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∞D - 夢想幻視のピグマリオン -  作者: 漆野 蓮
第6章 審判の日
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32/39

1. 柊周

挿絵(By みてみん)

Illustration by Daken

 秋葉原の南を緩やかに流れる神田川を渡ると、柳原通りと呼ばれる往来の少ない、ある種の緩衝地帯があった。どこか物憂げで眠気を誘うその通り沿いに、時空を支配するかのようにひっそりと佇んでいる社があった。

 柳ヶ森神社と呼ばれたその社の境内には江戸期に築かれた富士塚の跡があり、その履歴を記した案内板や記念の碑が点在していた。

 凪は夜久の指示を待つまでもなく、秋葉原界隈の富士塚について調査を終えていた。彼女は見晴らしのよい小高い丘に築かれた神田川明神の獅子山ではなく、柳ヶ森神社が放つ霊的な磁力に惹かれ、やがてひとつの、確信を持った推論に達した。


『11月11日に集う場所は柳ヶ森神社境内の富士塚跡、次元の扉が開くのは11時11分である』


 2101年11月10日

 柊周はカフェ&バー『異次元』における最後の業務を終え、凪が待つ始まりの地、即ち21世紀シナリオ『特例モード』のスタート地点、深海へ没した古代都市のような死の匂いを放つ廃校へと向かった。

 涼やかな秋の夜風が静かに流れる廃屋の頂で、凪は無機質なネオンを眺めながら決行日の行動パターンをシミュレーションしていた。柊はそっと彼女の右隣に立ち、視線の先の、遥か遠方に林立する高層ビル群に焦点を合わせ、しばし沈黙を共有した。


「……柊君、君はVRLを一度もクリアしないまま回想モードへ飛んだ。私が知る限りそんなプレイヤーは存在しない。今の気分はどうかしら? タイムトラベラーとしての感想は」

 目線を変えずに凪は沈黙を振り払った。

「さあ……どうなんでしょう。凪さんの言う通り、僕は結果的にタイムトラベラーとなってしまいました。イレギュラーと言われても僕にはすべてが初めてのことでしたし、ここで起こったことすべてが僕にとって唯一無二の経験であり、また真実です。それがVRLの世界であったとしても」

「VRLの世界って何よ。そもそもオリジナルの人生なんて一度しかないのよ。私たちだって同じ。柊君は未来に戻ったら何をしたい?」

「オリジナル……そうですね。いくつもの人生を経験できる、その経験は脳内で実体験となる。それがVRLです。でもそれはVRLです。人生は誰にでも一度しかない。その通りです。僕は未来へ戻ったらやっぱりVRLをやりますよ。それしか自分を満たすものはないんじゃないかと思います。戻った世界に21世紀シナリオがあるかなんてわかりませんけどね……」

「たとえあったとしても、回想モードという名の特例モードを終えてしまうわけだから、シナリオの有無に関わらず私たちはプレイ不可能でしょうね」

「なるほど、理論上はそうでしょう。でも、そう、だからこそ、これは特例モードです。何が起こるか分からない、イレギュラーの連続がこのシナリオの持つ特性だとしたら、シナリオ自体の存在はありうるし、リプレイも可能だと、そういう考えもあるんじゃないでしょうか」

「……君、面白いね」

「……それ懐かしい響きですね。3年前のVRL空港を思い出しました」

「そうね……そんなこともあったわね。柊君はこんなふざけた境遇に放り込まれても変わらなかった。面白いと思うよ、本当に」

「何言ってるんですか。僕は自分でも自覚できるくらい、もの凄く変わったと思いますよ。それに凪さん、あなたこそいつものようにクールを装っていますけど、僕には分かります。凪さんはとても変わりましたよ」

 明日で全てが終わる。来るべき終末を前にした、異様な緊張感に包まれたふたりは、淡々としながらも真実に切り込む会話を続けた。


「私が変わった? どうしてそう思うの?」

「僕にとって凪雫は雲の上の存在であり、憧れの気高きVRLプレイヤーでした。しかしこの3年間は、そんな表面的なあなたのイメージを変えました。凪さんも僕たちと同じ人間なんだと、当たり前のことですが、それに気づきました」

「何よ、失礼ね。私だって人間なんだけども」

「ええ。そして内に秘める寂しさについても、今は理解したつもりです」

「…………」

 凪は柊の方へ顔を向けるきっかけを失った。

「……それはいつ?」

「凪さんはほとんど海外で調査していましたからね。もちろん帰国後ですよ。寂しさを隠さなくなったんだと思います。正確には隠しきれなくなったんだと思います。違っていたらすみません」

 凪はエルサレムで見た夕日と、今廃墟の屋上から眺める夜景を重ねた。そしてあの日流した涙の理由に思いを馳せた。

「君は……本当に面白いな……うん、面白い…………」

 あの日とは違う。目に映るのはロマンチックな絶景ではなく、無機質に煌々と輝く高層ビル群であり、隣にいるのは一波鋭ではなく柊周だ。しかし、抑えようとするほど、凪の瞳からは涙がぽろぽろと零れ落ちた。


 帰国後の凪を一目見た時から、柊は彼女の変化を感じていた。

 一波鋭という21世紀のジャーナリストがトリガーとなり、凪の感情は解放された。

 柊は21世紀の人々と働き、過ごし、喜怒哀楽を共にすることで少しずつ変化していったが、大空光との関係性が深まるにつれ、それは加速した。

 未来の記憶を保持して過去を生きることはできない、というVRL不変のルールは、凪雫の自我を無意識に押し込め、根源的な寂しさを眠らせたまま時空の旅人を演じさせることになった。その無意識の深淵から救い出したのは、そんなVRLのことなど知らない一波鋭の、純真なエートスにあった。

 柊の心を解放させたのはロマンチシズムであったが、愛と呼ぶには脆弱な、しかしだからこそ暴走を可能にする、一つの未熟な純心がもたらした結果でもあった。

「――凪さん、僕は大空光が好きです」

「今さら何言ってるのよ。みんな知ってるわ」

「僕たち未来人に、この世界における明後日は永遠にやってきません。命題を解くことができれば未来へ、失敗すれば死です。どちらにしても僕はひかりんと未来永劫会えなくなります。だから最後に伝えたいと思いました。これは僕のエゴです。それは分かっています。でも一度のわがままくらい、神は許してくれるんじゃないでしょうか」

「………………」

 凪は無言の静寂から自動的に生成される言の葉の訪れを待った。


「君は面白い。でもそれは面白くないわ。そんな残酷なこと、するべきじゃないわ。決まってるじゃない……」

「――そうですか。やっぱりだめですか」

「ええ……そう言うでしょうね、以前の私だったら間違いなく」

「……」

「柊君の言う通り私は変わったのだと思うわ。この世界のすべてが私には初めての経験だった。私が人前で涙を見せることなんて想像したこともなかった。こんなにも感情が溢れ出ることなんて、自分の人生において起こるとは思わなかった。それはね、端的に言うと君のせいだよ。柊周という存在が、一番のイレギュラーだった」

 彼女はメトロポリスの冷たい情景からイレギュラーの源、柊周に視線を移した。

「伝えてみなさい。大空光に想いのすべてを、ありったけの愛を」

 屈託のない笑顔で、柊の悲愴に満ちた恋を凪は肯定した。

 眠らない都会の青白い煌めきが、星々の輝きを呑み込んだまま夜は更けていった。


 2101年11月11日

 柊は集合予定時刻の1時間ほど前に柳ヶ森神社へ赴き、広くもない境内を散策した。記念碑や案内板がひしめき、この社が歴史的に価値ある場所なのだと、訪れる人に過度な期待を持たせない程度に誇示していた。

 柊は富士塚の前に立ち、目を閉じて気持ちの整理を始めた。そしておもむろに携帯端末を取り出し、メッセージを打ちこんだ。


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差出人:柊周 <amane_hiiragi211@xxx.jp>

件名:Thanks, World

宛先:21世紀の同朋


 やあ同朋、僕は今日、人生を終えることになるかもしれない。

 それよりもずっとメールを書かなかったことを詫びよう。

 この3年間、本当にいろいろなことがあった。

 いや、いろいろなことがあったのは僕ではなく、多くは凪さんや夜久さんだろう。

 脈絡がなくてすまない。

 このメールはもう21世紀の同朋が読むことを前提としていない。なぜなら僕はこの3年間、21世紀で過ごしている。いや、正確にいうと現在は22世紀になってしまっているが、実は未来の記憶を持ったまま今日まで生きてきた。

 僕が今書いているメールは2101年11月11日、10時10分現在のものだ。

 これまでの経緯を説明している時間はないし、する気もない。

 今から僕が書くことは、たとえば今日、何かしらのアクシデントによって僕が死んでしまうとしたら、という前提の、つまりはそう、遺書だ。それも偽らざる遺書だ。これは懺悔録だと思っていただいていい。

 完全に僕の一方的で身勝手な独り言だ。


 君は死ぬということがどういう意味を持っているか、考えたことがあるかい?

 人生が一度しかない世界であれば当然のように受け入れられている現象だろうけど、僕の世界ではVRLという拡張現実によって満ち足りるだけの人生を、実質無限と言えるくらい経験することが可能だ。

 インフィニット・ワールドでは、平均すると60歳に達したところで多くの人は自ら死を選ぶ。

 何故かといえばVRLがあるからだ。VRLは人の一生を2時間で経験できてしまう。


 つまり、人は人生に飽きるのだ。


 それは本当にAIが選択した人類にとっての幸福なのだろうか。かつての僕はそのことに何の疑問も抱かなかった。なぜならば、誰もが充足した死を迎えていると思っていたからだ。

 それがこの3年間の21世紀生活を経て、その考えに変化が生じた。

 VRLというシステムは本当に人類を幸せにするのか。

 僕にはまだそれを語る資格がない。なぜならば、ただの一度もクリアをしていないからだ。

 それは詰まるところ、21世紀の住人たちと何も変わることのない、たった一度切りの人生を、今現在も歩んでいるということだ。


 インフィニット・ワールドにおいて、18歳を超えてVRLのクリア経験がない人間はいない。

 僕はそういう意味で、凪さんのいうイレギュラーな存在だ。

 そのため21世紀の住人との親和性は高いが、僕は未来を知っている。

 僕の本当の理解者は、21世紀にもインフィニット・ワールドにもいない。

 僕はこの3年間、ずっと独りぼっちだった。

 僕が夜久さんの誘いを断り、この日本の秋葉原に残ることを選んだのは、ここが間違いなく僕が愛した時代の、愛した世界だったからだ。

 確かに歴史は大きく歪んでいた。輝かしきドクター木佐貫の痕跡は微塵もなく、むしろテロリストとしてその名を馳せていた。

 それでも僕が愛した21世紀であると感じられたのは大空光の存在だった。

 インフィニット・ワールドにおける恋愛は、VRL経験のスコアによって結ばれるのが常だ。

 つまり、AIが導き出した人類の幸福論は、前提として人生は一度では足りない、ということなんだ。

 人は一度の人生経験で他者を本当に理解できるだろうか。それができないと判断したから、AIはVRLを作り出した。生物学的な人生は一度切りだが、経験はVRLによって補完できる。どのシナリオをクリアしたか、スコアはいくつかだったか、それでその人の価値、ステータスが決まる。

 僕はそんなステータスには正直あまり興味はなかった。いくつもの時代を、生まれてから死ぬまで、つまり一生を何度でも経験できるというVRLのシステムに魅力を感じていた。

 しかし、このあとインフィニット・ワールドへ戻ることができたとして、果たしてその魅力を同じように抱き続けることが可能なのか、今は分からない。

 僕は今日、たとえ生き延びることができたとしても、明日を笑顔で迎えられる自信がない。

 次元の扉なんてものが本当に開くのか、その先に何があるのか、全く未知数だ。

 それでも行くしかない。

 僕には言わなければいけないことがある。

 それは僕のエゴイズムから発する身勝手な行為だ。

 確定している未来に抗うわけではない。

 本当に剥き出しの、僕のエゴなんだ。

 それを抑えることはもうできない。

 なぜだかは分からない。

 だがそれこそが、AIが血眼になって探し続ける、人間の正体なのかもしれない。


 ありがとう世界、

 ありがとうみんな、

 ありがとう、

 ありがとう。


 I.W.0100.11.11(A.D.2101.11.11)

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挿絵(By みてみん)

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