第39話 カネラの祝福
「来たわ」
大外套の頭巾を目深に被ったベルチカが、立ち上がって言った。ベルチカが居る上の客席はともかく、舞台上には既に陽光は届いていなかった。芝生に残る雪が、冷たい風となって吹き下りてきていた。
ロゼリアはベルチカには目もくれず、演舞台脇の階段から下りてきて頭巾を上げた。
「あら? 逃げずに待っていてくださったのですね。平民の癖に勇敢ですこと」
「あなたこそ、人を待たせて申し訳ないと思わないの?」
暗い演舞台で、その赤い瞳が仄かに灯るように見えた。
「平民は貴族を待つものでしょう? わかっていて待っていらしたのかと思いましたわ。――それで? カネラを大人しく差し出す気になりましたの?」
「何度も言った通り、カネラは私が護ります」
カネラは大外套を羽織った上で、私を後ろから抱いてくれていた。寒くないように。そのカネラが私の後ろから離れて前へ進み出る。
「カネラ本人は差し出されるのを望んでいるようですわよ?」
「本人が任せてほしいと言った以上、後ろ盾になってあげることも主人の役目ですから」
カネラは侍女ふたりのことは自分に任せてほしいと言った。
だけどロゼリアは、ぱっと顔を輝かせる。
「後ろ盾!? あなたが?? 相も変わらず、笑わせてくれますこと!」
そう言ったロゼリア。その視線は私の頭の上を向いていた。
(おかしい。あれはどうみても……)
他人から見れば自分がどう見えるのかがよくわかる。それは賢者にありがちな仕草だった。
鑑定――頭の中で呟き、彼女の頭の上の名札を注視すると、現れた四角い窓には…………
『賢者』の祝福!?
魅了状態は相変わらず。加えて憑依状態!?
(憑依!? 何かに取り憑かれてる? もしかして、賢者の祝福の力もそれのせい!?)
南部の田舎とか北部の山奥へ行けば、人に取り憑く霊みたいなのも出たりする。ロゼリアがその憑依によって何かの力を得ているというのはありうる。ただし、それらは呪いや病の一種のようなもので、出たり入ったりするようなものではない。
「――おかしい……。やっぱり、賢者の祝福も魔術師の祝福もない。それ以外は鑑定できてるのに……。探知妨害ではない? 祝福だけを隠せるものなの? あなた、いったい何者?」
「それはこっちのセリフ。あなたこそ何者なの?」
ロゼリアは眉をひそめる。
「あなた、時々変な言葉を使うわね。……いいわ。身の程をわからせてあげれば少しは従順になるでしょう。シアン、ヒューペリア」
了解――とふたりがカネラと対峙し、お互いに外套を投げ捨てた。
「カネラ。あんた、拳闘士の祝福なんて持ってるんだってね。油断したわ。けど、素手でしか戦えない拳闘士なんて、所詮は二流の祝福。本物の戦士には敵わないのよ」
そう言ってシアンは隠し持っていた棒を手にする。棍棒というよりは60cmくらいの短杖というべきもの。
カネラの祝福は彼女の言う通り拳闘士。ただ、魔剣が強力なこの世界では、その技術は他の祝福ほど高みに至れなかった。祝福とは、技術の継承だからだ。かつての達人の技術が、祝福というものを通じて後の者に継承される。だから、技術を極めた者の少ない拳闘士のような祝福は戦力としては低く見積もられる。
ただし――
パン!――短杖で確かにカネラは左腕を打たれた。そのはずが、何故かその左腕は短杖を掴んで動きを封じている。
ただしそれは、同格以上の相手を想定する場合のみ!
「貴様…………痛みを感じないのか!?」
そう。カネラはまるで痛みを感じなかったかのように、短杖を脅威ともせず、ひと呼吸の間に同じ左腕が切り返しに入ったのだ。
「痛み? 感じますよ。ですが、痛いから何だというのです?」
カネラは穏やかに言った。力むシアンに対して、弛緩して見えるカネラ。力を入れているように見えないのにシアンは短杖を奪い取れない。さらにカネラが全身を使って身体を捻ると、シアンはよろめいて短杖を奪われてしまった。
カネラは短杖をぽいと湖へ投げ捨てる。
「なにやってんだ、シアン……」
「ヒューペリア、こいつおかしいぞ」
「おかしいのはあんただよ。たかが拳闘士相手に何やってんだ」
ヒューペリアは遠めの間合いから、短杖を横薙ぎに払う! それをカネラは避けもせず右上腕で受けた。よろめいたかに見えるカネラ。ただ、実際に態勢を崩したのはヒューペリアだった。カネラは殴られると同時に、踏みだしたヒューペリアの右脚の内側に蹴りを入れたのだ!
「――くっ!」
一瞬のよろめきにすかさず身体を差し込み、腕の内側、腋、首と、再びひと呼吸の間に続けざまに殴るカネラ! ただ、どの一撃も映画みたいにリズムのある重い一撃ではない。滑らかに、短いストロークで軽く殴りつける。
「――がはっ! 痛ってえ」
喉を突かれてたじろぐヒューペリア。
「何をやってるのかしらね……わざわざ武器になるような物まで用意してあげたのに、遊んでいるの?」
短杖がスポンジの棒だったらロゼリアの言う通りかもしれない。カネラは常に弛緩してるし、身体を痛めている様子もない。切り返しも見た目は軽いから遊んでいるようにしか見えない。
「なんでもねえ、ただちょっと痛いだけだ」
再び遠間から殴り掛かってくるヒューペリアに、わざわざ身体ごと進み出ていくカネラ。その短杖がカネラの左腕を打つ!
パン!――と大きな音! 細腕が折れたように見えるも、その腕は再びヒューペリアの右腕を捉える。
同時に、右腕で腋を突く! それも角度を変えながら二度!
さらには横合いから殴り掛かってくるシアンのその腕を、ヒューペリアを手放した左手が打つ! 右腕はその胸を!
「痛ったあ!」
乳房を抑え込んで怯むシアン。あれは痛いよね。
ただ、カネラはその間も動き続けた。隙を見せたシアンの腕を取り、背中に回り、首に左腕を回して締め付け、そのままヒューペリアからの盾にした。
とにかくカネラにはリズムが無い。常に動き続け、カウンターを狙うが一撃必殺ではない。殴られても平然と切り返し、表情は穏やか。見た目なんて地味そのもので、見栄えはしないのに次の瞬間には相手を制している。
「あなた方はいちいち痛がるから隙だらけなのですよ」
「うるせえ! 急所を殴られたら痛いのは当たり前だろうが!」
(この世界の鎧は性能いいからね……喧嘩をしたって殴られ慣れてるのは顔だろう)
「この程度で痛いなんて……。私はもっと痛い目にあってきましたよ? 身体にも、心にも。ですが、そんな私を救い、癒してくださったのがアンリット様なのです! アンリット様の慈悲の前では、この程度の痛みなど、むしろ心地よいくらい!」
カネラはそう言うけれど、実際には拳闘士の祝福の不屈の力で痛みを俯瞰して見ることができているだけ。痛いのはわかるけど、痛がりはしない。加えて、自己回復の力で多少の怪我、特に打撃による負傷は癒されてしまうだけ…………だけだよね??
「――そもそもあなたがた、本当なら死んでいましたわよ?」
パチ――とカネラがいつの間にか左手に握りこんでいた物を開いた。
それは手の中に納まる程度の折り畳みナイフだった。




