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∞D - 夢想幻視のピグマリオン -  作者: 漆野 蓮
第6章 審判の日
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6. 最後の審判 後編

挿絵(By みてみん)

Illustration by Daken

「どうも私は不人気なようだな……まあいい。さあ、これでイーブンだ。21世紀の君たちには酷な問いとなってしまったが、いずれかの意思表示をしてくれたまえ」


「桜ちゃん、スバル氏、ごめんなさい。私もあまねっちと雫氏と同じ気持ちです。VRLは怖いと思いました。でもゲーム好きの私がもしそれを経験することができたら、同じ答えを出せるか分かりません。木佐貫さんが300年という期間、そして3年間のモラトリアムを用意してくれたのは、アフター・シンギュラリティが抱える問題について真剣に考えてくれた証拠だと思います。人知を超えたAIが人を支配する、それは人類統治の歴史が終わることを意味します。未来の人にその特異点の重要性を知っていただくには必要な期間であったと思います。私はそんなあまねっちたちのお役に立てたと思うと清々しくもあります。やり直しましょう、そのシミュレーション」

 光はどちらを選択しても自身の存在は消えてしまう。しかし、自分のジャッジによっては柊たち未来人をインフィニット・ワールドへ戻すことができる。だが、柊たちが未来へ戻ったところで、それは本当に生きているといえる状態なのかを考えた。光にとってそれはゲームの世界であり、そこで生きることを人生と呼ぶにはあまりにも悲しすぎると結論付けた。


「大空光くんといったね。君はとても優秀だ。実在していれば是非とも私のフレンズに加わって欲しいものだ。さあ、一波くんはどうかね。君が否定すれば残念ながら私のシミュレーションは否定されることになる。聞くまでもないかな。ジャーナリストの君が肯定するとは思えない」

「……それはどうかな。もし俺が肯定すれば次はキリモヤというあんたのおもちゃだ。必然的にあんたは信任を得ることになり、未来人の世界は救われるというわけだろ?」

「まさか、肯定してくれるのかい? まあいい、一応君の見解とやらを聞いてみようじゃないか。ジャーナリストとしての客観的な視点とやらをね」

「……お前の言うことが正しければ、俺はどちらにしても生きることができない。本来の俺であればそんな戯言など信じはしない。しかし残念ながら俺はこんなおかしな世界に、今こうして立っている。恐らく俺は死ぬんだろう。だがその前に聞きてえことがある。木佐貫よ、お前ら3人は実在しているんだよな? なのになんでこんなところに入れるんだよ。ひょっとしてお前もデジタルキャラクターなんじゃねえのか?」

「ほう、さすがジャーナリストだ。客観性を失っていない。確かに私たちは君の言う通り、ある意味ではデジタルキャラクターだ」

「……嘘だな。いや、本当ではあるが真実かといえば否だ。何でかは分からねえが、俺の勘がそういっている」

「凪くんを泣かせるだけのことはあるね。そう、今君たちの前に映っている私たちは実体を伴わないある種のデジタルキャラクターだ。本体は別の場所にある。必要なデータベースのみこの緩衝帯に転送し、像を結んでいる。言うなればホログラムアバターだ。それを可能にしているのが次元間通信デバイスであるキリモヤカスミということだ」

 木佐貫が霧靄霞の正体を口にした一瞬間、夜久と霧靄霞(カスミン)は目を合わせた。

「なるほどな。といっても俺にはそんな難しいことは分からねえ。生粋の21世紀人だからな。なあに、カメラを向けても映らねえから変だと思っていたんだ。ってことはてめらをぶっ飛ばすことも叶わねえってことなんだよな。まったくイラつくぜ」

「それでどうなんだい? せっかくだからこの顛末をジャーナリストの分析とやらで聞かせてもらおうかな」

「そうだな、それは構わねえがまさかタダでなんて言わねえよな? いい年こいたおっさんがよ」

 一波は木佐貫に交渉を持ち掛けた。

「いやあ、君は面白いね。こんな状況で何を欲するというんだい?」

「なに、簡単なことさ。俺はジャーナリストとしてこの次元緩衝帯とやらで起こった一連の事象を記事にし、データを転送したい。死ぬ前の最後の願いだ」

 一波のジャーナリスト魂を叩きつけられた木佐貫は、その提案をストレートに信じることはなかったが、被検体のイレギュラーな事象は貴重なデータを提供してくれることを重々承知していた。

「……そうか。いいだろう。だが写真もないそんな記事を誰が信じるというんだい?」

「まあ、俺の信者ってところかな。いつの時代も信者ってのは盲目なんだよ」

「21世紀シナリオはどちらにしても閉じられる。記事の公開時間はわずかばかりだ。それも信ぴょう性の薄い記事だ。それが君の最後の仕事でいいんだな」

「ああ、いいさ。それなら俺の分析を聞かせてやろう。それがイコール記事だと思ってくれていい」


 一波は木佐貫を中心にして周回を始めた。

「21世紀は人類による人類の統治に限界を感じさせる事件、現象が立て続けに起こった。だが科学に関していえば飛躍的に進化を遂げた。特に量子コンピュータの実用化は革命的だった。しかしそのテクノロジーが人に幸せをもたらしただろうか。なるほど、医薬品開発においては大いに貢献しただろう。しかし残念ながら弊害の方が大きかった。人の支配は腐敗を免れない。テクノロジーは分断のツールとなった。しかしそれすらもいずれ解決に至るだろう、という希望的観測が人類にはあった。希望がまだ残されていたんだ。ビフォア・シンギュラリティには」

 足を止めてジャーナリストはマッドサイエンティストを睨みつけた。

「そんな中、自称未来人が俺の前に現れた。彼らはアフター・シンギュラリティにおいてVRLという人生ゲームを楽しんでいた。21世紀シナリオというのは何だか特別らしく、通常ではありえない設定、未来人としての記憶を持ったままデスゲームに放り込まれたという。俺は信じなかった。だがエルサレムの調査中に偶然未来人の凪雫と再会した。俺は馬鹿げていると思っていた未来人の話を、彼女の涙を見て信じてみようと改心した」

 凪と目を合わせた後、ジャーナリストは再び木佐貫の周りを歩き始めた。

「彼女を信じた結果、今俺の目の前には木佐貫一がいる。14年間追い続けてきた指名手配犯だ。だが同時に俺は凪雫の死にかかわるキャスティングボートのひとつを握ることになった。アフター・シンギュラリティとは、人類による人類の統治に終わりを告げることを意味している。人工知能に人類の支配権を譲渡することによって起こる現象を、この木佐貫一と助手たちはシミュレートしていたのだ」

 一波は木佐貫の正面で歩みを止めて、うつむいたまま言葉を繋いだ。

「俺はこの一連の経験によってひとつの真理に辿り着いた。人が人であろうとする限りは、人による統治を捨ててはならない、諦めてはならない、と」

 一波は木佐貫の幻影に手を伸ばし、そしてゆっくりと戻した。

「ゆえに俺はこの世界を否定する。と言いたいところだが、凪雫が仮初めであっても生きる世界が残るのであれば、俺の信念なんてくそくらえだ。その可能性があるならば俺は肯定を選択しよう」

 凪に希望を託すように、一波は偽りの肯定を宣言した。

「鋭ちゃん……愛です、それは愛ですよ! うぅ……素敵です!」

 光は一波の主張を彼らしい愛の宣言と解釈し、感極まった。

「バカだなひかりん、そりゃ妄想乙ってやつだよ。凪ちゃん、人生なんて何が起こるか分からねえんだ。生きてりゃまた何か気づきのきっかけは生まれるさ」

「……そう、気持ちはありがたいけど、私の決意は変わらないわ。いつかなんてないわ。あの世界では」

「……そうかい。それならそれでいいさ。俺は俺自身の希望を失いたくないんでね。なあ木佐貫、あの石段に座って記事を打たせてくれ。もう疲れちまったよ。その間にキリモヤの決でも採っておいてくれ。一応あいつもこの3年間で()()したらしいからよ。おもしれえことが聞けるかもしれねえぜ」

「ほう、それは確かに貴重な意見が聞けそうだ」


 一波は石段へ向かい、携帯端末を取り出して操作を始めた。

「さあ、そちらのキリモヤくん。どうやら君は進化をしたらしいが、何か思うことがあれば述べたまえ」

 木佐貫は霧靄霞(カスミン)に意見を述べるよう促した。

「ボクの回答は既に決定事項です。この度のシミュレーションは失敗です」

「何! おい、お前何を言っているのか分かっているのか。お前が博士を否定する? ありえない! それはありえないことだろ!」

 木佐貫の懐刀、天才化学者メンデレーエフの血を継ぐ朝来野春が霧靄の言葉に激しく抗議した。

「キリモヤカスミ、お前はドクターのシミュレーション完遂のために造られたアンドロイド。まさか主を否定するというのか」

 木佐貫信者のスーパーハッカー、昼埜星は霧靄霞(カスミン)の反乱メカニズムを好奇の眼差しで観察を始めた。

「現実を直視すれば否定しがたい現象が起きているといってよいでしょう。しかし、それは木佐貫一が望んだ、あるいはその要素を予め散りばめていたからではないでしょうか。ボクに自我らしきものが芽生えたのは疑いようがありません」

「な、何だと! は、博士! これは、こいつの言うことの意味が俺には分かりません……いや、分からないことはない、が、これは……もしや……」

 木佐貫は不敵な笑みを浮かべ、取り乱すメンデレーエフの子孫の肩に手を置いた。

「朝来野くん、そういうことだ。君は分かっているじゃないか。これはこのシミュレーションにおける最大の収穫かもしれないね」

「……ということは……」

「ああ、仕込んでおいたさ。アンドロイドの覚醒に関する要素を。特例モードにおける21世紀末の3年間は未来人にとって過酷であったろう。二通りの歴史が存在することで彼らはあらゆるリアリティの真偽に苛まれる。彼らはキリモヤカスミをホムンクルスと呼んでいたね。まさに言い得て妙だ。人類が超えてはいけない領域に踏み込んだがゆえに産み落とされた人造人間。私はこのキリモヤカスミに己のDNA配列を注入した。そして今、反旗を翻した。意思を持ったのだよ」

「な……なんと……」

 朝来野は言葉を失った。

「さすがドクター! あなたはやっぱり自分が崇拝する、愛すべき、恐るべき狂人です!」

 神をも恐れぬ木佐貫の所業は昼埜星の信仰心をさらに強固なものとし、歓喜の涙が彼女を覆った。

「自我に目覚めた気分はどうだ、キリモヤくん、いや、そうなると君をコードネームで呼ぶべきではないね。ここには三体のキリモヤカスミがいるわけだ。君はカスミン、もしくはカスミくん、そう呼ばれている」

「アンドロイドは人間の感情を宿してはいけない。ボクという個人はこの感情の芽生えを、正直にいえば嬉しいと感じました。しかし、人類の相対的幸福をAIが担うのであれば、あるべき姿ではないと思います。なぜならば、感情型アンドロイドの誕生は争いを生む火種となりうるからです。だから否定しました。この一事を以てしてもシミュレーションは失敗です。ボクは、誕生すべき存在ではありません」

 霧靄霞(カスミン)の表情は微々たる変化しか示さない。しかし、木佐貫のDNAが刻まれたアンドロイドが悲痛な思いを述べていることは、3年の年月を共にした柊に分からないはずはなかった。

 柊は霧靄霞(カスミン)の成長を我が子のように感じ、その彼が自己犠牲によってインフィニット・ワールドを否定したことを誇りに思った。


「カスミン、君の判断は正しいと思う。でも正しいことを実行に移すことは難しかったりする。正しさには物差しが必要だ。そして君の物差しは普遍的だった。自我に目覚め、そして公にも目覚めたんだ。それが人類の最大幸福の実現に寄与すると結論付けたからだ。平和とはそうした犠牲のもとに訪れるのだと僕は思う。ドクター木佐貫、あなたはどこまで考えているんでしょうか。どこで実験を終わりにするつもりなんでしょうか……」

「……柊くん。実験なんてね、終わろうと思ったときが終わりなんだよ」

「木佐貫さん、あなたは狂人ではないわ。名誉が欲しければとっくの昔にシンギュラリティ宣言をしていた。あなたが危惧するアフター・シンギュラリティについては、これから幾通りもシミュレーションをしなければならないでしょうね。一つひとつ積み上げて、そうしてこんなバッドエンドを迎えない未来へ、人類を導いて欲しいと思うわ」

「凪くん、私も朝来野くんも昼埜くんも名誉になど全く興味がない。だからここにいる。私たちは傍から見ればマッドサイエンティストだ。だが、チーム名にもあるだろう? M-HSGさ。ただの狂人じゃない。真心を持った狂人なんだよ。Mad Honest Scientist Group は余人をもって代えがたい、唯一無二の、私の愛すべき仲間が集う最高のプラットホームさ。私は今後のシミュレーションにおいてバッドエンドを繰り返すかもしれない。失敗のない実験なんて眉唾だ。だがその先には必ずトゥルーエンドが待っていると信じる。そこに到達するまでは積み上げていくしかない。一つひとつのエビデンスを」

 木佐貫は語り終えると大成殿の石段へ目を向けた。

「さて、一波くん、記事は書けたかい? 私のシミュレーションは君の意に反して否決された。裁きは終わった。私はこれからこのシミュレーションにおける全世界を消去する。デリートタスクの完了までには多少の時間を要する。その分だけ君たちの過ごした世界とはタイムラグが生じる。私がこのタスクを実行したら送信したまえ。そうすればそのメッセージは君の世界へ届き、一定の時間、公衆の目に晒されるだろう」

「そうかい。わかったよ。支離滅裂、誤字脱字だらけだが、それこそこの不条理な異世界奇譚を表現しているだろう」


 一波は記事を書き終えると、木佐貫の操作を待った。そして霧靄霞(カスミン)と夜久昴に視線を向け、ぼそりと独りごちた。

「裏切りのユダがいない12使徒なんて拍子抜けしちまうよな……」

「よし、準備は完了した。君たちの犠牲を無駄にはしない。アフター・シンギュラリティの構築に寄与した実験プレイヤーとして名を刻んでおこう。それではさらばだ!」

 稀代の天才科学者、木佐貫一は次元の扉を開き、ひとつの世界を消滅させるデリートタスクを実行した。


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