第64話 追ってきた側仕え
「アンリエット、君に許可を貰いたいんだ。私と、君のお母さまとの結婚を許してくれるかを」
ラジエルの騒動が収まった後、アンヘルさんは私の前に跪き、手を取った。
アンリットが私だとすると、この人は前世で私の婚約者だった人。演舞台にあった『アンヘルとアンリット』の文字。あれはきっと恋人同士だった印。
「アンヘルさんは、私がアンリット様の生まれ変わりという話を聞かれましたか?」
避けてもいい話題だった。けれど、もしかするとこの人の中にも、まだアンリットが居るかもしれない。
「ああ。次の大賢者として認められたという話はマルエル様から聞いたよ」
「アンヘルさんは、私とアンリット様、どちらの許可を求められるのですか?」
「……そうだね…………聖女様の預言という話だし、どうやら皆はそう思っているようだけど……」
アンヘルさんは、エスラ先生やカネラを見上げ、そして視線を戻す。
「――私にはそうは思えない。私が憶えているアンリットは、君の中には居ない。だから、ベンネヴュッテの娘である君に許可を貰いたいんだ」
アンヘルさんは私の目を見てハッキリとそう言った。
「じゃあ、何も問題はないと思います。――お母さま」
私はお母さまの手を取り、アンヘルさんの手を重ねてあげた。
「――お母さまを大事にしてあげてください」
「ああ、もちろん君の事もね、アンリエット」
そうして、3人で抱き合った。
アンヘルさんは、今世の私の父親になった。
女神さまが私の記憶が無くなるようにしてくれていて、この時ほど嬉しかったことは無い。たぶん、記憶が残っていたら、耐えられなかっただろうから。そして少しだけ、アンヘルさんの事を憶えていない自分を寂しく思った。
◇◇◇◇◇
「まさか、ベンネヴュッテ様のお子様だったなんて! 全く存じませんでした!」
エスラ先生が興奮気味に言う。
久しぶりにアンヘルさんの家へ帰り、少し遅めの午後のお茶を楽しんでいた。エスラ先生はお客様。
「ごめんなさいね。アンリエットの命が何より大事だったのです。学院に入れば命を脅かされることは無いだろうと思っておりましたのに、誘拐されたと聞いた時には心臓が止まるかと思いました」
「レンネブルクの件がなければ、その判断は間違っていませんよ、ベンネヴュッテ様。――それよりも私は、エスラ先生がお気づきで無かったことに驚きましたが」
お母さまに返したのはエスカイユさん。ラジエルを連れて行ったあと、陛下の計らいでこちらに顔を出す時間をもらえたそうだ。名目上は私の護衛として。
「私は学院に魔族が入りこまないか対策を練るので必死でしたから、そこまでの情報は……」
(そうだ。魔族を見破る魔法なんてないかな……)
そう思って呪文の一覧を探すと…………あったよ。真実の目って呪文が。だけどこんな呪文、覚えていたなら流石に私でも気づくと思うんだけど……。
『実はそれ、前の持ち主が覚えてた呪文なんだ』
唐突に女神さまが語り掛けてきた。
(えっ、女神さま!? それって賢者の祝福の前の持ち主が居たってこと!?)
『そゆことー。王国の建国よりもずっと昔のことかな』
(デーテ先生の仮説って当たってたんだ……。――いや、でもちょっと、最初からそれ、使えるようにしておいてよ!!)
『イズミがちゃんと魔術を使えるようになってからじゃないと、馬鹿みたいに魔法を使いまくって自滅するだけだったと思うよ』
(ありえるから何とも言えない……)
真実の目については、後でエスラ先生に話すことにした。だって、今こんなこと言い始めたら、お父さまとお母さまが混乱しちゃうもんね。それってすごくアンリットっぽいじゃない?
「エスラ先生、アンリエットが大賢者になると、あの屋敷で住むようになるのですか?」
「私邸ですので、そのようになりますが、ご夫婦も越してこられます?」
「そういうわけではありませんが……」
「あの、お父さま。私、こんな年で私邸なんて持ってしまったら、きっと慢心してしまい学業にも影響が出ると思うのです。ですから、少なくとも卒業までは寮でお世話になるつもりです」
それに、私邸でひとりは寂しいからと心配して越してこられたら、お父さまもお母さまも、落ち着いて二人目に専念できないだろうしね。
「さすがはアンリエットさんですね。ご安心ください! 大賢者様の私邸として、魔鉱のカエメンティキウムも、屋敷を護る魔鉱の魔法陣も最新のものを備えておりますから、見えざる召使いたちが主人の居ない屋敷を維持してくれます」
私邸は春には竣工するらしい。指物師筆頭のアイザさんが不調で、これまで家具の納入が遅れていたらしいけれど、すぐに住まないなら、のんびり聖女様と平和な家庭を築いてからでいいよね。
さて、そんな話をしていると…………
ドンドンドン――と、いくらか乱暴なノックの音が響いた。
お父さまが出ようとするけれど、念のためエスカイユさんが応対する。
「あっ、あのっ、こちらにっ! エル・カーリーのベンネヴュッテ様がいらっしゃると神殿で聞いてまいりました!」
ぜえぜえと、息を切らしながら懐かしい声が玄関口で問いかけていた。
「インゲ!?」
「アンリエット様!」
覗きに行ってみると、お母さまの側仕えだったイングリドが大荷物を抱えてそこに居た。
「インゲ、あなたどうしたの!? リガノの家族は??」
お母さまも驚いて出てきた。
「暇を出されたあと、奥様がリガノを立ったと聞かされました。その上、子爵代理が奥様を追って王都へ向かったと。これはただ事ではないと思い、息子は夫に任せ、追って参ったのです!」
どちらかと言えば物静かなイングリドが、声を振り絞るようにして早口で答えた。私はお母さまと話している彼女の傍へ寄り、手を握る。
「そうだったのね……ありがとう、インゲ。私も、あなたと離れて寂しかったわ。だけど、あなたにもしものことがあったらと。だから暇を……」
「ご安心ください。いずれ息子を魔術学院へ通わせたいと夫も考えております。私がこちらで奥様のお世話をさせていただけましたら、願ったり叶ったりでございますから」
結局、住み込みで働く気満々のイングリドが家事をすることとなった。これまで家事と教師を兼任していたお母さまはお役御免。教師の仕事も少し減らし、妻としての生活と、そしてもうひとつ…………。




