第二十九話:新しい制服と、指輪のない左手
山奥の工房跡で、小夜が奇跡的に『人間』として受肉してから、数日が過ぎた。
あの夜、俺たちの熱い誓いを受けて消滅した銀の指輪。
登校中、俺はなんとなく自分の左手小指に目をやった。
そこにはもう、くすんだ銀の細工も、謎の文字も存在しない。ただの、どこにでもいる普通の高校生の素肌があるだけだ。
当然、頭の中に流れ込んできていたクラスの女子たちの「本音の声」も、今はもう一切聞こえない。
(……すっかり静かになったもんだな)
寂しさがないと言えば嘘になる。
だが、俺の胸の中に不安や怖さは一切なかった。
指輪の力で相手の心が読めなくなったとしても――今の俺には、彼女たちの表情、目線の揺れ、声のトーンだけで、何を考えているのかが手に取るように分かったからだ。
何より、あいつらが俺に注いでくれた情熱は、指輪の魔法なんかじゃなく、本物の『愛』だったのだから。
「航平! ぼーっとしてないで早く行きましょう!」
「渡辺くん、今日の1時間目は小テストですよ。ちゃんと復習してきましたか?」
校門の前で待ち構えていたのは、幼馴染の美沙と、図書委員の白石葵だった。
美沙は俺の腕にさっと自分の腕を絡め、白石は反対側から俺の鞄の持ち手をちょんと掴んでくる。
「分かってるって。白石のおかげで勉強はバッチリだ」
「ふふ、なら良かったです」
「ちょっと二人とも! 朝から航平に密着しすぎじゃない!?」
「何をお言いですか美沙さん。私は航平さんの右隣の権利を、正当な手続きで主張しているだけですわ」
新田遥、椎名紬、そして九条麗奈と神楽坂蓮も合流し、相変わらずの賑やかさで校門をくぐる。
周りの男子生徒たちからは「朝からハーレムかよ……」「爆発しろ渡辺……!」と殺気立った視線が刺さるが、もはや俺にとっては心地よい日常のBGMのようなものだった。
だが、今日の教室には――最大のサプライズが待っていたのだ。
◆
「はーい、朝のホームルーム始めるわよー」
担任の美咲先生が、どこかワクワクしたような顔で教壇のパンパンと叩いた。
「今日はなんと! 我がクラスに、超・激レアな編入生がやってきました! 先日の九条さんや神楽坂くんに続いて、うちのクラスどうなってんのかしらね。じゃあ、入ってきてー!」
ガラガラと教室の扉が開く。
入ってきた人物の姿を見た瞬間、クラス中から「うわっ……!」「なんだあの美少女……!?」という息を呑む声が上がった。
そこに立っていたのは――我が校の女子制服を完璧に着こなした、可憐な黒髪の少女だった。
少し小さめの制服に身を包み、緊張で頬をぽっと桜色に染めながら、つぶらな瞳で教室を見渡している。
「初めまして……っ! 『小夜』と申します! か、航平様の……いえ、渡辺航平さんの、親戚の者でございます!」
ぺこりと深々と頭を下げる小夜。
その初々しくも可憐な佇まいに、男子生徒たちが一瞬でノックアウトされ、「小夜ちゃん……!」「天使が降臨した……!」と騒ぎ始めた。
「さ、小夜……!?」
俺と、事情を知っているヒロイン六人は揃って目を丸くした。
「ふふん、驚いたかい航平」
右隣の席の蓮が、誇らしげに胸を張ってニヤリと笑う。
「九条家と神楽坂家の財力とコネをフル活用してね。小夜さんの戸籍と編入手続きを、超特急で整えさせてもらったのさ!」
「おばあ様も『航平さんの側に新しいご家族が増えるなら喜ばしいことです』と、全面バックアップしてくださいましたわ」
麗奈が扇子をパチンと閉じて優雅に微笑む。
「みんな……マジかよ……!」
俺が感動していると、小夜は緊張した面持ちで教壇を降り、まっすぐに俺の席へと歩み寄ってきた。
そして、俺の目の前に立つと、感極まったように小さな両手を胸の前で固く握りしめた。
「航平様……! 私、本当に人間として……航平様と同じ学校に通えることになりました……っ! 夢のようでございます……!」
小夜の目から、ポロポロと大粒の嬉し涙がこぼれ落ちる。
「泣くなよ小夜。……制服、めちゃくちゃ似合ってるぞ」
「……っ! はい……っ! ありがとうございます、航平様……っ!」
小夜がパッと花が咲いたような最高の笑顔を見せる。
その瞬間、クラスの女子たち(美沙たち)の目がギラリと光った。
「ちょっとちょっと! 小夜ちゃんが可愛いのは大賛成だけど、航平を巡るライバルが一気に増えちゃったじゃない!」
美沙が席を立って抗議の声を上げる。
「ええ……小夜さんは今までずっと渡辺くんと『一番近い場所』にいたのですから、強力すぎるライバルです」
白石がメガネの奥の瞳をキランと光らせる。
「でも負けないからね! 部活のマネージャー枠だって、渡辺の隣だって譲らないんだから!」
新田が腕を組んで宣言する。
「私……小夜ちゃんにも負けたくないです……!」
紬が可愛らしく拳を握りしめる。
「ふふ、七人目のお姫様の参入ですわね。受けて立ちますわ!」
麗奈が誇り高く笑い、蓮も「ボクも正妻の座は渡さないよ!」と乗っかる。
七人のヒロインたちが、俺のデスクを囲んで火花を散らし始めた。
「あ、あの……皆様……?」
小夜がおろおろと首をかしげる。
「小夜ちゃんも遠慮しちゃダメよ! 航平のことが大好きなんでしょ!?」美沙が小夜の肩を掴む。
「あ……はいっ! 私は、航平様を世界で一番愛しております……!」
小夜が顔を真っ赤にしながら、真っ直ぐな瞳で俺を見つめて言い切った。
「「「「「「やっぱり強力すぎるーーーっ!!!」」」」」」
ヒロインたちの叫びが教室に響き渡り、クラス中は大爆笑と嫉妬の渦に包まれたのだった。
◆
放課後。
茜色の夕空が学校を優しく染め上げる中、俺と七人のヒロインたちは、校舎の屋上に集まっていた。
風が吹き抜け、彼女たちの髪を優しく揺らす。
左手小指の指輪はもうない。だが、俺の心はこれまでにないほど満たされ、温かかった。
「なあ、みんな」
俺が声をかけると、美沙、白石、新田、紬、麗奈、蓮、そして小夜の七人が、一斉にこちらを振り返った。
「俺さ……最初は爺ちゃんの指輪の力で、ただモテたいだけの情けない奴だった。指輪の力がなきゃ、みんなの気持ちに応える自信もなかった」
「航平……」
「でもさ、みんなと一緒にいろんな修羅場を乗り越えて、分かったんだ。指輪の力なんて関係ない。俺は……ただの渡辺航平として、お前たち全員のことが……心から愛おしくて、大切なんだ」
俺の言葉に、七人の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「誰か一人を選ぶなんて、俺にはできない。そんなのズルいって言われるかもしれないけど……俺は爺ちゃんを超える男になって、お前たち全員を……世界で一番幸せにしてみせる!」
堂々の、真・ハーレム宣言。
一瞬の静寂の後——七人のお姫様たちは、顔を見合わせ、呆れたように、けれどこの上なく愛おしそうな笑顔を弾けさせた。
「もう……本当にバカ航平!」美沙が真っ先に俺の胸に飛び込んできた。
「覚悟してくださいね、渡辺くん。一生かけて幸せにしてもらうんですから」白石が俺の手を優しく握る。
「当然だろ! 途中でバテたら絶対に許さないからな!」新田が反対側の肩を組んでくる。
「私、ずっと渡辺くんの歌を歌い続けます……!」紬が幸せそうに微笑む。
「九条家の正妻として、あなたを最高の男に育て上げて差し上げますわ」麗奈が誇らしげに胸を張る。
「ふふ、僕も一生君の隣で、君を支えてあげるよ」蓮が照れくさそうに耳を赤くする。
「航平様……! 私も、人間として……ずっと、ずっと航平様の側におります……!」
小夜が俺の服の裾をぎゅっと掴み、満面の笑みを向けた。
指輪から始まった、奇跡のような俺の日常。
だが、これは終わりではない。
七人のお姫様たちと俺が紡ぐ、本当の『最高のハッピーエンド』へ向けて——俺たちの物語は、ついにクライマックス(最終話)を迎えるのだった!




