第32話 アンヘルとデーテ
『あなたにチャンスをあげましょう。一度や二度の失敗にくじけてはなりません。素敵な相手と結ばれるその日まで、貴方は27歳から齢を取ることもなく、たとえ死んでもやり直すことができるのです』
27歳にして独り身で死んだ私は、日本からこの不思議な世界へ転生した。その際に、この世界の神さまのひとり、私が女神さまと呼んでいる地母神様は、私に不老不死と転生の力、そして賢者の祝福を与えてくれた。
不老不死と言っても不死身ではない。転生しても過去の記憶は薄れ、特に人間関係は全く覚えていない。だから毎回、新鮮な気持ちで生きていけるのだと、最近、理解した。それでも知識や経験は蓄積されていき、どうしても達観した性質になってしまう。
そして賢者の祝福は、私に鑑定の力を与えてくれる。心の中で『鑑定』と唱えるだけで、周囲の人、物、かすかな音や声、光に至るまで鑑定できる。ただ、賢者の祝福に秘められた力はおそらく、それだけではない。転生する私に魔術の知識を引き継がせてくれる。この数百年の間、学んだ魔術を全て記憶しているのだ。
◇◇◇◇◇
「アンリエット! アンリエット、よく無事で……」
私をカネラの背から抱き受け、抱きしめてくれたその人はアンヘルさんだった。
カネラに背負われ、廊下へ出ると外は日が暮れていた。灯りの付いた食堂へ入ると、そこには何人もの大人、そして先生方が集まっていた。私が姿を見せると、皆が駆け寄ってきたのだ。
「――お母さんは訳があって来られないけれど、心配していた。本当だ」
「うん、わかってるよ」
「そうか……。君は本当に賢い子だ。――この手は!? どうしたんだ?」
そう言ってカネラを見るアンヘルさん。
「違うよ。自分でやったの。手枷をつけられたから」
アンヘルさんは慌てて私を椅子に座らせ、触媒を手にし、治癒魔術をかけてくれる。赤紫になっていた親指の付け根から痛みが引いていく。小さな子供の神経は敏感で、ほんの少しの怪我でもとても痛いのに、私が転生者じゃなければこの左手の状態はとても我慢できなかっただろう。
「カネラ! いったい誰がこんなことをしたのです!」
問いただしたのはデーテ先生だった。
「レミアとオシーナです」
カネラは、先ほどまでの狼狽とは打って変わって、毅然と答えた。
「レンネブルク家の侍女の!? ふたりは?」
「もうどこかに逃げていると思います」
「取り逃がしたのですか!!」
「アンリット様の無事が何よりも大事でしたので。――ふたりは大雪の日、不審な行動を取っていました。ですから問い詰め、居場所を吐かせたのです。レミアは肩を脱臼していますし、ふたりとも頬に青痣がありますから目立ちます」
「警士 に通報を!――カネラ、この子はアンリエットというのだよ」
アンヘルさんがそう言った。だけどカネラは――
「……フフッ、何を仰いますか。婚約者であらせられたアンヘル様が見てお判りにならないのですか? この御方はアンリット様です。間違いありません……」
喜びを隠し切れないといった様子でそう返したカネラは、いくらか狂気じみて見えた。
「カネラ、君のアンリットへの執着はよく知ってる。だけどこの子はアンリエットだ。間違えないでほしい」
そう言って、私を見た。私は、アンヘルさんと目を合わせ、頷いた。
ただ、カネラは――
「私はアンリット様に仕えることにしました」
「君はレンネブルク家のお嬢さんに仕えると言って、ドバル家を出ていったのだろう? 私はそう聞いているが、どういう心変わりだい?」
「あれは誤りでした。私は唆されたのです。この御方こそがアンリット様です」
「カネラさん、私はアンヘルさんの家でお世話になっている身なのです。ですから、お雇いはできません」
「先ほども申しましたが、雇う必要などないのですよ。そして以前のように、カネラと呼び捨ててください。ああ! お腹が空いていらっしゃるでしょう! 何か見繕って参りますね、アンリット様!」
それだけ言うと、カネラは厨房へと行ってしまった。
それから、私の身に何が起こったのかを簡単に聞かれた。私は、ふたりの女に攫われて寮の地下の牢に居たことを話した。私が攫われてから1日半、経っていた。何より嬉しかったのは、ベルチカが無事だったこと。そして、居なくなった私をベルチカが懸命に探してくれたことだった。
◇◇◇◇◇
カネラが急ぎ用意してくれた食事を取り始めると、食堂に居た大人たちは食堂をあとにした。その場には、アンヘルさんとデーテ先生、カネラが残っていた。
「アンヘル様、申し訳ございません。お嬢様にお怪我をさせて……」
「あなたのせいではありませんよ、デーテ先生。それよりも、どうしてアンリエットが狙われたのか……。何か、ご存じありませんか?」
アンヘルさんは神妙な顔つきで聞いた。たぶん、リガノの叔父様のことを考えているんだと思う。けれど、デーテ先生の話は、カネラを一瞥して返す。
「思い当たる節はございます。ですが、その前に……。――カネラ。あなたは本気でアンリエットさんに仕えるつもりなのですね?」
「当然です。私の主はアンリット様です」
ただ、デーテ先生は頭を振る。
「そうではありません。あなたはこのアンリエットさんを今後一生、裏切らないと誓えますか?」
カネラは、当然とばかりに冷ややかな微笑みで見下ろす。
「――あなたのアンリット様への忠誠は理解できましょう。我々、ドバル家の誰もがあなたを非難し、酷く扱おうとしました。それを止めたのがアンリット様でしたもの……」
デーテ先生はカネラを見据える。
「――ですがカネラ。あなたはまた別の者がアンリット様だなどと言って、アンリエットさんを裏切らないとも限りません。ですから、アンリエットさんへの忠誠が必要なのです。誓えるのであれば、アンヘル様の説得に力を貸しますし、私があなたを雇っても構いません」




