第二十五話:濡れた制服と、ライバルの隠しきれない本音
「ふふん、甘いな渡辺航平! 今日の『シェアリング』とやらは、僕が完全にジャックさせてもらったよ!」
火曜日の放課後。
部活帰りの新田遥と、学校近くのラーメン屋に向かおうとしていた俺たちの前に、またしても神楽坂蓮が不敵な笑みを浮かべて現れた。
「またお前かよ神楽坂……。新田とラーメン食いに行くだけだぞ?」
「フッ、ラーメンだと? 庶民の味覚しか知らない君に代わって、僕が本物の美食というものを教えてあげようと思ってね!」
「あー……神楽坂、悪いけど私と渡辺はいつもの『ガンコラーメン』のニンニク増しマシが食いたいの。お上品な店なら一人で行ってよ」
新田が呆れたように手をひらひらと振る。
「なっ……! に、ニンニク増しマシ……!? じ、女子高校生がそんなジャンクなものを……!?」
蓮はドン引きしつつも、「くっ、ここで引いたら師匠の弟子がすたる……!」と謎の対抗心を燃やし、結局三人でいつもの大衆ラーメン屋のカウンターに並ぶことになった。
◆
「うっ……ゲホッ! か、辛い……! なんだこの濃いスープは……!?」
「神楽坂くん、無理して『激辛ニンニクラーメン』なんて頼むからでしょ。ほら、お水」
カウンター席で、顔を真っ赤にしてむせかえる蓮。
新田が差し出した冷水をゴクゴクと飲み干し、ふうふうと息を荒げている。
(……だから言ったのに。辛いもの苦手なら素直に醤油ラーメン頼めばいいのに……)
蓮の小指……ではなく人差し指の『黒銀の指輪』からは、相変わらずダダ漏れの本音が流れ込んできていた。
『辛い辛い辛い……っ! 舌が痺れる……っ! でも渡辺と新田さんが楽しそうに話してるの、なんかムカつく……! 私だって……私だって宗次郎師匠と昔、こういう庶民のラーメン食べたかったのに……っ!』
(……なるほどな)
俺はふっと合点がいった。
蓮が俺に執拗に突っかかってくる理由。
それは単に指輪を奪うためだけじゃない。爺ちゃん(宗次郎)の孫である俺が、自分の知らなかった爺ちゃんの愛情や日常を独り占めしているように見えて……『うらやましくて嫉妬している』のだ。
「おい、神楽坂」
「な、なんだよ渡辺……! 僕はまだ負けてないぞ……!」
「ほら、俺の煮たまごやるよ。辛いの和らぐから食え」
「……え?」
俺がレンゲで煮たまごを渡してやると、蓮は琥珀色の瞳を丸くした。
『な、なになにこの男……! 辛いの察して気遣ってくれたの……!? む、ムカつくのに……なんか胸がキュンってなったじゃんか……っ!』
(わかりやすすぎるだろ、マジで……!)
◆
ラーメン屋を出た直後のことだった。
ゴロゴロと雷鳴が轟いたかと思うと、バケツをひっくり返したような猛烈な『夕立』が街を襲った。
「うわっ、すごっ!? 一気に降ってきたじゃん!」
新田が慌てて店の軒下に飛び込む。俺と蓮も間一髪で雨宿りをした。
「くっ……ツイてないな。折りたたみ傘を持ってくるのを忘れたよ」
蓮が濡れた髪を手ぐしで払いながら溜息をつく。
だが——その瞬間、俺は息を呑んだ。
激しい雨と湿気で、蓮の制服のカッターシャツがぐっしょりと濡れ、肌にぴったりと張り付いていたのだ。
薄い生地越しに、綺麗な鎖骨のラインと……男子生徒には口が裂けても言えない、スポーツブラの黒いシルエットがハッキリと透けてしまっていた。
(っ……!? やべえ……っ!!)
「あ〜あ、参ったな。渡辺、雨止むまで雨宿り……って、渡辺? どうしたの?」
新田が不思議そうにこちらを振り返ろうとする。
(新田に見られたら、蓮が『女』だってバレる……! いや、新田ならまだしも、通りすがりの奴らに見られたらマジでマズい!!)
「神楽坂、こっち来い!」
「えっ……きゃあっ!?」
俺は咄嗟に自分が着ていた部活用のジャージ上着を脱ぐと、蓮の頭からガバッと覆いかぶせた。
そのまま、彼女の華奢な肩を両手で強く抱き寄せるようにして、俺の胸元に引き寄せる。
「な、ななな何をするんだ渡辺航平……っ!? 離せ、無礼者……っ!」
蓮が俺の胸の中で暴れようとする。
「黙ってろバカ! シャツ透けてんだよ!」
俺が耳元で低く囁くと、蓮の動きがピタッと止まった。
「……え?」
「お前が『男装』してんの、俺は最初から気づいてんだよ。……これ以上薄着でウロウロすんな。男の目が届かないところで着替えろ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!??!?」
蓮の顔が一瞬で爆発したように真っ赤になった。
湯気が立ち上りそうなほどの赤面。琥珀色の瞳が揺れ、完全にキャパオーバーを起こしている。
『知ってたの……っ!? 嘘でしょ、最初からバレてたの……っ!? じゃあ体育の呼吸法も、壁ドンも、全部バレて……っ!? あああああ恥ずかしすぎて死ぬ死ぬ死ぬっ!!』
(脳内パニック起こしすぎだろ!)
「渡辺……? どうしたの急に神楽坂のこと抱きしめて……?」
新田が呆然と俺たちを見つめている。
「あ、いや! 神楽坂のやつ、雨で寒がってたからさ! 男同士の友情ってやつだ!」
「ふーん……? なんか怪しいけど……まあいいや」
新田が首をかしげる中、俺の腕の中で固まっていた蓮が、ジャージの隙間から小さく震える声で呟いた。
「……なんで……」
「ん?」
「なんで……バラさないんだよ……。僕が女だって言えば、君は学校中で僕を笑いものにできたはずなのに……。なんで、僕を庇うんだよ……っ!」
蓮の手が、小さく俺の服の裾をキュッと掴んだ。
強がりな「ライバル」の仮面が完全に剥がれ落ち、そこにはただの、素直になれない傷つきやすい少女がいた。
「言っただろ。お前は爺ちゃんの弟子なんだろ?」
俺は優しく蓮の頭を撫でてやった。
「爺ちゃんの弟子なら、俺にとっちゃ『身内』みたいなもんだ。身内の女の子が困ってたら助けるのが、宗次郎の孫の義務なんだよ」
「……っあ……」
蓮の瞳から、大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。
『あんなに探してた宗次郎師匠の面影が……この男の中に、ちゃんとあった……。カッコいいよバカ……こんなの、勝てるわけないじゃんか……っ!』
指輪を通じて流れ込んでくる、純度100%の「恋心」と「敗北感」。
「——ぐっ!?」
その時、蓮の人差し指の『黒銀の指輪』が、不気味な黒い光を放って弾けた。
蓮が急に苦しそうに胸を押さえて膝をつく。
「神楽坂!? どうした!」
『航平、危ない!』
脳内で小夜が叫んだ。
『その指輪……所有者が航平様に「完全な好意」を抱いたことで、魅了の呪いが反転し、所有者の生命力を吸い取り始めています!』
「なに……!? 蓮、その指輪を外せ!」
「む……無理だよ……っ! 師匠からもらった時から、この指輪は……一度嵌めたら外れない呪いが……っ!」
苦しみに顔を歪める蓮。
俺は自分の左手小指の銀の指輪を握り締め、蓮の手を力強く掴み取った。
「外れないなら……俺の指輪で打ち砕くまでだ!!」
ライバルから「7人目のヒロイン」へ。
蓮を呪いから救い出すための、新たな戦いが始まろうとしていた——!




