第38話 触媒
その日の3限目の授業で、ついにベルチカが消去の呪文を成功させた。
「さすがです、ベルチカ!」
「優秀な先生がついてくださってましたもの」
ニコリと笑うベルチカに、微笑み返す。
私にイズミの記憶が蘇ってからというもの、呪文の正確な詠唱を、より適切に教えられるようになった。おかげでハルシニアも、そしていくらか雑な性格のラネットも順調に魔術文字の習得が進んでいた。
「本当に! 私よりもずっと上手に教えられてますよ、アンリエットさん。そしてベルチカさんも。あなたにも魔術師の祝福があるのかもしれません。大賢者様から祝福を授けてもらう前に、こんなに早く最初の魔術を習得できた生徒はそう居ません」
ただその、オリヤ先生の言葉の中にひとつ、聞いてみたいことがあった。
「あの、オリヤ先生。大賢者様の祝福というものは、誰でも授かれるのでしょうか? その、お金がたくさん必要でしたり……」
「お金なんて必要ありません。1回生の皆さんは来年、9歳になれば誰もが祝福を授かれます」
「9歳で……ですか?」
「そうです。祝福を授かるとそのくらいの齢から身体が成長を始めますからね」
イズミの記憶でもそうだった。早い時は9歳の秋には、遅い時でも12歳くらいまでには身体が急速に成長を始める。だけど転生を繰り返す私の場合は、親に気味悪がられて捨てられることさえあった。誰もそんな知識が無かったから。
(王国じゃ、もうそんな思いをしなくても済むんだ……)
さらにオリヤ先生は続けた。
「――ただ、あまり早くに祝福を得てしまうと、祝福の違いを優劣と勘違いしてしまう子も居るでしょう。ですから1回生は、デーテ先生の礼儀作法の授業の中で、祝福について学ぶための時間を1年間与えられているのです」
賢者として大勢の人間に祝福を授けたいという願いはあったけれど、そこまで考えた事は無かった。確かに考えうる話だし、実際にロゼリアのような子も居る。当のロゼリアは、知らん顔をしていたけれど。
「――皆さんの世代はちょうどほぼ全員が大祝福を経験してない初めての世代です。ですから、しっかりデーテ先生の授業で学んでくださいね」
◇◇◇◇◇
4限目の授業はデーテ先生の礼儀作法の授業。最近は、入学から今までの間、1回生が見逃されてきた貴族同士の付き合い方の作法を学んでいた。
それぞれに身分の違う者を演じ、目上の者に対する作法だけでなく、下の者に対する扱いについても学ぶ。下の人間に対して、侮られない態度を取ることも重要だとデーテ先生は仰る。同時に、下の者を侮らないことも大事だと。
ただ、私はこれまでに貴族に生まれたことも一度や二度では無かった。その時に仕込まれた貴族としての振る舞いは、私の中に残っていた。だから、必要なら誰かの役割もこなせる。転生を繰り返す私の十八番だった。
そういう訳で、完璧な振る舞いで先生から褒められた後、皆がデーテ先生から礼儀作法をみっちりと学んでいる間、少し早めに授業を切り上げさせてもらった私は、湖のほとりの演舞台へ向かった。
◇◇◇◇◇
「カネラ、これは別に卑怯な手ではありませんからね?」
私は演舞台の床に儀式魔法の魔法陣を描いていた。儀式魔法というのは、呪文の効果や発動の方法を大幅に変えることができる魔術の掛け方のひとつ。例えば、自分には使いこなせない高度な魔術を使えるようにしたり、魔術の効果の成功率を高めたり、或いは合言葉ひとつで呪文を発動できるようにしたりと自由自在。その代わり、こうやって下準備が必要。それに加えて……。
「――やはり、触媒の価値が足りません……」
生徒に支給される触媒も、授業で余らせた分くらいしかない。杖があるからいくらかは節約できるけれど……強い魔術を使うには小遣いが足りない。残る手段は地道な触媒づくりだけど、今からじゃ間に合わない……。
「アンリエット様。女の髪は高価な触媒になると聞いた事がございますが、私の髪を使ってはいかがでしょう?」
「いけません! そんなことをしてもらう訳には――」
ただ、言うが早いかカネラは後ろにまとめあげていた髪にナイフを入れた!
「――カネラ!」
「よいのです。ちょうど、邪魔で短くしようと思っていた所でした。アンリエット様に触媒として使って頂けるなら、これ以上の使い道はございません」
「カネラ…………。――わかりました。切ってしまった以上は大事に使わせていただきます。そして、側仕えにそこまでさせてしまったのは私自身の態度の問題です。主らしく在れるよう努めたいと思います」
「さすがはアンリエット様でございます」
「カネラには私のとっておきの呪文を掛けてあげますね」
ひとまとめに括られたカネラのブルネットの髪を少し拝借し、カネラの髪に驚異の髪の呪文を掛けた。そして、この世界ではあまり観ないショートボブに整えてあげる。髪を伸ばすこともできるけれど、そんなことは無粋だし、これなら魔法が切れてもそのままだ。
「――鏡がありませんが、こんなのはどうでしょう?」
カネラは自分の髪に触れ、用意のいいことに手鏡まで取り出して確認する。
「できることなら、アンリエット様のようなもっと黒い髪になれますか?」
「カネラが望むなら」
そうして、カネラの髪を黒く染めてあげると、それは幸せそうな笑みをみせてくれた。これまでのような冷たい、或いは狂気の混じった笑みではなく。
その後、私は魔法陣に力を与え、儀式魔法を完成させた。さらに隠蔽の魔術で痕跡を消した。
◇◇◇◇◇
「おそい……」
疾うに六の鐘は鳴っていた。礼儀作法の授業を終えたベルチカとラネット、ハルシニアも様子を窺いに、演舞台を見降ろす階段状の観客席のいちばん上に来ていた。
「アンリエットが怖くて逃げだしたんじゃない?」
「そうね。そうかも」
ラネットとハルシニアが両手で頬杖を突き、退屈そうに言った。
日も傾いてきた。冬だから七の鐘もそう遠くない。ラネットとハルシニアは、先に寮へ帰っていった。ベルチカだけは、最後まで見届けると言って残った。




