【第1章 第20話:赫ノ章、始まる】
風が止まった朝。
クローデル家の屋敷には、誰の足音も響いていなかった。
封印騎士団は、沈黙のまま撤退した。
王都は、“赫ノ令嬢”という新たな偶像を作り上げていた。
そして澪は、ただそこに“いた”。
何も変わらぬようで、何もかもが変わり始めていた。
•
その日の朝、澪は鏡を見ていた。
真紅の瞳。
黒の髪。
どこか、まだ少女のあどけなさを残す容貌。
けれど、視線は人のものではなかった。
“見る”ではなく、“見透かす”。
その瞳は、自分自身すら観測対象にしていた。
「私は……“澪”って名前を、もう持っていないのかな」
鏡の中の彼女は、何も答えなかった。
けれどその沈黙が、“答え”だった。
名を捨てた少女。
定義を拒む者。
赫刃の主。
•
ロジオンが執務室で、澪に新たな通達を告げる。
「……王立魔導学府への入学命令が下された」
「命令?」
「形式上は“特例編入”。だが実質、“観察と保護の両立”だ」
「つまり、囲い込むってことだね」
ロジオンは笑わない。
だが、その声音は少しだけ柔らかかった。
「好きにしろ。だが――“閉じ込めようとするなら、出てこい”」
それは、父の言葉ではなく、世界への挑戦状だった。
•
その夜、澪は赫刃とともに学園行きの荷造りをするフリをしていた。
旅立ちの準備は、誰よりも簡素だった。
持ち物など要らない。
澪という存在ひとつあれば、それで十分だったから。
その中で、ただ一通の“手紙”だけが、荷に加えられた。
宛先はない。
差出人の名もない。
けれど、それは確かに――澪自身が、“自分”に宛てた“記録”だった。
•
数日後、王都の外れに立つ“魔導の塔”が見えてきた。
王立魔導学府。
世界最高峰の魔導機関。
魔術の才、神の血、異端の力を持つ者が集う“知の牢獄”。
澪は、馬車の窓からその塔を見上げて、ぽつりと呟く。
「じゃあ、“この場所の定義”から斬ってみようか」
赫刃は、鞘の中でかすかに震えた。
それは、“新たな章”の始まりを告げる音。
世界が澪を囲い込もうとするなら――
澪は、その世界そのものを定義し直すまで。
•
そして。
第1章『赫ノ嬰児』、ここに終幕。
次章――
第2章『赫刃封ぜし学舎』、開幕。




