第49話 エスラの帰還
「その透明化、火球を使っても失われない所を拝見しますと、高位階の幻影魔術ですね。それに、聖堂の祈りまで扱え、始めて目にする血の眷属を見分ける知識……さぞ高名な方と存じますが、お名前をお聞かせいただけませんでしょうか」
エスラ先生は闇に溶け込んでいく白い霧を見つめながら、そう聞いてきた。
「そちらの馬車に乗っている方の御身分を明かして下さるのでしたら」
「それは…………致しかねます、残念ながら」
(私の鑑定で無理に調べることもできるけど、エスラ先生の仰ることだし……やめておこう)
「お気をつけて。お大事に」――そう言い残し、その場を飛び去った。
◇◇◇◇◇
血の眷属の隷属者の名札は未だ追跡できていた。退散が成功したため、相手は恐慌状態に陥っていた。散り散りに逃げるふたつのうち、魔術を使わなかったレミアのヴァスルを追う。
ただ、しばらくすると恐慌状態も失われ、白い靄は壁や樹木をすり抜けながら移動し始める。すると、こちらの鑑定にも捉えづらくなる。ただし、建物には入らない。人間とも動物とも違う行動原理で動いていた。
何とか見失わないよう追跡した名札は、やがてとある建物の中へと入っていった。
◇◇◇◇◇
「おはようございます、アンリエット様。お疲れですか?」
二段ベッドの梯子に登ったカネラが問いかけてきた。さすがに、二段ベッドの上の段に居る主人を世話できる侍女は居ない。
「おはよう、カネラ。アノリさんは?」
「アノリ様は既に食堂へ向かわれました。アンリエット様は昨晩、遅うございましたから」
「わかりました。ありがとう」
「礼など無用にございますよ。さあ。朝食は大事だと前世のアンリエット様も仰っておられたそうです。着替えて食堂へ参りましょう」
前世かどうかはわからないけれど、朝食は大事だね。カネラが用意した洗面器で顔を洗い、ブラシをかけてくれた制服に袖を通した。そこへ――
コンコンコン――とノックの音。
カネラが対応する。廊下からは女性の声。
「アンリエット様はまだ御在室でしょうか」
「ご用件は?」
ただそこで一拍、訪問者の言葉が途切れる。
「……わたくし、エスラ学院長の遣いで参りました。今から少し、アンリエット様のお時間を頂けますか?」
「なりません」
(いや、ちょっと……)
「――アンリエット様はまだ朝食を取っておられません。何者にもアンリエット様の朝食を邪魔する権利はございません」
「あの、カネラ……」
「でございましたら、学院長とご一緒に朝食はいかがでしょう。こちらも学院長にゆっくり朝食を取っていただきたいので」
「品書きは?」
「メレア北部の氷結湖の鱒を氷漬けにして運ばせ、香草で焼きました。スープは塩漬けの豚脛肉をよく煮込んだものに、朝食用に小金瓜を加えてさっぱりと。美容にも宜しい料理でございます」
「鱒の香草は?」
「首狩り草で臭みを抑えました。副菜に聖堂で分けて頂いた水盾草もございます」
「宜しいと思われますが、如何でございましょう。アンリエット様」
「宜しいと思われます……」
勝手に話を進めるカネラに、半ば呆れ気味に返した。
◇◇◇◇◇
迎えにきたのはエスラ先生の所のリヴリエーヌさんだった。彼女とカネラは、どうも顔見知りのようで、少しだけ互いに緊張感を感じた。彼女もドバル家の関係者なのだろうか。
「アンリエットさん! よかった、無事で……。誘拐されたと聞かされた時は、心臓が止まるかと思いましたよ……」
エスラ先生は、私の姿を見るや抱きついてきた。リヴリエーヌさんがそそくさと部屋の扉を閉めていた。そういえばエスラ先生も、アンリット様大好きの人だった。
「大丈夫ですよ。私、元気ですから」
「そう? そうですか。……以前と少し、雰囲気が変わりました?――カネラ! アンリエットさんを助けてくれたそうで。感謝します!」
慌ただしく立ち上がったエスラ先生は、カネラの手を取り握りしめた。
「アンリエット様に仕える身として、当然のことをしたまでです」
「デーテ先生から聞きました。アンリエットさんがアンリット様の生まれ変わりで間違いないと言ってくれたそうですね!?」
「確信いたしております」
「そうですか……。あなたがそう言ってくれるなら安心です」
「あの……」
また勝手に勘違いされているけれど、一応断りを入れる。
「――アンリット様ではなく、私はアンリエットですので……」
「ですが、賢者の祝福に目覚められたのでしょう?」
授かったではなく、目覚められたとエスラ先生は言った。確かに私の場合は、その方が正しいのかもしれない。
私が言葉に迷っていると、朝食を――と席を勧められた。
食事がローテーブルに用意され、ソファーではなく昔ながらの長椅子に座って頂く。
「いかがです? お口に合いますか?」
「とても……おいしいです。北部の首狩り草は香り高いので有名ですが、鱒にも合いますね。それにこの水盾草というのは……」
蓴菜といえば通じるだろうか。よく似た水辺の植物で、ゼリーのようなぷるぷるとした食感の若芽に、香りのよい葡萄酢で味付けした上品な料理だった。何度も転生してきたけれど、こんなものは食べた事が無かった。
「私が食事をしっかり取らないものですから、リヴリエーヌが身体に良いものを、気遣って用意してくれるのです」
「これを気に、もう少しだけエスラ様には身体を労わっていただきたいものです」
リヴリエーヌが答える。以前もそうだったけれど、エスラ先生とリヴリエーヌはそこまで主従関係が厳しくないように思われた。
◇◇◇◇◇
「アンリエットさんは聞いたことがありますか? 知の化身が魔術を得意としていたことを」
食事を十分に堪能したころに、エスラ先生が不意にそんな話をした。
「はい、聖女様から伺いました」
「そういえば聖女様もアンリエットさんを認めたそうですね」
「ですが聖女様も、確かな根拠は仰られませんでした」
「そうですか……。ともかく、優れた魔術の使い手でした。そしてもうひとつ。……アンリット様のことで、貴族の間ではあまり知られていなかったことを昨日、思い出したのです」
「……と申しますと?」
「アンリット様は、主神様の御力を使えるのです。大きな力ではありませんでしたが、小祝福を。――そう。確か、ロゼリアさんは去年の夏、陛下の前で言いました。魔術は忘れてしまったと。ですが、小祝福については何も言わなかったのです。ただ昨日、偶然、優れた魔術の使い手であるにも拘らず、主神様の御力を使える方に出会ったのですよね」
エスラ先生はそう言って食後のお茶を啜った。




