第36話 新しい侍女
「アンリエット? こんな時間にどこ行くの?」
夕食も終えて食堂にも人が減り、談話室にいくらか人が集まっているくらいの時間、部屋を出ようとすると、アノリさんが心配して声を掛けてくる。
「ちょっと夜空を眺めてきます。心配しなくても大丈夫ですよ?」
「そう? 夜だから気を付けなよ?」
(アノリさんにはちょっと心配をかけすぎちゃったかな)
廊下へ出た私は、あの不思議な階段へ向かう。そこには確かに上りの狭い階段があった。ただ、よく見れば薄っすらと……本当に薄っすらと壁が見える。『鑑定』には、幻影の魔法と書かれていた。しかも探知妨害の魔法がいくつか重ね掛けられていた。
(これがウィルマさんの言っていた、人が消える仕掛けだ)
じゃあ、3年前の白い人影というのも、もしかすると本当なのかもしれない。
上りの階段には魔法の灯りは灯っていなかった。あの魔法の灯りというのは、永続の灯りという魔術だと鑑定でわかった。そして、いつの間にか私自身もその魔術を覚えていたのだ。ほんの少し前まで、この世界には永続の魔法というものが極めて希少だったというのに……。
とにかく、その魔法の灯りのない暗い階段を上っていく。
階段を上がった先、左右に伸びる狭い廊下。正面には扉。この扉の奥が屋根裏部屋になっていた。あの日、私はこの屋根裏部屋に逃げ込んで、エスカイユさんに出会った。
扉を開けて中へ入ると、ナナカマドの杖を磨いた日のまま、屋根裏部屋は変わっていなかった。窓を開けると星空が見えた。そして地上にも。王都には、あちこちに魔法の灯りが灯り、遠くの方の灯りは星のようにもみえる。
私はかつて、このような光景を見慣れていた。だけどこの世界に来てから、長くこんな光景を観ていなかった。夜は深く、燃料代に余裕のある貴族以外には、ただ眠るだけの時間だった。冬などあまりに夜が長すぎるから、夜中に家族全員で起き出して夜食を取る地方まであるくらい。暗闇に慣れた人々は、満月の夜になると昼のように騒ぎ立てたりもする。
そんな世界に、これだけ大きな変化をもたらした知の化身と王都の人々に、私は感謝したい。
結局、その夜はエスカイユさんには会えなかった。近衛騎士ともあろう麗人が、夜な夜な屋根の上を徘徊するわけにもいかないだろう。
◇◇◇◇◇
翌朝はベルチカも早起きして、一緒に食堂へ向かった。ベルチカが一緒なので、アノリさんもカネラに世話してもらったあとは別行動。昨日はたぶん、心配でついてきてくれてたんだと思う。ベルチカと一緒に食堂へ入ると、ラネットとハルシニアが居たので合流。
「今日のはなんだっけ? ねじねじ?」
「違うよ、くるくるだよね?」
「あ、うん。そうだね……」
その幼児言葉の羅列に、あまりに恥ずかしくて俯く。
どれも、以前の私がつけた、所謂ショートパスタという物の名前。ねじねじというのはフジッリに似ている。くるくるというのはどちらかと言えば日本のふしに近い。ここの名物の波波はめちゃくちゃ波打ったラザニアみたいな感じ。
3人とも、そんな呼び名が気に入ったのか、一緒になるといつも話題に出す。他にも色々と、ここでしか見られないショートパスタに勝手に名前を付けたりしていた。そんな楽しい朝の時間を過ごしていると……
ざわり――と響動めきの声。
テーブルの皆もそちらを見る。すると、長いテーブルとテーブルの間を歩いてやってくる一団。侍女というには体格のいい、だけどレンネブルク家のお仕着せを着た女性がふたり。そのふたりを引き連れてきているのはロゼリアさん。
「カネラ! よくもレミアとオシーナをあんな酷い目に遭わせてくれましたわね!」
酷い目と言えば私の方がずっと酷い目に遭っていると思うんだけど、彼女は知らないのだろうか。寮内の生徒たちには誰が犯人だったかは知らされていなかった。カネラの証言だけで、ふたりを犯人と決めつけられないだろうから。それに経験上、こういうのは家同士の問題にもなるだろうから。
ただ、意外なことにカネラは何も言い返さなかった。すまし顔で、私の方を見て微笑む。カネラは昨日のことで、私の意思を尊重することを憶えた。つまり、私が答えなくてはいけない。
「私の側仕えがしたという証拠でもあるのでしょうか?」
「なんですって!?」
私は椅子から立ち上がり、ロゼリアさんに相対する。
「私の側仕えが、あなたの侍女ふたりを酷い目に遭わせたと言う証拠です」
「そんなもの、ふたりの証言で十分ですわ」
「ふたりの証言……あなたの言う証言というものを信用するなら、そのふたりは自分たちが行った犯行も証言していましたよ。そちらも認めるということでしょうか?」
「なんの話ですの?」
「ご存じありませんか?」
「何のことを仰っているのかわかりません。それよりもそのカネラです! シアン! ヒューペリア!」
すると、彼女の侍女たちがテーブルの空いた椅子を押しのけるようにしてカネラの前に進み出ようとする。
「お嬢ちゃん、怪我したくないなら退いた方がいい」
私はふたりの前に立ちふさがったのだ。
「その物言い、とても侍女としての教育を受けたようには聞こえませんね。兵士……いえ、運よく祝福でも授かった傭兵ですか?」
「おいシアン、この子すげえな。度胸がある上に勘もいい」
「だまんなさい、ヒューペリア。――あたしらはその侍女に用があるの」
そう言って私を躱そうとするシアンという侍女。
ただ、私はその行く手を遮る。
「用があるなら、私が伺います。カネラは私の側仕えです」
「(ちょっと、なにやってるの! アンリエット!)」
ハルシニアが囁くと、シアンが睨みを利かせ、ハルシニアは小さく悲鳴を上げる。
「お嬢ちゃん、蛮勇はよした方がいい。平民は平民らしく、貴族様のやる事には大人しく――」
私の肩に触れようとしたシアンの右手に、いつの間にかカネラの右の掌が添えられていた。




