。これまではそうだったかもしれない。――けれど、今は魔術を学んだ新しい貴族たちが貴族社会に入り込んでいっている。若いこともあって侮られていたエスラ先生やネッラ先生はこの先、きっと実力を認められていく。アイリアの後ろ盾もついてる。何より、学院みたいな場で一緒に学んだ生徒たちには連帯感が生まれる。学院出身者の派閥はどんどん大きくなってくるはず。
そして大賢者として私が変えてみせる!
「いつまでもそんな日が続くといいですね」
アンリエットの優しさで、ジョゼファに柔らかく返したつもりだったけど、かえって皮肉めいて聞こえたと、あとからベルチカに注意されてしまった。




