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∞D - 夢想幻視のピグマリオン -  作者: 漆野 蓮
第6章 審判の日
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6. 最後の審判 前編

挿絵(By みてみん)

Illustration by Daken

 間口20メートルほどの石段の上に木佐貫一は鎮座し、段下の上手に昼埜、下手に朝来野(シュン)が主を守護する狛犬のように佇んでいた。初期型のキリモヤカスミは木佐貫の後方で薄らと陰影を見せるに留めていた。

 扁額には『大成殿』の文字があり、この場所が神ではなく思想の大家、孔子を祀る廟であることを示唆していた。

「……あの人が……ドクター木佐貫……」

 シンギュラリティを実現させた偉大な科学者であり、敬愛すべき存在であったはずの木佐貫一を前に柊は感動とは遠くかけ離れた、ある種の畏怖を感じていた。

 一波は14年目にしてようやくその姿を捉えることに成功した取材対象を凝視し、夜久と春はそれぞれ祖先の姿に視線を奪われた。


「学びて思わざればすなわち罔し、思いて学ばざればすなわち殆し、そう、孔子の有名な言葉だ。私はね、ここ数年はアフター・シンギュラリティについて考察を重ねていた。君たちが知る歴史では2101年の今日、11月11日に私はシンギュラリティ宣言を発することになっているだろう。まあ、実のところシンギュラリティなんてものはとうの昔に達成していたんだがね、問題なのはその後だ。人類はこの不可逆的な特異点にどう向かい合うべきなのか、その綿密なシミュレーションを抜きにして、それは軽々に発すべき宣言ではないのだ。一時の名誉に溺れていいような案件ではない」

 木佐貫はおもむろに立ち上がり、石段を下りて柊たちのもとへ歩を進めた。


「ねえ木佐貫さん、私たちはあなたの命題をカッコ付きとはいえ解いたのよね? あなたの説教を聞く道理はあるのかしら」

 凪は自分たちが元の世界に戻れるのか、暗にそれを問うた。

「確かに君たちは命題を解いた。だがまだ()()は終わっていない。メッセージに記した通り、私たちは裁かれなければならない。その私たちの中には無論、君たちも含まれている。つまり、私たちとは人類だ。そう、これは最後の審判ということになる」

「その裁きによっては未来へ戻れないことがある、ということかしら」

「ご明察の通り。私が語り終えた後に決を採る。その結果によっては君たちの存在が消えることもありえる」

「木佐貫さんよ、ひとつ確認したいんだが、その私たちってのに、まさか俺と大空光は入っていないよな?」

 一抹の不安を抱いた一波が問う。

「何を言っているのかね、ジャーナリストくん。人類といえば君たちも、その家族や友達だってもちろん対象となる。君たちはその代表としてここにいるのだよ」

「何! ふざけるな! 未来のことなんて何も知らねえ俺たちがなんで巻き込まれなきゃならねえんだ!」

「過去も現在も未来も、生命は遺伝子を介して淀みなく悠久の旅を続け、今日まで存在している。アフター・シンギュラリティを生きるために、人類はひとつの決断をしなければならない。それを今から説明する。そして君たち7人の判断によって私がとるべき選択肢は確定する」

「何を都合のいいことばかり言ってやがんだ! このマッドサイエンティストめ!」

 暴発した一波が木佐貫に襲い掛かろうとしたとき、しなやかな腕がそれを制した。

「だめだよ、鋭ちゃん。まずは話を聞こうよ。私たちはもうこれまで通りの現実を生きることができないくらい、世界を規定する前提がなくなっちゃったんだから。切り替えていかなきゃ……」

「ひ、ひかりん……」

 光の驚くほどの冷静さは、我を失いかけた一波の心を静めるに十分であった。

「すまねえ……取り乱した」


 稀代の科学者にして不可視のカリスマ、木佐貫一は白衣の微かな綻びを整え、瞳をゆっくり閉じ、呼吸を整えてからおもむろに言葉を発した。

「端的に言おう。君たちは私が作った仮想世界の住人だ」

「え?」

 一同は狐につままれたような表情を浮かべた。

「私はね、アフター・シンギュラリティのシミュレーションをしていたのだよ。サンプル期間は江戸時代程あれば精度の高い回答が得られると思い、300年間とした。その間は手を加えることなく放置して推移を見守った。つまり机上で想像をたくましくするのではなく、()()()()()()()()()したのだ。無論リアルに300年は待てない。現在の量子コンピュータを限界まで稼働させ、3年間まで短縮した」


 唐突に発せられた『特例モード』の幕切れに、インフィニット・ワールドの住人は錯綜する情報をまとめることに苦心した。

「つまり……私たちは実験台のマウスだったってこと? で、何が聞きたいわけ?」

 自己に目覚めた凪雫はこの状況に驚きもせず、恐れもしない。たとえ自分が仮想世界の住人、即ちコンピュータによって生成されたデジタルキャラクターであったとしても。

「私が君たちに問いたいことは単純さ。私が設計したアフター・シンギュラリティの構想は正しかったのか、300年の歴史を振り返り総括をしていただきたい。つまり、この世界は是か非か、という二択だ。一波くんと大空くんは彼ら未来人から色々と話を聞いているだろう。それを鑑み、判断してくれたまえ」

「ドクター木佐貫、結論を出す前に質問をしてよろしいでしょうか」

 柊は覚悟を決めてこの日を迎えたはずだった。しかしこの世界そのものが、木佐貫によって創られたシミュレーションの世界であったなどとは簡単には認めたくなかった。彼は今、自分が()()()()()といえる状態なのかすら半信半疑であった。

「いいだろう」

「なぜ僕たちに3年という月日が必要だったのか、そしてなぜそれを『特例モード』で経験させたのか。その意図を聞かせてください」

「いい質問だ。そういえば柊くん、君はVRLのクリア経験がなかったね。それは私にも想定外だった。ゆえに非常に興味深い観察対象だったよ」

「……そうですか、それはとても光栄に思います、と以前の自分であればそう言ったでしょうが今はできません。しかし僕はあなたへの敬意をまだ失っていませんよ。だからそのセリフを心から言えるような回答を期待します」

 自分はおろか、3年の年月を共に過ごしてきた21世紀の住人でさえも、実体のない仮想のキャラクターであると通告された柊は、それでも木佐貫一を憎み切れなかった。その理由を知りたいと思った。


「3年前の2098年、私は思考の限りを尽くし、アフター・シンギュラリティにおける多種多様な可能性因子を盛り込んだプログラムを作成した。それらをシステムに平均的に散りばめ、シミュレーションを稼働させた。2101年のシンギュラリティ宣言をスタートとする300年の始まりだ。私が考えたことは可能性の因子だけで、その後は300年の間にどう変化し、進化あるいは退化するのかを観察した。AAIの誕生も絶対的育成プログラム期間も、VRLも私が直接思考したものではない。シミュレーションの中で自然に誕生したのだ」

 木佐貫は白衣のポケットから小瓶を取り出し、蓋を開けた。

「だが、たったひとつだけ手を加えたことがある。それはこの実験のタイムリミットである300年目に、この次元緩衝帯へその世界の住人を呼び込む手段だ」

 小瓶の中身を一気に体内に流し込んだ木佐貫は続けた。

「キリモヤカスミという存在は私とシミュレーション世界を繋ぐためにあらかじめ準備していたデバイスだ。君たちの世界では人間と遜色がないほど進化しているね。だが現在の技術ではほら、あそこにいるようにアンドロイドそのものにしか見えない。それが真実だ」

 木佐貫は社の奥に佇む3番目の()()()を指し示した。

「未来で過ごす人間、つまりインフィニット・ワールドの住人をそのままここに引っ張ってきたのでは何の参考にもならない。私は未来の記憶を持ったまま21世紀末を体験する人間の言葉が欲しかったのだ。石の上にも3年というだろう。目的を持って生きてくれなければよいサンプルは得られない。だから命題を与えた。あれはそう、大空くんの言うように数字的な遊びに過ぎない。だがそれを解くために学び、考え、そして楽しんだはずだ。その経験こそが必要だったのだ。クイズの答えよりも、今私が問うている是非こそが本題だったということだ」

 自分たちが木佐貫一の壮大な実験の駒であったことを突き付けられた柊は呆然と立ち尽くし、しばし言葉を失った。


「……それでVRLのシステムを使い、特例モードを考えたんですね……」

 柊は木佐貫の意図を知り、返すべき答えについて逡巡した。

「まあ、そういうことだ。さて、考えはまとまっただろうか? 私のシミュレーションが描いたアフター・シンギュラリティの歴史、つまりインフィニット・ワールドの誕生は、人類が今後選択する未来として望ましいといえるのか、半数が望ましいと選択すればこのシミュレーション世界は消滅させずに残すこととする。君たちも元の世界に戻ってVRLを楽しめる。無論、ここでの記憶は上書きされない。3年前にさかのぼり、21世紀シナリオのない世界に戻ることになる。もし反対多数となれば、残念だがシミュレーションをやり直さなければならない。この巨大なシステムは大変多くのリソースを消費するため、物理的にいくつも作れるほど自由ではない。従ってこの世界を、即ち君たちをリセットする必要がある。つまり、インフィニット・ワールドの消失と共に君たちはデリートされる」

「ねえ、それって、一波さんと光ちゃんはどちらにしても消えてしまうってことじゃない?」

 凪が非情にも核心を突いた疑問を言葉にした。

「は? そういうこと? おいおいなんだよ、俺とひかりんは仮想世界ですら生きる資格がねえってことかよ! そりゃあんまりだろ!」

「つまり……私たちは|ノンプレイヤーキャラクター《NPC》だった、ということかな……仮想世界の中の仮想民だよね、それって……」

 一波と光は自らの存在を完全否定されたことに絶望的になったが実感があるとはいえなかった。それは自分の意思で動いているという自覚があったからだ。


「ドクター木佐貫、科学者の心というのは氷で出来ているのでしょうか。なぜこの場に集う人物を未来人だけにしなかったんですか。どうして21世紀試験を4人しか合格させなかったんですか。あなたですよね? 4人を選出したのは!」

 柊は木佐貫の述べたことが真実であれば、それは絶望としか言いようがないと思ったが、そうではない何かがまだ残っているとも感じていた。それはVRLの『特例モード』が仕組んだ巧妙なシナリオの一つなのだという、根拠のない微かな希望ではあったが。

「柊くん、人類の歴史とは絶望の連続だ。数多の尊い犠牲の上に社会はアップデートされ、結果的に人類は繁栄した。我々はその犠牲の数だけ愚かさと無力さを知ると同時に、命や人生の複雑さについても学んだ。VRLシステムの是非を問うには、21世紀の彼らの存在もまた必要だったのだよ」

 一波と光は呆然とし、夜久と春は静観し、ふたりの霧靄霞はただじっと押し黙っていた。

「……そうですね。それが科学者の本心なんですよね。リアリティのある実験、そのためにはスケープゴートは必要だと。偉業を成し遂げる人間にとって名もなき人間の命は目的達成のために必要な犠牲……切り捨てることに迷いなんてないんですよね! あなたは偉大な科学者だからそれが許されているんですよね!」

 柊は悲しさと悔しさが入り混じった嗚咽を漏らした。


 VRLのシナリオ内に存在する人間は、()()()()()としてインフィニット・ワールドでは認知されていた。それはVRLという娯楽システムで生成された仮想の人間であるからだが、人生をまるごと経験できるこのシステムにおいて、実在の有無はさほど重要な概念ではなかった。自分が歩む人生の中においては、確かに途切れることなく実在した記憶が存在するからだ。

 しかし木佐貫のシミュレーションが裁決によって承認を得た場合、この『特例モード』の記憶は消去されることになる。柊には大空光と一波鋭の記憶はもちろん、凪や夜久、春、霧靄霞と共に過ごした日々の記憶も残らない。義務教育の卒業時点へ戻るだけとなる。


 長い沈黙の後、柊が口を開いた。

「ドクター木佐貫、これは罪です。残酷なシステムです。まさに絶望的な結末です。でも僕はあなたに感謝します。なぜならこの3年間は、僕の人生において一番幸せを感じることができた時間だったからです。そして愛というものを知ることができました。今こんな場面で言うべきことではないかもしれません。でも、だからこそ言わせてください」

 柊は大空光の目の前に立ち、告白した。

「ひかりん、僕は君が好きだ。大空光が好きだ。そしてごめん。どうすることもできない」

「……あまねっち……そんなの、そんなこと……ううん。ありがとう。うれしいよ。私もね、趣味の話もたくさんできるし、一緒にいたら楽しいだろうな、って思ってたよ……あーあ、私も行ってみたかったな、未来に。ねえ木佐貫さん、タイムマシン作ってくださいよ! 未来にも過去にも行けるやつ! VRLなんていらないからさ、タイムマシンのある未来を作ってよ!」

 絶望の渦中で恋心を告白した柊に、光もまた絶望以外の選択肢がないことを受け入れたうえで、その気持ちに応えた。

「僕はVRLの解禁を心待ちにしていたし、21世紀に憧れていたし、ドクター木佐貫に一目会いたいと思っていた。そして奇跡的に21世紀シナリオをプレイする機会をもらえたけどバッドエンドの連続。挙句の果てはクリア経験のないまま回想モードへ、それも天才の凪さんと行くことになった。21世紀に着いてみれば特例モードとか言われてさ、どうしていいか焦ったよ。でもみんなと力を合わせてここまで来ることができた。僕はドクターがメッセージの最後に記した『楽しめ』、をただ実行したに過ぎない。でもそれでたくさんの縁が繋がった。たった3年間だったけど、不思議と一生分を生きたと思えるくらいに満たされている。ひかりんに告白もできたし、多分、もう未練はない」

 柊は木佐貫の眼前に立ち、彼のシミュレーションが誕生させたインフィニット・ワールドの是非をジャッジした。

「ドクター木佐貫、僕はこの世界を支持しません。これは失敗です。リセットしてください」

「ほう、それは意外な答えだな。あれだけVRLに拘っていた君が。いいのかい? インフィニット・ワールドへ戻ればVRLを思う存分楽しめる。それより君の仲間も消えてしまうことになるのだよ」

「凪さん、夜久さん、春さん、すみません。VRLを一度もクリアしていない僕がその存在を否定する資格なんてないのは分かっています。でも、もう僕はVRLをしたいと思えません。そのシステムは、人類を幸せにはしないと思います。60歳で自死を選択する世界なんて、よく考えたら幸せであるはずがありません。これが現実になってはいけないと思います」

 柊は木佐貫のシミュレーションが描いたアフター・シンギュラリティの結末を否定した。


「ふーん。まあいいんじゃない。思ったことを言えば。はるさんはね、そこにいる髭のご先祖様が仕える主様が作った世界なわけだからね。とりあえず肯定しておくよ。消えるにはまだ早いし。ね、すばちゃん」

 春は夜久に振った。

「俺たちは()()()()()()()()()()。であるならば割り切るしかないだろう。そもそもこの特例モードの記憶は消去されるとあれば悲しむこともない。辛いのは今だけだ。だがな、再び21世紀シナリオのような特例モードの発生が起こるというのであれば、俺は否定する。ご先祖様設定の昼埜星さんよ、それはありうると思うかい?」

 条件によっては反対に回ることもある、と含みを持たせた夜久は、設定とはいえ血のつながった木佐貫の助手に問うた。

「……中々面白い質問をするな。さすがは血縁設定だ。特例モードはドクターが唯一手を加えて発生させた一度限りのイベントだ。自分はないと考えるがな」

「そうか。だがそれでは木佐貫の気まぐれで発生する可能性があるということだな」

「夜久くん。君は世の中に絶対はあると思うかい?」

 木佐貫が夜久に問う。

「俺は言葉遊びなどしない。定義などいくらでも変えられるからだ」

「そうかい。でもね、特例モードは言わば禁じ手だ。ひとつのシミュレーションで一度切りだ。だから君たちが私を有罪とジャッジすればこの世界をリセットする。そして新たなシミュレーションを開始する。その新しい世界では何が起こるか分からない。VRLというシステムは誕生しないかもしれない」

「……わかった。では肯定しよう。そもそも俺はVRL肯定派だ。技術革新の最終地点、そこで人間が平和的に生きるには、AIが造る檻の中で飼われるしかない。そうでなければ再び争いが起り、世界は私欲に塗れる。ジェレミー・ベンサムがいう『最大多数の最大幸福』を俺は是とする」

 夜久は自身の哲学に沿って回答を出した。

「それは賢明だ。さて凪くん、君はどう考える。天才VRLプレイヤーがこのシステムを否定するとは思えんが」

「木佐貫さん、あなた色々と勘違いなさっているようね。私は好きでVRLに興じていたわけではないわ。VRLで満たされていたら迷うことなく肯定する。ベンサムの『最大多数の最大幸福』などに興味はない。私はまず私自身を問う。私という個は存在するのか。その回答に出会えるまでVRLを続けるつもりだった」

 凪は一度目を閉じ、その後一波に視線を向けた。

「……凪ちゃん……」

 一波はその瞳からある種の愛情と決意を感じ取り、小さく頷いた。

「私はこの特例モードで私自身を見つけた。21世紀の住人、ジャーナリスト一波鋭との出会いによってね。だからもうVRLに期待もしないし、プレイしたいとも思わない。通常モード、回想モードだけでは少なくとも私は満たされなかった。つまり、私に限っていえばこのシステムは失敗。この特例モードは新しい発見の場として機能したけど失うものが多すぎたわ。総合的に判断して、シミュレーションとやらをやり直すことをお勧めするわ」

 凪はアフター・シンギュラリティの新世界、インフィニット・ワールドを自身の経験から導き出した理念に従って否定した。

「凪さん……」

「柊くん、あなたにも感謝するわ。私がこの世界を完全に否定する気になれたのは、あなたが光ちゃんに告白してくれたからよ。昨夜あなたが話したように、この告白はエゴイズムそのもの。だからこそ唯一無二。あなたはあなた自身を貫き通した。VRLを一度でもクリアしていたらそうはならなかったかもしれない。それだけVRLには中毒性がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が」

 VRLの雄、凪雫の否決を木佐貫はある種の救いを持って受け止めた。



……後編へ続く

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