9. 霧靄霞
2101年10月29日
大空光からのメッセージは夜久に驚嘆と安堵をもたらした。導き出された仮説は力強く、揺るぎない真実であると確信した。残る課題はアマゾニカのハッキングおよび監獄からの脱出であった。
サン・ピエトロ大聖堂のセキュリティを突破するにはアマゾニカへのアクセスが不可欠であり、そのためにはリミッターが解除された霧靄霞の機能が必要であると夜久は想定していた。つまり、彼はアマゾニカではなく霧靄霞のハッキングを試みていた。
かつて中世ヨーロッパでは錬金術師が活躍し、多くの化学的知見を人類にもたらしたが、その過程で人工生命を生み出す実験も行われていたと言われている。
キリスト教信者はこの神の領域に足を踏み入れる行為を恐れたが、そのようにして生み出されたホムンクルスが実在したのかは定かでない。
夜久はホムンクルスが背負うこのスティグマに注目した。霧靄霞というデバイスのリミッターが解除され、真の力を発揮したとき、時空を支配することも可能に思えたのだ。
2101年11月8日
日本チームの健闘が夜久の精神を奮い立たせ、遂に霧靄霞のハッキングに成功した。
「ホムちゃん、ようやくお前の出番だぜ……」
夜久は消え入るような声でつぶやき、霧靄霞の次元間通信機能のひとつにアクセスし、アマゾニカのハッキングを試みた。
「よし!」
夜久は独房の片隅で気づかれないように極小のデバイスを操作してハッキングを続けた後、サン・ピエトロ大聖堂の警報を一斉に鳴らした。
「な、なんだ! おいどうした! 何が起こった! ……何、爆発? そうか分かった! すぐ応援に行くぜ!」
看守は爆発が起きたと連絡を受け、地上警備隊と合流するために地下牢から離れた。
「よしよし、いい子ちゃんだ」
夜久は続けて独房の扉にかけられたセキュリティを解除し、看守不在となった牢獄から難なく脱出に成功した。そして疾風迅雷の勢いで春と霧靄霞を解放し、各自別ルートを通ってフィウミチーノ空港で落ち合うよう指示をした。集団よりも個人で動くことの方が捕捉されるリスクが低いと判断したからだ。
夜久の適切な指示により3人は脱出に成功し、無事にフィウミチーノ空港で再会した。
「すばちゃんさすがだね! 信じてたよー!」
春が夜久を見つけて抱擁した。
「おい、まだ油断できねえ状況なんだ。静かにしてろ」
「はいはい。そうですね。いつでも冷静沈着」
「それよりホムちゃんの教育、ありがとう。この覚醒がなければ抜け出すことは難しかっただろう」
「ふーん、活躍できたんだホムちゃん! よかったよかった。あ、来た来た」
霧靄霞が表情を変えずに夜久の元へ到着した。
「ホムちゃん大活躍だよ。サンキュー」
「それは夜久昴の手柄。最後まで諦めなかった」
「ところではるさんのケータイはどこですか? 私捕まってから時が止まってるんですが!」
「すまないがケータイはもうない。取り戻す余裕もなかったしな。俺はこのデバイスで通信していたんだ。この世界に来たときテストしたあれだ」
夜久は手のひらに埋め込まれた未来のガジェット、ミクロデバイスを春に見せた。
「ずるーい! もうはるさん暇で暇で仕方がなかったんだよ! ぷんすかぷん!」
「……お前一生このままかも、とか拷問されるかも、とか死んじゃうかも、とか思わなかったの?」
「んー、すばちゃんが何とかしてくるでしょ。絶対」
「……そりゃ、どうも……」
うれしいのか悲しいのか、夜久には判別がつかなかったが、無条件で信用されることはハッカー冥利に尽きる、と前向きに考えることにした。
「とりあえず機内で話そう」
夜久らは足早に搭乗ゲートを通過した。
「春、そういえば日本チームがついに解を導き出したよ。しかも大空光が大活躍という」
「へー! すご! ふんふん。そりゃ凄いことだ」
「……お前ほんと分からん女……ん?」
夜久はミクロデバイスへの着信を確認した。日本の霧靄霞からであった。
「……なるほど。最後の大仕事ってことね。カスミくんは人使いが荒いなぁ……」
メッセージを読み終えた夜久は、やれやれといった表情で機中からヤドメクラウドにメッセージを送信した。
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心配かけた。俺たちは脱出に成功し、今は空の上だ。日本へ着くのは11月10日となる。
アマゾニカのハッキングも無事に成功した。
俺は到着後にカスミくんとひと作業する必要が生じた。そのため、春とホムちゃんを先に合流させる。作業終了後、俺たちも急ぎ向かう。
それともうひとつ、11月11日だがおそらく富士登山の必要はないだろう。
凪くんと大空くんが富士講の話をしていた、とカスミくんから聞いたよ。
俺は7人、いや8人がその日、然るべき場所へ集まったときに別次元の扉が開くと考えている。こちらの生活に慣れてしまって忘れているようだが、俺たちはそもそも未来からこの世界に来ている。別の次元が現れる可能性なんて、いくらでもあるとは思わないかい?
俺たちがこの世界に降り立った場所はどこだった? そう秋葉原だ。
その扉はきっと秋葉原にある。神田川明神の獅子山も含め、追加調査をしておいてくれ。残された時間は少ないが、今の君たちにとってそれくらいは造作もないことだろう。
それではまた逢う日まで。
2101.11.8
Subaru Yadome from Roma
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